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「罪」と「刑」

よく少年法などの議論の中で、「未成年だから罪は軽くなる」といった表現に出くわします。 法律に関して素人である私の感覚では、「“量刑”は緩和されることがあっても、“罪”自体は成年であろうと未成年であろうと変わらない」となりますが、法的概念ではどうなるのでしょうか? 「罪」と「刑」の関係がよく分かっていないのですが、どなたか教えて頂ければ幸いです。

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noname#61929
noname#61929
回答No.5

#3,4です。 わたしの書き方が悪いのかもしれませんが、「矛盾」というのは適切ではないです。 >完璧な法律など作りようもないわけですから、様々な社会問題の解決策を法律に求めるのが無茶なのかも知れませんね。 これがまさに問題のつぼなのです。 そもそも、法律は何のために存在するのか。全ての法律は「利害関係の調整のために存在する」といって過言ではありません。つまり、人間社会というものは、特にそれが発展すればするほど色々な対立利益、色々な価値観というものが複雑に絡み合って存在することになります。この雑多且つ複雑な異なる利益調整を行うのが法律の機能、言い換えれば存在理由なのです。ですから、一見矛盾するように見えるとすればそれは法律が矛盾しているというよりも「社会に存在する対立利益が矛盾している(ように見える)」ということなのです。それを法律に取り込んでいるから「矛盾」しているように見えると。しかしながらそれは「相対する利益、理念、思想、価値観」という端から同化し得ないものであって、いわば「矛盾を超越した次元のもの」なのです。それを法律という一つの枠の中に押し込んで相互の調整を図ろうとしているだけのことなので、矛盾というよりは「はじめから相容れるわけがないもの」なのです(ちなみに民主主義の多数決原理の本質も同様に考えることができます。端から同化し得ないからこそ最後は「多数決」だと。そうでないという論者もいますが)。 時々、「法律は複雑」とか「難しい」とかいう意見がありますが、実は本当に複雑で難しいのは「社会(現象)」なのです。その社会ができるだけ円滑に動くようにするための一つの技術が法律というものなのです。しかし、しょせんは「一つの」技術でしかありません。法律以外の技術を使うこともまたあります(道徳などは法律とは似て非なる技術です)。 法律は完璧からは程遠いものです。ですからしょっちゅう改正するわけです。しかし、だからといって人間は現在に至るまで法律に代わる道具を手にできていないのです。他に代わる道具がない以上、これに頼るしかないのです。重要なことは、法律には当然限界があり万能ではないということを理解しつつ、他の道具と上手く併用して法律という道具を使うことです。法律「だけ」で全てが解決できるなど夢思うことはできないのです(時々いるのですが、そういう法律万能主義な人が)。 同様に、「法律があいまい」というのもその文脈においては大概は正しくはありません。「複雑な社会現象を法律の条文というはるかに単純化した言葉で言い表すことの限界」でしかないのです。複雑なものをどこでどう区切るのかその境目が明確にならないのはある意味当然です。複雑で全て異なる個々の社会現象をできるだけ抽象化一般化するという作業が条文の起草であり、これが極めて困難と言いますか、完全な抽象化一般化は不可能ですらあるわけです。 無論、そのような観念的な法律の限界とは別次元の単なる立法の不手際でしかない法律もあります。もっともこれすらも「人が、複雑な社会現象に対応しつつ対立する多様かつ複雑な利益調整を図るための規範を抽象的且つ一般的に法規範として言葉で定立することの難しさ」の結果であるわけです。それが「複雑な社会現象を単純化することの難しさ」なのか「対立する多様かつ複雑な利益の落とし所を見つける難しさ」なのか「言葉で定立することの難しさ」なのかは、場合場合によりけりですが(これらを限られたマンパワーで限られた時間で行わなければならないわけです)。意図的な半端な立法も結局は、立法前の段階でこのような諸問題について十分に練りきれなかっただけ(その努力を欠いただけかも知れないにしても)ということに他ならないのです。

kito2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ご解説頂き、大変勉強になりました。 (飲み込みが悪くて申し訳ありません) とても深いテーマで、もっと色々とお尋ねしたいこともあるのですが、最初の質問内容とずれてしまいますので、これにて締め切らせて頂きます。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

noname#61929
noname#61929
回答No.4

少々誤解を招いたようなので補足をしておきます。 少年法自体が異質なのではなくてあくまでも「矯正可能性」というのが刑を軽くする根拠としては他の要素と比べると異質であるというだけです。「矯正可能性」は成人の刑事事件においても、全く考慮しないというわけではありません。ただ、少年の場合は可塑性とか将来とかを成人よりもかなり重視するという特性があるため「矯正」ということを重視するだけです。 少年犯罪の刑が軽くなる最大の根拠はやはり「精神的に未成熟な少年は責任非難の前提としての自律性を成人よりも欠く」ということです(その最たるものが刑事未成年の規定)。 現在の刑法学では刑罰の本質を「行為に対する応報」、つまり「自分の尻は自分で拭けという発想」であると捉えます(無論それが中心というだけで、全てではありません)。とすると、自分の尻を拭けない少年に対する責任非難の程度はやはり下がる、つまり罪としては軽いということになります。 ただ、それだけで全てが決まるのではなく、犯罪を犯した少年の処遇を、責任非難とは離れた、言い換えれば、刑罰の本質とは異なる側面から考えるという要素として「矯正」の問題というのが別にあるのです。その結果として刑が軽くなるのは、本来の罪の重さ、言い換えれば責任の重さによって刑の重さが決まるという話とは「異質」なのです。この矯正の問題は、成人の場合はせいぜい「情状の問題」となるに過ぎない(しかも一番問題になるのは死刑の適用の場合で、矯正の可能性がないことを死刑選択を回避しなかった理由とするという程度の消極的な考慮でしかないことも少なくない)のに対して、少年では少年法の理念によって比重がかなり大きくなっているのです。 しかしながら、少年においても刑罰の本質が「応報」であることに変わりはなく、その基本的な罪と刑の関係はやはり「責任非難の程度が罪の重さであって責任非難の程度に応じて刑が決まる」のです。

kito2002
質問者

お礼

再度の回答、ありがとうございます。 丁寧に解説して頂いて、大変よく分かりました。 現行の刑法もいろいろと矛盾を抱えているんだなあ、という感想を持ちました。(法的整合性という意味ではなく、もっと根本的な部分で) 完璧な法律など作りようもないわけですから、様々な社会問題の解決策を法律に求めるのが無茶なのかも知れませんね。 ありがとうございました。

noname#61929
noname#61929
回答No.3

そもそも「刑の重さ」は何を根拠に決まるのでしょうか?一言で言えば「罪の重さ」(言い換えるとすれば、「犯罪の悪質さの加減」)です。つまり刑の重さは(その)罪の重さを表しているのです(これは法定刑に限りません。処断刑も宣告刑も同様です)。ですから「刑が軽くなる」ということはつまり「罪が軽いから」ということです(*)。刑法では罪の軽重は法定刑の軽重を元に判断しますが、これは法定刑の軽重が類型化した罪の軽重によって決まっているからです(ちなみに刑法には「重い罪」という表現がいくつかでてきます)。 (*)もっとも少年法の議論における「矯正可能性」については、刑が軽くなる根拠ではあるが罪が軽くなるのとは異質である。 「罪の重さ」「刑の重さ」どちらの表現を使うかは、趣旨、文脈によります。もっとも、大概は大雑把(悪く言えば、いい加減)な話をしているだけなのでどちらを使っても大差がありません。 「罪の重さ」と「刑の重さ」を明確に区別する必要があるのは、「罪刑の均衡とは、科すべき『刑の重さ』は犯した『罪の重さ』に相応するものでなければならないということである」という文脈ぐらいでしょうか。 #「科される罪の重さ」は明らかにおかしいのですが時々見かけます。「犯した刑の重さ」というのと同程度におかしいのですがこちらは見ません。

kito2002
質問者

お礼

回答ありがとうございました 法的には「刑が軽い=罪が軽い」ということのようですね。 (少年法は異質なようですが) ありがとうございました。 疑問は解消されましたが、 「法律には被害者の視点は入り込む余地はないんだなあ」 という感想を持ちました。 私がこのことを疑問に思い質問させて頂いたきっかけは、 中学生たちとの会話の中で、話がふとある殺人事件の話題になり、 彼らが、 「僕たちは人を殺しても、未成年だから罪は軽いんだよ」 といった内容のことを口にした(あくまで冗談の流れですが)ことです。 私は、 「未成年でも成人でも“罪の重さ”は変わらないよ」 と言ったのですが、その後(本当にそうだろうか?)と 疑問に思い、ネットで調べたりして、ますます分からなくなって 質問をさせて頂いた次第です。 皆様にいろいろ教えて頂いて、多少分かったような気になっていますが、 #1の方がおっしゃるように法的概念を持ち出す問題でもないですね。 法律そのもの議論は素人には難しいのですが、 普通の子供が「自分たち(少年)は法律に守られている」という意識を 普通に持っている現状は、やはり問題があるなあと思ってしまいます。

  • utama
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回答No.2

刑法では、「罪」=「犯罪」は、「違法」かつ「有責」な(責任に反する)行為であり、かつ、「構成要件に該当する」行為とされます。 このうち「構成要件に該当する」かどうかは、するかしないかで決まるものです。しかし、違法性や有責性は、あるかないか、オールオアナッシングで決まるものではなく、個別の事情に応じて様々な度合いで評価されます。 ですから、同じ殺人という刑法199条の構成要件に該当する行為をしたとしても、違法性や有責性が低ければ、そのことを持って「罪(犯罪)が軽い」と表現することはあります。 一般的には、未成年者は、成人に比べて責任の度合いが小さいく、犯罪行為に対する有責性が小さいと考えられるので、大人に比べて「(有責性が小さい点で)罪が軽い」と表現しても間違いとはいえません。

kito2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 未成年は大人に比べて責任がないので、同じことをやっても罪は軽い、ということですね。 (この解釈でよろしいのでしょうか?) ご教授ありがとうございました。

  • nep0707
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回答No.1

>よく少年法などの議論の中で、「未成年だから罪は軽くなる」といった表現に出くわします。 私なら、こういう表現を見た瞬間に「法律の議論じゃないんだろうな」と判断します。 …でも、あたかも少年法の問題であるかのように聞き手に思わせる表現は問題だわな… >法的概念ではどうなるのでしょうか? 法的概念の説明をしてもしょうがないような気がします。 まず、罪と刑を定めているのは刑法ですが、刑法でも「重い罪」「軽い罪」という概念は原則としてありません。 あるのは「重い刑」「軽い刑」で、その軽重を決める方法も法律で定められています(刑法10条) で「刑の重い(軽い)罪」を単に「重い(軽い)罪」と表現することはあります。 …でも、少年の罪がどうたら、って話は、おそらくこれとは関係ないんでしょ? 刑法41条の刑事未成年規定(14歳未満の行為は不可罰)や 少年法で少年について成人と異なる刑事手続を定めているのは、主として刑事政策上の理由です。 つまり、ある意味、防犯のための法整備と同じで 「トータルに犯罪を少なくするための方法を模索すると…」という話です。 政策的な理由での規定なので、これまた法的概念という話とは異なるでしょう。 どんな罪が重い刑を課するべきで、どんな罪が軽くすべきかというのは、これは価値観の問題です。 やはり法的概念の出番はなさそうです。

kito2002
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 刑法上はそもそも罪に「重い」「軽い」はないということですね。 ご教授ありがとうございます。

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