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中国残留孤児について
少し前ですがこのカテゴリーで中国残留孤児の質問があり、多くの興味深い回答や史料が出たのですが、消されてしまっています。 再び質問を立ち上げたいのですが、よろしくお願いします。 私は終戦前のこと(満州事変、シナ事変、ソ連侵攻、満鉄、満蒙開拓団および引き揚げ時の悲劇等については、比較的知っているつもりですが、その後の残留孤児たちのたどった運命については詳しくありません。 ただ帰還したあの人たちのお顔の皺をみますと、過酷な体験をされたんだろうということは、容易に想像できます。 しかしまた、あの酷寒の土地で幼いときに実の親の手から離れて、よく生き延びたものだと感心もしています。そこで質問なんですが・・・ (Q)残留孤児たちが満州の人から受けた「心温まるエピソード」及び「ひどい仕打ち」等について、ご存知のことや参考となる本、URLがありましたら教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
私は当時奉天で終戦を迎えました。 難民になった人達の大部分は北満に住んでいた人達です。 奉天までたどりつけた子供はすくないとおもいます。 それでも収容所になった公の建物には、子供を買いに来ている満人が沢山 いると聞きました。女の児は二百円、男の児は百円ということでした。 満州の田舎にはまだ子供の売買の習慣がのこっていたのです。籠にいれた幼児を売っていたのを戦前に見たことがあります。 当時私は六年生で、ご近所を回っては食物や衣服をあつめて、収容所にとどけていましたが、死んでいるのか生きているのか判らない人達が、コンクリートのうえに筵のようなものを敷いて、びっしり横たわっていました。ガラスもなく、筵かアンペラかがぶらさがっているだけです。そのうち集めるものが、どこの家にもなくなってしまいました。戦に負けた民はみぐるみ剥がれなければならないことを、知りました.いのちがあることだけでも有難いことなのでしょう.大陸は自然環境が厳しいので、歴史的に,敗者から略奪するのは当然のことなのでしょう。 当然のことなのだと思います。
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- ymyt
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回答補足のご質問にお答えいたします。 近代史において欠かすことの出来ない満州を若い人達に知って貰いたいとの おもいで、昨年「みいちゃんの見た満州の最後」を文芸社から発行しました。私の体験を基軸にしながら、日本が満州とかかわりをもった起点、その後の満州国建設、そして,日本の敗戦にともなう終点、を中学生を対象に書きましたら,大人のかたがたも、NHKの子供番組のようで判りやすいと、おっしゃてくださっています。
お礼
ありがとうございました。
- buchi-dog
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ご承知とは思いますが、山崎豊子「大地の子」では、「心温まるエピソード」及び「ひどい仕打ち」のいずれも紹介されています。文芸春秋連載当時の山崎氏のインタビューでは「いずれもモデルは存在する」とのことです。 「大地の子」の最終巻には詳細な参考文献リストがあります。それを辿れば、より具体的な形で「心温まるエピソード」及び「ひどい仕打ち」が分かるでしょう。 ただ、No1さんも言っておられますが、本当に「ひどい仕打ち」を受けた例は情報として伝わらないはずです。本人が何の記録も残せずに異国の地で死んでしまっている可能性が高いですから。先述した「大地の子」の「ひどい仕打ち」も、天文学的確率の幸運で、生き別れた妹が死ぬ寸前に消息が分かったという設定になっています。実際はそんな幸運はあり得ません。
お礼
>本当に「ひどい仕打ち」を受けた例は情報として伝わらないはずです。本人が何の記録も残せずに異国の地で死んでしまっている可能性が高いですから。 まさに至言ですね。当方も想像力を働かせることにしましょう。 ありがとうございました。
- weber7009
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私が実際に聞いた話しでは「ひどい仕打ち」の方です。 ・ 家畜のように奴隷扱いをされた。 ・ 人身売買で家から家へ売られた。 ・ 常に日本人の子供として軽蔑の対象にされた(さらし者、見世物)。 以上です(この事実の裏には死んだ孤児が沢山います)。
お礼
ご回答ありがとうございます。 大変むごいことがあったようですね。 NHKや大新聞のニュースなんかの情報ではほんとのことはわかりませんな。
補足
貴重な御証言ありがとうございます。 特に国境付近に住んでいた人たちは、男手がなく女子供老人だけで、暴徒化した満人に身ぐるみを剥がれながらの逃避行は、悲惨なものだったと聞いております。奉天に着いたときの着衣は、ドンゴロスの袋から頭と手足を出しただけの人も多くいたらしいですね。 それでも日本人の間では助け合いがあり、回答者さんのように、苦しい状況ながらも、差し入れなど援助の手が差し伸べられたことを聞きますと、救われる思いがします。 >当然のことなのだと思います。・・・ 当時の満人のレベルからしますと、残念ながらそういうことと存じます。 さて、もう今の時代となっては、満州から引き揚げられた人の体験談を聞く機会はほとんどなくなってしまいました。 せっかくの機会ですから、回答者さんの内地への引き揚げのルートやその際のご体験をお話しいただければ大変ありがたいのですが。