ドイツは、1923年わずか半年で物価が350万倍になるという超ハイパーインフレに襲われました。
それを落ち着かせたのは、レンテン・マルクの導入でした。
その後、金本位制のライヒス・マルクに移行し、インフレの安定をもたらします。
これにより、アメリカからの資本の流入もあり、一時的に経済的安定期が訪れます。
1929年世界恐慌時の首相が、ヘルマン・ミュラーでした。
恐慌の発生と同時に、アメリカ資本はアメリカに回収され、ドイツは、深刻な不況ら突入します。
税収の低下と失業給付の急速な増大により、赤字国債の発行を余儀なくされますが、銀行団が国債の引き受けを拒否します。
これは、数年前のハイパーインフレで、それまでの債権が、紙くずになってしまった事に起因します。
そのため、政府で30年度の予算が組めずミュラー政権は崩壊します。
ミュラーの後を継いだブリューニングには、予算作成にあたり、増税を行うか、支出を削減するしか方法がありませんでした。
増税は、資本家から、支出の削減(主に人件費と失業保険)の削減は、労働者からの反発を買いました。
ブリューニングは、増税路線を強行することで、なんとか国家運営をおこないました。
銀行団による国債の引き受けが拒否されている限り、赤字国債を発行しての景気回復策をとる余地は、全くありませんでした。
補足
ではブリューニングはデフレ政策をとるしかなかったと理解していいですね?