• ベストアンサー

少林寺拳法の昇段について

今、少林寺拳法を習っていて、1級なんですが、先生が早く初段を受けて下さい。と何度も言われます。自分としては、もう少し1級でいたいと思い、その旨、先生に申し出をするのですが駄目です。何故、そんなに急かせるのかと聞いても、返事をはぐらかせます。どんな訳があって昇段を急がせるのか、おおよその理由が分かる方、教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#32136
noname#32136
回答No.4

こんにちは。以前、少林寺拳法をしていました。4段でした。お気持ちは非常によくわかります。はっきりいいますが、指導者が欲しいんですよね。私もそうでした。段位をとったら毎日毎日指導の日々。月謝とられて自分の練習はできないんですからね・・・私が拳法を辞めた理由は他にあります。例えば少林寺拳法の技って実際相手が本気で手首を掴んできたりしたらかかると思いますか??まずかかりません。私は指導者に何度もその疑問をしましたが、無視されました。護身術として使えないと感じたからです。他の方からボランティアと書かれていますが、支部長は別として他の拳士は練習生ですからね。月謝払って自分の練習できなかったら誰でも不満もちますよね。本部もそのあたりはもっと考える必要があると思っています。

yamatodamashi
質問者

お礼

有難うございます。確かに先輩(2段)は、指導の毎日です。先生から、早く3段を取れ。と私よりきつく言われています。今は、じょし?と言う役職みたいです。でも、指導者が欲しいって、例えば、今日、初段を取りました。でも、昨日迄、1級だったわけです。そんなんで指導者になれるわけないと思うのですが、少林寺って初段も指導者の一部なんですか?

その他の回答 (9)

回答No.10

アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。 全くの個人主張としてどうか書かせてください。 段を取り段の道を歩むということは「指導」し、次の世代を作り出していく道でもあると私は信じるのです。 つまり、何をどう指導していくべきか、を「段々」に教えていくべきものであり、ある段になったら教え方を習わないで教えようとすることはおかしいわけですね。 ただ、流派によって、教え方は習うべきことを習いながら先輩を見て習っていく、と言う考えがあるものもありますね。 これも私はいいことだと思います。 しかし、習う弟子にこの「方針の存在」を教えないままに「教える方法のほかだけ」を教えるのでは急に教えなくてはならなくなってしまうのは何か無駄があるように思います。 なお、昇給・昇段ですが、私の場合は、今の段まで一度も言われたままに昇段を受けたことがありません。 全て自分が考えるその段の実力が自分にあるかどうか自分が納得いくまで拒否を続けました。 しかし、実力無しで昇段してきた「同輩(もっともかつてのと言う事になるのですが)」彼らが今持つ悔いは取り返しの出来ないものとなってしまっています。 初段であれば初段として初段に習うべきことを習得し、2段に習うことを習える基礎ができていなければ昇段して2段のことは習えるはずはない、と信じているからです。 つまり、5段であれば6段として習えるようになれる準備となる事を習うわけです。 自分を知ることで自分が持っているその段での自分を信じられなければ昇段を拒否しても決しておかしくない、と私は感じるわけです。 さて、ご質問の件ですが、私は、「先生が早く初段を受けて下さい」と言う言葉は「もっともっとがんばって自分の向上を信じて一級として習うべきことをしっかり学んでください」といっていると自分に解釈させて欲しいと思います。 これは、ただ早く初段になれ、ではなく、早く初段が学ぶことを学べられるように自分を向上してくれ、と言う事ではないのか、と思うわけです。 そういっていると私は信じたいのです。 死ぬまで自分を向上させる道が人間全ての人に与えられたものだと私は信じます。 そして、その観念を体系付けて教えられるようにしたのが武道だと私は言います。 (それが正しいとか正しくないということはこの回答では言っていません) 自分を強くする、と言う事は自分にも(外にあるだけでなく)自分を負かす要因と言うものがたくさん在るからそれを何とかすることで自分を強くするということになるのです。 教え方が分からないのであれば習えばいいのです。 師範や先輩を見て習うのです。 どうやって彼らが教えているのか。 どうやって白帯に教える時の教え方と一級を教える時の教え方の違いがあるのか、何を教えるのかではなく、どうやって教えているのか、です。 これを自分で師範や先輩から「奪う」わけです。 しかし、この「奪う」と言う行為は彼らからしてみれば「奪われる」のではないのです。 分け与える、のです。 ですから、師範や先輩は「分け与えられるものを持っていなくてはならない」と言う事になるわけですね。 分け与えられるものを持っているから(そして、分け与えるという姿勢があるから)「奪われても」全然痛くも痒くもないわけです。 ですから、ご質問の先生は「奪われてもいいように身につけろ」と言っていると私は感じるわけです。 教えることへの自分への不信があるのであれば、その不信があることをまず認め(ご質問からはそれは在るようですね)その自分の弱点を「克服」していかなくてはなりませんね。 そして、後輩によっては教え方を変える必要を感じるときもあるでしょう、また、自分の能力を見せ付けているだけと感じるときもあるでしょう。 教えることの出来る自分、それが「有段者」としての責任でもあるし実力でもあって欲しいのです。 よって、あなたには「早く初段を受けてください」と言う教え方が会うと先生は感じたのでしょう。 そして他の人には手に手をとって教える方法をとることもあるでしょう。 どちらにしろ、一級の人間を初段としての弟子を作る為の教え方であり、誰にどちらを(また他の方法を)とるかは先生の段としての「教え方」となるわけです。 弟子を見極める、のも弟子を持つ師範の「習うべき」事と言う事でもあるのです。 そして、自分を越す弟子を作ることは多くの先生の夢でもあるのです。 そのためには自分の全てを投げ出して奪われてもいい自分を自分なりに向上させていくわけです。 武道の道が一生の道だというのはここにも証明されているのです。 有段者を実力無しに作ってきてしまった「指導することが出来ない指導員」が日本に多いのは有段者になることが「目的」であるとされてきてしまった不運な「自称師範」を作ってしまった道場があまりにも多いからなのではないかと感じる私なのです。 ですから、先生に初段を受けろ、というのであれば、自分が初段を受けることに対して自信(過信ではなく)と誇りを持てるように今日から、そうです今日から、自分を磨くのです。 99.9%受かる自分を作って受ければいいのです。 すれすれに受かったけど良かった、なんていう無様なあなたにはなって欲しくないと先生は思っていると思いますよ。 早く受けるのではなく、受けられる自分を早く作れ、といっていると私は解釈したいのです。 私は仕事上いつ殺されてもおかしくない立場にいます。 ですから、今日が教えられる最後の日かも知れないぞ、だから今日俺から全てを採ってしまえ、と弟子に言わなくてはならない時が時たまあります。 死が私を奪うより長い間私を信じてきた彼らに奪われたいと感じるわけです。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

yamatodamashi
質問者

補足

詳しく、ご説明頂き、有難うございます。うちの先生は、貴殿のおっしゃる通りを思っているのかも知れません。この前の練習時も「何時初段をうけますか。」と言われ、一応、建前で6月頃にはと申し上げました。私の本音は勿論、受ける気持ちはありません。何故ならば、私の習っている目的が、体を動かし、気持ちのいい汗をかき、護身術を習得する為です。私は、武道で自分を向上させる為に習っていません。逆に向上しなくても構わないと思っています。ですから受けられる自分を早く作る気持ちは一切ありません。ゆっくりと牛歩の様に歩んでいきたいと思っています。私は人に教える性質ではありませんので、将来、初段を受けても指導は一切しないつもりです。それでも先生が無理押しをしたら辞めるつもりです。

  • denbee
  • ベストアンサー率28% (192/671)
回答No.9

No.5です。 >確かに先生を見ていて大変だなとは思いますが、前に立って基本練習をするなんて >なんと言うか、嫌ですね。 誰にでも最初はあります。初段だろうと、四段だろうと、初めて 前に立つときはみんなドキドキします。 >私が思うに初段ってまだ茶帯の気分が抜けていない様な気がします。 >2段、3段になって人に教えるのはと考える段階ではありませんか? 少林寺拳法は「人作り」を謳っています。入門したその日から、指導者となるべく修行を 行っているのです。 大体、人に指導することを避けて二段や三段になっても、人に指導するスキルが 身につくことはありませんよ。 別の観点で見れば、少林寺拳法で習った技を使う機会など、普通の人はそうそうありませんが、 人を指導するということは、社会に出れば必ず出くわすでしょう。 人を指導する経験は、その方向性さえ間違えなければ必ずプラスになります。 がんばってください。

yamatodamashi
質問者

お礼

何度も有難うございます。 >少林寺拳法は「人作り」を謳っています。入門したその日から、指導者となるべく修行を行っているのです。大体、人に指導することを避けて二段や三段になっても、人に指導するスキルが身につくこちはありませんよ。 私は、少林寺拳法って人の質の向上が目的だと思っていました。私自身、性格が指導者より下で動く性格ですから、指導者になる気持ちはありませんし、スキルも身につけたいと思っていません。ただ、健康的に体を動かし、気持ちのいい汗をかいて、護身の技が身につけたいと思っているだけです。それだけでは、少林寺を習ってはいけないのでしょうか?理屈ぽくなりました。すいません。

回答No.8

質問者様ではなくNo7さんへです。質問者様、ご容赦下さい。 本気で攻撃しない人、多いですね。少林寺拳法をやる人は本気で攻撃する習慣がないため、攻撃の下手な人が多いです。特に背負い投げ等柔道系の技なんてひどいもんだと思います。柔法もそうですが、剛法も正しい攻撃のできない人が多いです。武専など行くと、本当に顕著です。 しかし、それでは練習になりません。私たちの道場は、みんな本気で攻撃してきます。ミットを使ってのスパーリングもしますし乱捕りもします。柔道系の技はきちんと攻撃できないと反撃の技がかけられない(かける必要がない)と言われ、柔道の有段者に教えてもらい、何度も練習しました。 手首を握られて、技をかけ終えるまで相手が待っててくれるのも少林寺拳法くらいなものでしょう。私の道場では、手首を握られてちょっとでも止まっていようものなら、攻者の反対の手でパンチなりの攻撃が飛んできますから、技がかからなかったときや止まったときなど、瞬時に次の技へ変化させる習慣がつくし、次の攻撃が来たときのかわす習慣がつき、使える護身術となります。 蛇足ですが、演武においてまで、実戦的にアドリブをきかせてしまいます。本当は、私の振り突きに対して相手が屈伸でかわして・・・という予定だったんですが、私の振り突きがほんのちょっと遅れたために外押受け突で返されてしまいました。遅れたといっても見ている人にはわからない程度です。 私はNo6に3級技が一番難しいと書きました。剛法にしても柔法しても3級技が本当に完璧にできれば他の技はいらないからです。たとえば、逆小手を完璧にマスターしていれば、龍投げや逆手投げの変化技は必要ありませんし、内受突や流水蹴が完璧にできれば突天一や突天三は必要ありません。つまり、かからないと理にかなってないのではなく、少林寺拳法の技は、かからなかったときのことを前提として次の技が構成されているのです。 流派がなく、全国で同じことを教えているといわれている少林寺拳法ですが、実際には道場によって全然違うと思います。かたちばっかりで全然使えない技を教える先生もいれば、きちんと実戦基づいて教えてくれる先生もいます。 >指導者に何度もその疑問をしましたが、無視されました。 私もこの指導者についていたら今頃やめているかもしれません。 そういう点では私は道場や先生、他の練習生の方々には本当に恵まれていると思い感謝しています。

yamatodamashi
質問者

お礼

有難うございます。私の聞きたい事からは脱線していますが、私の練習している道場でも同じ事があります。確かに2級同志とか2級と1級でも本気では攻撃しませんが、先生は特に注意されませんので、なあなあになっています。

noname#32136
noname#32136
回答No.7

みなさんの回答を見てまた書き込みさせていただきました。確かに、NO5さんのおっしゃる通り、関節がかからないなら、目打ちなどを当てる。確かにそれは大切です。しかし、大前提として、力の強い相手にかからなければ理にかなっているとは到底いえないんです。知っていると実際かけられるのは大違いです。少林寺拳法の練習は本気で攻撃する、引っ張るということをまずしません。ここが他の格闘技とは大きな違いです。少林寺は確かに、スポーツではありません。しかし護身術をうたっている以上理屈だけでは済まされない時もあります。他の格闘技は技を教わり、スパーリング、乱捕りで使えて初めてその技ができたといえます。技のうまさだけだはないですが、そのあたりも追求して欲しいと思います。

回答No.6

No2,3です。 他の道院がどのような方針でやっているかはわかりませんが、少なくとも私たちの道院で、教える立場になったからといって自分の練習ができないということはありません。やり方しだいだと思います。No4さんのおっしゃるように人に教えるようになると、今まで言葉で理解していた技が、今度は技の理を知るようになり、自分の技もぐんと上達していきます。級や段が下の者から教わることってたくさんありますよ。 指導に当たってはなにも、先生しか知らないようなことをみんなの前でかっこよく教えようなんて思わなくたっていいのですから、自分のできる範囲ですればいいのです。 前に立たなくても、年少部が2人でやっているところに入っていって教えてあげるとか、級が下の人と組んだときに教えてあげるとか、はじめはそういうところからでもいいと思います。それも立派な指導です。 やる気があれば、級拳士でもできますし、三段取ったってできない人もいます。少林寺拳法の技で難しいといわれる技が3級に集結していますから、今、うまくない、教える身分ではないと思っているなら、初段に限らず、2段、3段になったからといって急に自信がついて教えられるようになるものではありません。指導に段位は関係ないのです。 自分にはできませんというのではなく、何ならできるか、これならできるということを考えてみてください。みんなの前で技をやるのは無理そうだけど、年少部3人くらいなら教えられるとか、準備体操なら前でて指揮を取れるとか。そうやって積極的になって自信をつけていければ、徐々に人の前でもできるようになると思います。

yamatodamashi
質問者

お礼

有難うございます。でも、先輩(二段)は、指導が9割で時間の取れた時に先生から三段技を習うので、直ぐに忘れてしまうとか。確かにそうだろと思います。指導すると自分の技が上達するのかも知れませんが、逆に自分の技をする時間は減るのも事実です。

  • denbee
  • ベストアンサー率28% (192/671)
回答No.5

三段です。 指導者を増やしたいというのは事実でしょう。 実際、指導者が少ないといろんなレベルの拳士がいるにも関わらず、 同じ内容の練習をさせざるを得ません。 指導で時間がとれなくなるというのは事実ですが、反面、人に指導することにより 「技の理に気づく」 という側面もあります。 人に教えていて 「何故この人はこの技ができないのか?」 「できるようにするには、どう教えればよいのか?」 ということを考えているうちに、自分自身で答えを見つける道になります。 (漫然と「教わったとおりにやれ」では指導する側もされる側も上達しません) 『自分程度が指導するなんて』 と考えているようですが、指導中にわからないことがあれば、 堂々と先生に聞けばよいのです。指導にかこつけた勉強だと思えばよいのです。 あと、NO.4の方が仰っている >例えば少林寺拳法の技って実際相手が本気で手首を掴んできたりしたらかかると思いますか?? >まずかかりません。 これは事実ですが、真実ではありません。 柔法がかからなければ、蹴飛ばすなり、突きを入れるなり、噛み付くなり 他の技に移行しなくてはいけません。 我々の目的は 「手首を掴まれた危険な状態から脱出すること」 であって 「手首を掴まれたときの技を正確にかけること」 ではありません。

yamatodamashi
質問者

お礼

有難うございます。確かに先生を見ていて大変だなとは思いますが、前に立って基本練習をするなんてなんと言うか、嫌ですね。今は、先輩が前でしていますが、それに従っている方が楽です。少林寺拳法を習いに来て、逆にストレスを持って帰りそうです。私が思うに初段ってまだ茶帯の気分が抜けていない様な気がします。2段、3段になって人に教えるのはと考える段階ではありませんか?

回答No.3

No2です。 お礼の回答を拝見し、質問者様の先生は、少なくとも自己の名利のためにあなたを昇段させたいのではないということがわかりました。 まず、道院長は普通、4段ではなれないはずですから、おそらく、何らかの事情があるのでしょう。また、先生のほか、1人しか黒帯がいなくて、道院が成り立つということは、先生もかなり大変な思いをされているのではないでしょうか。文章から察するに、かなりの負担をを背負ってるでしょうから、質問者様も小さなことでいいですから、前向きにいい道場を作ることに協力してほしいと思います。 先生のおっしゃることは間違っていないと思いますよ。 少林寺拳法は、社会に役立つリーダーや、指導者を育成することを目的に始められたもので、開祖自身も指導者になる気のないものは、来なくてもよろしいとおっしゃっていたほどだそうです。技はそのための餌です。かく言う私も質問者様と一緒で、人に教えるなんて・・・との思いがありますが、こんな考え方を変えるきっかけを与えてくださってるのが先生だと思います。もっと自信を持ってください、頼りにされているのですから。 また、何で月謝を払っているのにとおっしゃってますが、あなたの払ったお金、ご存知だとは思いますが先生の収入になるわけではありません。先生はボランティアみたいなもんです。むしろ、道場にかかる費用を自腹切ったり、出費の方が多いでしょう。それでも、一人でも多くの人が、自分に自信を持ち、人の役に立つ人間になって行く姿を見ることを生きがいに、道場を続けているのです。 半ばは自己の幸せ、半ばは他人の幸せ・・・ そんな先生の思いに応えて、小さなことでも道場のために貢献できることを考えてみてはいかがでしょうか。そして、会報や、副読本など、持っているものでかまいませんので、開祖法話などを読んで、もっと少林寺拳法について知ってみるといいと思います。まだまだこれからですから!私ももっともっと勉強して社会に役立つ人間になりたいと思います。お互い頑張りましょう! 長文失礼いたしました。

yamatodamashi
質問者

お礼

何度も有難うございます。うちの先生の段位は、2段の人に聞きました。そうなんですか、4段では先生になれないのですか。よくは知りません。ただ、私は今でも練習中に先輩(2段の人)から技が掛からないとかで指導をされています。その私が少年部で指導をして間違いを教えたら大変ですから、まだ教える身分ではないと思うのです。開祖先生が指導者育成の為と言われますが、別に1級から初段になったからと言っていきなり指導より、2段、3段になってからでも遅くは無いと思うのですが、如何でしょうか?

回答No.2

思うところのプラス面からとマイナス面からで回答します。 質問者様が、どれくらい稽古に励み、1級を取ってから誰くらい経つのかにも寄りますが、純粋に、門下生に成長してほしいということもあると思います。黒帯になれば、年少部の指導を任せたり、道場にとっても、本人にとってもプラスになると思います。少林寺拳法の目指す人間像からしても、早く黒帯になって役立つ人間として活躍してほしいという思いがあるのだと思います。 そういう思いが感じられないとしたら、先生の評価にかかわるからという可能性もあります。もちろん先生がそのような理由で昇段させているとは限りませんが、道場の門下生の人数や段位などで、先生自身の昇段ができないこともあるようです。 武階だったか法階だったか忘れましたが、先生が、もうひとつ上を受けたいのに、門下生が少ないから受けれないんだ・・・と聞いたことがあります。 あとは、あまりに昇段させていないと受けさせなさいと指導を受けたり他の道院の先生方から悪い噂が立つ可能性もあります。まぁ、これはまれなことですし、5年も10年も1級というわけでもないでしょうし、この可能性は低いですが。 私としてはなるべくプラスに考えたいので、できればはじめに書いた理由と考えていただきたいです。

yamatodamashi
質問者

お礼

私の道場では、先生が確か4段だと聞きました。それと2段黒帯の人が1人で、後は茶帯が20人位です。先生は、早く初段をとって少年部を指導して下さい。と言われます。私は、指導なんて出来ませんし、皆の前で指導なんて恥ずかしいし、それに何で月謝を払っているのに人に教えなきゃいけないのと思っています。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.1

先生としては、できるだけ多くの段持ちを、高い段位を持っているものを自分の所から出したいと思うのは、どの道場、どの武道でも同じではないでしょうか。 それに指導者や継承者を育てるのも、指導者の務めだと思います。 昇段試験に受かるだけの実力を持ってきているから挑戦させたいという事もあるでしょう。 初段を取ると技に自信がつき、飛躍的に伸びるという人も少なくは無いはずです。 私は少林寺拳法ではありませんが、やはり初段を頂く前後では世界が違いますし、自分自身、段位を持たなければ「武道をやってる」とは公言できないと考えて稽古に努めてきました。どんな種目でも、初段になってからが本当の出発だと思います。 せっかく勧めて頂いているのですから、取ってはいかがですか? それに、いつまでも体力が続く訳ではありませんから。

関連するQ&A