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サンフランシスコ条約について

現在の日米関係においてサンフランシスコ講和条約を結んだことの良い点と悪い点ってなんでしょう?

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  • urankun
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回答No.4

 いくつかあるかと思いますが、主な点は以下のとおり。  メリット 1.なんといっても国際社会に早期に回復する足がかりとなったことでしょう。日本のガット加盟(1955年)、国連加盟(1956年12月18日)など、平和条約抜きには到底実現できなかったでしょう。 2.対戦国の賠償請求権がすべて放棄されたこと。第一次大戦では、ドイツは多額の賠償金を支払いましたが、追いつめられたドイツにおいて、その後何がおきたかは書くまでもありません。そういう歴史の反省があったので、日本に対しての請求権は放棄されました。  デメリット 1.請求権をすべて放棄してしまったことです。メリット2.と、「コインの表裏関係」にありますね。  例えば一般市民員対する無差別爆撃、原爆攻撃の被害について、米への請求が出来なくなってしまいました。 2.台湾島、多数の領土等を失った。  まあ、これは無条件降伏をした段階で、もはや主張するのは難しかったでしょうけど。

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  • Q891781
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回答No.3

 あくまでも敗戦60年を迎えた現時点での歴史評価ですが、日米条約(通称:サンフランシスコ講和条約)の良かったところは、確固たる日米同盟を構築できたことでしょう。日露戦争勝利(1905)により、後進国から一躍世界の先進国の仲間入りを果たした日本ですが、ポーツマス講和条約によりロシアから南樺太と朝鮮の統治権と満州鉄道の利権を手に入れたことが、結果的にアメリカとの仲違いの元になってしまいました。なぜかといいますと、日米共に(先進国ならどこでもそうですが)、支那(=China:当時の中国の呼称)の様々な権益を有することが死活問題だったからです。日米が衝突したことは必然だったかもしれません。その衝突の結果、日本は負けました。負けて子分になったために今現在の確固たる日米同盟が築けました。負けて子分になることは誇れることではありませんが、地政学的に考えると、今現在はどうしようもないと思います。  次に悪かったところです。これは多種多様にありますが、一番の要点をあげますと、「日本が崩壊した」ことだと思います。敗戦前の日本にはたしかに現在から振り返るとよくないこともありました(皇民強要や七三一部隊など)。余談ですが、アメリカは現在でもアメリカ版“皇民強要”を世界中で行っています。しかし日本の良いところもたくさんありました。また日本には悠久の素晴らしい歴史があります。それなのに一度の敗戦によりこれらを葬り去ってしまいました。正確にはアメリカにより葬りさせられました。それほどアメリカの統治政策は強烈でした。一例を挙げますと、A級戦犯などという訳の分からない概念が敗戦60年を経た現在でもまかり通っています。やはり、アメリカの統治政策にやられた点(第二の敗戦)。これが悪いところの最たるものだと思います。

noname#11525
noname#11525
回答No.2

グーグルの http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2004-52,GGLD:ja&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84 を参照して下さい。 良い点と悪い点?それ以外の選択があの時点であったのですか?ソ連が反対していましたし、我が国のマスメディアも反対してました。 結果として、フィリピンのそれをほとんど丸写しにした憲法のおかげで、朝鮮戦争やベトナム戦争に関与せずにすみましたしね。 昭和一桁の老人の感想としては、国際金融資本のバックアップと日英同盟のおかげでかろうじて帝政ロシアに負けなくてすんだ日露戦争の戦後処理を「国際協調」と漢韓両兄弟民族と手を携えてやっていたならば、東アジア史はまた違った展開をしたのではなかったかと思います。 しかし、当時のマスコミjのほとんどは民衆の不満をあおり立て扇動するだけで、当時の桂首相もなすすべがありませんでした。 そのごの我が国の運命はご承知のとおりです。

noname#20618
noname#20618
回答No.1

今後、われわれの間に勝者と敗者の区別を一切なくして、お互いに平和を希求する仲間同士になるために、すべての悪意と憎しみをすてさろうではないか。 今から半世紀前の1951(昭和26)年9月4日、サンフランシスコのオペラハウスで開かれた講和会議で、51カ国の代表を前に米国大統領トルーマンはこう挨拶した。この講和会議において、米国は日本に国際社会での「威厳と平等と機会」とを与えようとしていた。条約の作成者、米国のジョン・フォスター・ダレスは、これを「和解と信頼の講和」と呼んだ。 トルーマンの挨拶をわずか6年間のポツダム宣言の次のような一節と比較して見ると、日本に対する見方が180度変わっていることが分かる。 日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯しめたる者の権力及勢力は永久に除去せられざるべからず 簡単に持ち上げられたり、僅か6年で、評価が変わったり、俺が俺がの殿様列強アメリカ。自国に関しては非常に狭い固定観念を動かす事のない国。 バカかというほど、単純明快。 誰が政権取ろうが、何ら進歩もなく、オタオタするだけの日本。50年前から変わりませんね。現状維持が できれば御の字。