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ブリューニングについて

ブリューニングは世界大恐慌期にデフレ政策を行いましたよね?そのことについて皆様はどう考えるか教えて下さい。

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  • nacam
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回答No.3

ドイツは、1923年わずか半年で物価が350万倍になるという超ハイパーインフレに襲われました。 それを落ち着かせたのは、レンテン・マルクの導入でした。 その後、金本位制のライヒス・マルクに移行し、インフレの安定をもたらします。 これにより、アメリカからの資本の流入もあり、一時的に経済的安定期が訪れます。 1929年世界恐慌時の首相が、ヘルマン・ミュラーでした。 恐慌の発生と同時に、アメリカ資本はアメリカに回収され、ドイツは、深刻な不況ら突入します。 税収の低下と失業給付の急速な増大により、赤字国債の発行を余儀なくされますが、銀行団が国債の引き受けを拒否します。 これは、数年前のハイパーインフレで、それまでの債権が、紙くずになってしまった事に起因します。 そのため、政府で30年度の予算が組めずミュラー政権は崩壊します。 ミュラーの後を継いだブリューニングには、予算作成にあたり、増税を行うか、支出を削減するしか方法がありませんでした。 増税は、資本家から、支出の削減(主に人件費と失業保険)の削減は、労働者からの反発を買いました。 ブリューニングは、増税路線を強行することで、なんとか国家運営をおこないました。 銀行団による国債の引き受けが拒否されている限り、赤字国債を発行しての景気回復策をとる余地は、全くありませんでした。

taka91
質問者

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ではブリューニングはデフレ政策をとるしかなかったと理解していいですね?

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その他の回答 (2)

  • nacam
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回答No.2

ブリューニングに関してご存知であれば、その前のH・ミュラーについてもご存知かと思います。 当然なぜ、ミュラー政権が崩壊したのかをご存知かと思います。 ブリューニングがミュラーの後政権に付いた時、ブリューニングには、3つの選択肢しかありませんでした。 ひとつは、税収アップのための増税 もうひとつは歳出の大幅カット 最後は、ドイツという国の破産です。 このうちブリューニングが選んだのが増税でした。 ミュラー政権時、ドイツ公債の引き受けを銀行団に拒否されているため、公債の発行という選択肢はありえませんでした。 つまり、財政出動による不況脱却対策ができず、公務員への給与の支払いもできなくなっていたため、増税せざるをえませんでした。

taka91
質問者

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自分は知識不足のためミューラー政権にも詳しくありません。大変申し訳ないのですがミューラー政権崩壊の理由からブリューニングまでを教えていただけませんか?

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  • nacam
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回答No.1

ミュラー政権の崩壊原因を考えた場合、ブリューニングに他の対策が取れたとは思えません。 とらなかった場合、ブリューニング政権は、3ヶ月も持たずに崩壊してしまったでしょう。

taka91
質問者

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もっと詳しく私に教えて下さい。意見も沿えてお願いします。

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