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究極の合理化社会とは・・・
先ほどふと考えたのですが、人間社会の合理化を極限まで推し進めていったら、どのような世界になるのでしょうか? 私は究極の合理化とは"人類の滅亡"だと考えていますが、それではあまりにあっさりしているので(←わがまま)人類の滅亡の一歩手前の合理化社会について考えを教えてください。 以上を踏まえて出した私の考えは、人間の野生化です。ライオンやゾウと同じように100パーセント食物連鎖の中で生きていく社会です。最も合理的、かつ維持可能な社会になると思います。 ぜひとも皆さんのご意見をお聞かせください!!
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合理化を推し進める状況にあるのが、合理的な状況だと思います。 つまり、究極の合理化の一歩手前であれば、そこから自律的に究極の合理化に進化できなければならないと思います。 なので、究極の合理化が「人類の滅亡」であれば、それを成し遂げられる能力(合理化を推し進める能力)が無ければ、合理化しているとはいえないと思います。なので、仮に完全な野生状態だったら、自らで人間を滅亡させることは出来ません。ゆえに、合理化とは程遠い状況だと思います。 また、何をもって合理的かもわかりませんが、今ある状況で、合理化の尺度として成り立つのは、人間の感覚だと思います。仮に完全な野生状態だとしたら、それが合理化であるか判断する尺度もありません。 その二点から、私は合理化とは野生化とは対極にある、理性に基づく(理性に縛られた判断しか出来ない)ことであるので、合理化に向かって進捗している状況こそ、合理的だと思います。 まったく答えになっていなくすいません。 結論は日々が合理化のフロンティアということで。。
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社会を存続させようとする意思のない社会、自立した社会が、最も合理的な社会だと思います。野性化の真逆です。人間が、誰にも支配されず、自分自身を主としたとき、そうなると思います。飢餓を超越した社会、つまり、食物連鎖から逃れた社会の事です。人間圏だけで独立している、そのような状態です。自然環境を破壊もしなければ、その恩恵をあえて受けようともしない。完全に自然と調和がとれている、そのような社会を、もっとも合理的な社会と私は呼びます。
- tyr134
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「豊かな社会」を追及する限り、「合理化社会」は生まれないと思います。 言い換えてみれば、「豊かな社会」を目的とする社会は「自由主義経済社会」であり、「合理化社会」を目的とるす社会は「社会主義社会」となるかと思います。(「社会主義社会」につては、現実ではちょっと違いますが) さらに極論を言えば、「自由主義経済社会」は「弱肉強食社会」であり、「社会主義社会」は「徹底して管理された社会」と言えるかもしれません。 「豊かな社会」とは「無駄の多い社会」です。 人間が普通に生きていくうえでは、広い家・高級な車・豪華な食事・海外旅行、TVゲームetc... といったものは、「無駄」なものです。 それを追求することは、「合理的ではない」となります。 また、「農薬を使う→害虫ではなく有益な鳥を殺す→害虫が増える→農薬の量を増やす→さらに鳥がいなくなる→(以下ループ)」といった事は研究などによって明らかにされてきています。 しかし、人は農薬を使うことをやめようとはしません。(たとえ日本で禁止された農薬でも、禁止されていない海外で使う) 農薬を使って有益な鳥が死ねば、さらに農薬が売れる。農薬が売れれば、その企業や流通業界で働く人々が儲かる。そして、彼らの「豊かな社会」が実現します。 しかし、害虫を殺せないのに農薬を使うのは「合理的」ではないですよね? だから農薬を使うのをやめると、その業界で生きる人はみな貧乏になります。 こうなると、「合理化社会」は「豊かな社会」ではなくなりますね。 こう考えてくると、結論は質問者様とは逆になってしまいましたね。 つまり、「食物連鎖的社会 = 無駄の多い社会」、「徹底的に管理された社会 = 合理化社会」となるかと思います。
- corpus
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合理化は無駄をなくすことです。 つまり、便利になることです。 そして、働かねばならない時間が減少します。 それによって、時間が残ります。 この時間は無駄なものと考えられます。 さらに、無駄な労働をするということも考えられますが。 どちらにしろ、無駄なものができてしまいます。 ですから、合理的になるには、無駄を排除するために、これで終わった、といえないものを見つけるべきです。 それは、戦争や芸術でしょうかね。 どちらも終わりがないように思えます。創造と破壊を繰り返すことが、実は、もっとも合理的なのかもしれません。
お礼
>創造と破壊を繰り返すことが、実は、もっとも合理的なのかもしれません そうですね、それこそが世界を維持するための合理的仕組みなのかもしれませんね。なんだかさびしい気もしますが^^; 回答ありがとうございました◎
- Zuchi
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合理というのは方法であって、目的の達成に対して合理的に行動する事かと思います。目的の設定がないのに、結果だけが何故か見えているという思考方法も理解できません。 簡単に目的を設定してみましょう。 1.自己の保存 2.種の保存 3.種の繁栄 ぐらいの優先順位をつけてみましょうか。 最も合理的なのは「餌を食い尽くさずに済む最大数を常に保つ事」ですね。それより増えれば殺して減らし、それより減れば産んで増やせば良いのです。 しかし、同種を殺す事は1の条件を危うくし、3の条件に反します。反対に、これをやらない場合は餌がなくなり2の条件に反します。2の条件の方が優先度が高いので実行した方がマシですかね。 こういう思考方法もあるってことで・・・
お礼
回答ありがとうございます◎確かに何を以って合理化というかが決まっていないと回答しようがありませんね^^;回答していただいた皆様に改めて感致します◎ >最も合理的なのは~ 確かにその通りですね、すると究極の合理化の社会とは冷酷無比な冷たい社会ということでしょうか・・・。資本主義社会の宿命かもしれませんね><
- kamikazek
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縦一直線 横一直線しかないでしょうね。 縦一直線とは、質問者さんがいう食物連鎖・ 弱肉強食ですね。 横一直線とは、人が可能にできるだろう 「あらゆるすべてのものの平等化」ですね。 究極の合理化として2つだけ思いました。
お礼
なるほど、現時点で可能性があるのは縦一直線でしょうか。横一直線は人間の本質的に不可能ですよね・・・^^; 回答ありがとうございました◎
お礼
>究極の合理化の一歩手前であれば、そこから自律的に究極の合理化に進化 なるほど!確かにその通りですね◎合理化は人間の勝手な尺度でしかないですよね。う~ん、質問を根本から揺るがす回答でした>< ありがとうございました☆