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「M.ブーバー」、「運命の高貴な悲しみ」

「M.ブーバー」が謂わんとする「運命の高貴な悲しみ」とはどんなことかを知りたい。

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  • kigurumi
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回答No.1

調べてきました。(ふーふーー) http://72.14.235.104/search?q=cache:FtYTQ8vpUHEJ:www.rikkyo.ne.jp/grp/cchs/bulletin/No6_2004/seki.pdf+%EF%BE%8C%EF%BE%9E%EF%BD%B0%EF%BE%8A%EF%BE%9E%EF%BD%B0%E3%80%80%E9%AB%98%E8%B2%B4%E3%81%AA%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF&hl=ja&ct=clnk&cd=7 【マルチン・ブーバーは、人間の世界に対する態度が人間の語る根源語の二重性によって二つとなること、その根源語の一つは〈われ‐なんじ〉であり、もう一つの根源語は〈われ‐それ)である。と指摘した。 〈われ‐なんじ〉の根源語がもたらす世界は、関係によって成立する世界であり、人格的存在を現実化するのに対して、〈われ‐それ〉の根源語の世界は分離によって、個別存在が主張される世界を現実とする。 したがって、〈われ‐それ〉の世界では、〈われ〉は経験と利用の主観として自己を意識するのである。 それゆえ、〈われ〉は〈なんじ〉をたえず経験と利用の対象とする、すなわち〈それ〉とする〈われ〉であり、関る他者を分離によって「モノ」化し、「目的語」化し、所有の対象とする〈われ〉(実は、〈それ〉に他ならない)なのである】 そのような状況を彼は、「病める時代」と鋭く指摘したわけである。 ブーバーは、その「病める時代」を批判して、さらにこう問う。 「指導的な政治家や経済人の典型的な偉さとは、彼らに関り合う民衆を、経験不可能な〈なんじ〉の担い手として見るのではなく、彼らの特定の意図のもとで、もっぱら評価し、利用するための労働と傾向の中心的集団として見るということと結びついていないだろうか。」 (われ‐それ〉関係が、今日の世界を厚く塗り固めている。 そこでは、向い合う他者は主観にとってのある目的のために存在することが可能となっているモノに他ならない。 モノ化された存在は、経験と利用、さらには享受の対象としての価値がなければ、無化されてしまう。 この現実がどれ程に存在にとって抑圧的で操作的であるかは、言うまでもない。 それにも拘らず、わたしたちの現実の世界は〈われ‐それ〉関係が構造化して、圧倒的な支配をふるっている世界である。 この〈われ‐それ〉関係によって、すべてが記号化され情報化されて、一見、秩序立てられている世界の束縛から〈なんじ〉の解放の道は、何処に求められるのであろうか。 〈なんじ〉が〈それ〉に化する宿命は、「われわれの運命の高貴な悲しみ」である(26頁)、と見抜くブーバーは、〈なんじ〉の解放と実現のために、「時代に逆行することは、愚かな矛盾となるであろう」、という。 】             ※(それ)とは上の方に書いてあるように <関る他者を分離によって「モノ」化し、「目的語」化し、所有の対象とする〈われ〉>のこと。 他にブーバーが言う(それ)を具体的に書いてあるのが      ↓ http://72.14.235.104/search?q=cache:v4X-wFRpzZMJ:www.bun.kyoto-u.ac.jp/christ/tolerantia/06horikawa.pdf+M%E3%80%80%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC&hl=ja&ct=clnk&cd=1

noname#22679
質問者

お礼

ありがとうございました。 大いに参考になりました。 今後もまた、何かの時には、 宜しくお願いします。

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