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中世ヨーロッパ世界における領主制の変遷について
今、学校で中世ヨーロッパの領主制について学んでいます。 領主制では、領主は農民をどのように支配していたのか。 何を源として民衆を支配していたのか。 ということが知りたいです。 また、古い領主制と新しい領主制とがあると聞いたのですが ここのところもよく理解出来ないので、説明のほどよろしくお願いします。
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西洋史をやる上で、領主制という言い方はかなり大雑把ですね。 ヨーロッパと言っても、地域も広いですし、時代によっても変ってきます。 ただ、大きな流れとしては以下の通りでしょうか。 >何を源として民衆を支配していたのか。 これには大きく二つの根拠があります。 一つは「法」、もう一つは「王またはローマ教皇から与えられたこと」です。 「法」は、そのまま法律です。ローマ帝国崩壊以後、混乱した時期もありますが、ルネサンス運動や教会を中心とした研究などで徐々に復活(発展)していきました。 「王または教皇から与えられる」というのは、全ての土地は「王」もしくは「教皇」のモノであり、「王」や「教皇」がその土地を分け与えるという論理です。また、王や教皇の地位は神から与えられたモノとう論理が裏にあります。 >また、古い領主制と新しい領主制とがあると聞いたのですが 余り、古い、新しいと分けるのは聞いたことがないのですが、、、。 こちらも大きな流れを言いますと、以下のようになるでしょうか。 カトリック=ヨーロッパでの支配権は、「法(貴族層)」と「王権」と「教皇権」の争いといった面があります。 支配権の根拠を何処に置くかで争い、それが戦争や反乱へと繋がる事が多々あります。 中世から近世において、上記の力関係のせめぎ合いの中で「法の支配」という考えが成熟していきました。 それが爆発した象徴ともいえるのが、フランス革命でしょうか。 これにより、近代以降は「法」を支配権の根拠とする勢力が勝っていったといえるでしょう。(もちろん、一面ですので一概には言えませんが) カトリック=ヨーロッパの歴史は(というより人間の歴史でしょうか)、支配権の争いです。 支配権を他人に納得させるためには、根拠が必要です。 その根拠の争いが、カトリック=ヨーロッパの歴史の中心でしょうか。 もっと、詳しい支配制度が知りたい場合は、以下のキーワードで検索してみてください。 「荘園」「封建制」「王権神授説」「叙任権闘争」「教皇権」「王権」etc.. ※私の説明は、カトリック=キリスト教の文化圏を主に念頭に置いて回答しています。なので、カトリック=ヨーロッパと表記してます。
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- nacam
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質問の意味が理解できません。 「領主」とは、どの階層をさすのでしょうか? 王侯なのか地主・騎士層なのかにより、全くちがってきます。 また、ヨーロッパと言いましても、地域ごとに統治形態がことなっていますので、もう少し絞ってください。 (ビザンツ帝国では、一時期テマ制をとっています) 時期も中世初期(ローマ帝国崩壊時)、中期(フランク王国時代)、後期(百年戦争時代)では、違ってくると思います。
お礼
大変分かりやすい説明をしていただきありがとうございます!!! ↑のキーワードで自分でももっと調べてみようと思います。 ありがとうございました。