古代ギリシャ哲学で、義だったか善だったか忘れましたが、今回 義も善も同一として考えるとして、、、、
集団全員が同じ思考だと、たとえ間違えていても、善としか思えませんよね。
これはいくつかの宗教が正義とう名目で大量殺人をやっていることと同じことです。
大量殺人 のっとり行為ですが、それは善だとその宗教は言い張っています。
その宗教全体が同じ思想なので、日本人が見て大量殺戮 強奪としか思えない悪事を、その宗教・国家は全くの善とて、暴力と威嚇と強迫により他の国を脅して文句を言わせないようにしている。
その宗教・国家がヤクザ・マフィアなわけです。
宗教という名の麻薬を信者に与え、奴隷としてしまった。
全くの欺瞞で愚かな宗教団体ですが、、、彼らは気づきもしない。
全体が同一の思想になるよう刷り込まれてしまったからです。
自分達の教義を疑うと死んだら地獄に落ちると刷り込まれたので、疑う自由も許されない奴隷が信者の実態です。
さて、古代ギリシャ哲学では、義を証明するにはどうしたらいいかと考えたようです。
それは、全ての善をその人から剥ぎ取ってしまうというやり方。
例えば何か善をやった褒美として名誉を与えられたら、その人はその褒美のために善をやったのかもしれないですよね。
あるいは誉めてもらうとたくらんでやったかもしれない。
それではその人が本当に義なのか証明できない。
そこで、その人から全てを奪うのです。
名誉も地位も財産も全て奪い取って、鞭打たれ槍で突かれ十字刑になろうと、最後まで善を訴え続けた場合、その人は善だとなる。
こう古代ギリシャ哲学では考えたようです。
確か紀元前、、、何百年頃だったか忘れました。
お礼
>集団全員が同じ思考だと、たとえ間違えていても、善としか思えませんよね。これはいくつかの宗教が正義とう名目で大量殺人をやっていることと同じことです。 そうですね、かつて日本でもオウム真理教がそうでしたね。 とても詳しい説明によるご回答ありがとうございました!