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仏や神の力で平和を
- 紀元前世紀・2500年前、インド(ネパール)のシャークヤ国の王子(お釈迦さま)が出家して修行をした。
- 世界の一部では紛争や戦争が絶えず続いており、仏や神の力では平和を実現することが難しい現実がある。
- 日本の平和な状況と、他国の紛争や内戦が治まらない現状の対比が問われている。
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質問者が選んだベストアンサー
>仏や神の力で平和を は、不可能です。 キリスト教・イスラム教・仏教ともに、基本は「殺すな!傷つけるな!」なんです。 が、各宗派間で争っていますよね。 北アイルランドなんかは、キリスト教の宗派間の争いです。 アラブでは、イスラム教の宗派間で争っています。 ミャンマーでは、仏教徒がイスラム教徒を攻撃しています。 日本でも、かつては天台宗僧兵が浄土系寺院を攻撃していますよね。 天台宗でも、延暦寺と三井寺が抗争を繰り広げていました。 江戸時代には、カトリック教徒の島原軍に対してオランダ海軍が攻撃しています。 清水寺管主が「正解宗教会議」を開催して「平和」を呼びかけていますよね。 が、残念ながら「どの宗派も、自分が正しい」と考えているので(宗教で)戦いが無くなる事はありません。
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- g27anato
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平らかに穏やかに、戦わずして争わずして暮らせる事が、人々の望む平和です。 …「命を懸ける」のが「立派」とするのは、 争いの場において用いる論法ではありません。 用いる言葉を誤ると、同調する人々の心は戦い争いに向けて転落を始めます。 物事を説く為に用いる言葉は、使い方を誤ると人々を奈落の底へと導く道具にもなります。 他者に対して持論を説くには今一度、 用いる言葉の使い方を見直してみる必要が有りそうに感じます。
お礼
有り難う御座いました。
補足
攻める為に命を懸けるのでは有りません。家族国民を 守るために、防御するために命を懸けているのです。 攻めてくるのに何もせずに殺されるのは悔いが残りま す。例え家族を国民を自分を守れ無く死んでも、命を 懸けた行為は、仏より神より尊いと思います。そう思 います。
平和とは戦争が無い状態ではなく、国家や民族や宗教の戦争に妨害されずに自分自身の戦争に専念できる状況を言います。自衛隊の海外派遣が尊いのは、それをやりたい人がやりたくてやっているから尊いのであって、外国に出かけてテロリストを殺すことがケーキを作ることより立派だという理屈は、日本の正義とは違います。質問者殿を徴兵して自衛隊に入れて紛争地に送れば質問者ご自身としては今より立派な人生になるのでしょうが、xitianは他にやりたいことがあるので、みなさんといっしょに足なみをそろえて危ない場所を行進するなんかまっぴらごめんと言うわけです。
お礼
有り難う御座いました。
補足
自衛隊員も戦地に行きたい人は誰もいません。 内閣総理大臣の命令で日本国民を守るために 間接的に防御しているのです。特別職国家公 務員に成って任務を果たす。「災害派遣・間 接侵略・直接侵略」が主で、「海外派遣」は 国費(税金)で支援していたのを、海外各国 から批判を浴びて、人的支援に切り換え自衛 隊が派遣される事になったのです。命を懸け て日本国民の為に間接的に防衛しているので す。自衛隊員の中には「自殺・精神障害等」 報道されていない事実もあります。
お礼
有り難う御座いました。
補足
仏の教えとは、見にくい宗教争い、なぜ仲良くなれない、 仏や神の意志に背いて、人々に平和を説いている。ナン センス、信徒や檀家から税金の掛からないお布施を頂き 生きている輩と言う事を思い恥ずかしくは無いのだろう か。