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聖武天皇の公共事業と民衆
聖武天皇は多くの公共事業をしましたが、これによって民衆はどうなったのでしょうか。すなわち、十分な日当が与えられれば民衆救済になっただろうし、日当が足りなければ強制労働によって疲弊したということになると思うのですが、どちらなのでしょうか。
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律令制度下では「雑徭」という制度があり、人民は一定の日数労役を提供することになっていました。十分な日当どころか、「労役提供という形式の租税」ですから報酬はゼロです。労役期間の食料、往復の旅費は自ら負担しなければならなかったはずです。 大仏の建造や度重なる遷都による建設事業には多くの人民が「雑徭」を含めて動員されたはずですが「強制労働によって疲弊」する結果となったと推定されます。
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noname#26663
回答No.2
重税と労役。更に疫病の流行などの為に庶民は貧困していました。 これを見かねた和尚が雑炊を配り民を餓死から救っていると、 「いつかお上に楯突き一揆をそそのかす悪党であろう」 と捕らえる有様であったようです。 当時、あまりの重税と労役で田畑から逃げ出す民が後を絶たず、 これを武力で抑え付けていました。 その後、まるっきり逆の事をやってのけます。 大仏建立 墾田永年私財法。 仏教に深い理解を示しますが、 結果的には銅が不足し、物価が跳ね上がります。 律令政治の基盤が崩れつつありました。 そのため、 毒殺された説もあります。
質問者
お礼
仏教に理解があれば、大仏よりも貧民救済をすべきだと思うのですが、なぜ違う方向へ行ってしまったのでしょうか。それにしても毒殺されたという説もあるとは!ありがとうございました。
お礼
さっそくのご回答ありがとうございました。NHKの「そのとき歴史」では、大仏建立などに好意的な評価をしていたのですが、やはり民衆は疲弊したと考えるべきなのですね。