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氏、姓、苗字について

 QNo.2565061に関連した質問です。ここの質疑を見て、あらたに私が感じた疑問について質問させていただきたく、識者の方のご回答をお願い申し上げます。  藤原惺窩、藤原貞幹に関する識者お二方のお説はよくわかりました。 Q1 藤原惺窩、藤原貞幹の御子孫のご苗字は、現在どのように名乗られていますでしょうか。ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。 Q2 藤原という苗字は、維新以前には存在しないとWIKIPEDIAに出ていますが、ほんとうにないのでしょうか。地名としてもありふれているような感じがしますし、藤原○○という武士や郷士があってもという気がしますが。 Q3 源平藤橘以外にも多くの氏があります。私の家は菅原氏ということになっていますが、苗字は別です。先祖が系図を買った可能性は否定できません(笑)。菅原氏などの他の多くの氏姓を現在そのまま苗字として名乗っておられる方は多くいますが、それらも藤原さんの場合と同じでしょうか。(ある神社の方も氏をそのまま名乗られていますが、この場合は正真正銘の本家ですからよろしいんでしょうけれども)

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  • tiuhti
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回答No.2

私もちょっと調べてみました。 A1.藤原惺窩については、↓のWebにあるように、一貫して冷泉(あるいは下冷泉)を苗字にしていたものと思われます。 http://www1.parkcity.ne.jp/sito/k54.html このサイトの末尾にある冷泉為柔は、明治中頃まで生きていた人で、↓のサイトでも、明確に氏が冷泉と認識されており、おそらく子孫の方もそのように名乗られていると想像します。 http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_number.php?number=41024 藤貞幹については、↓のサイトに僧家の出とあるので、おそらく藤原氏の血筋をひいていた(少なくともそのような伝承があった)事から、藤貞幹と名乗ったのだと思います。子孫についてはわかりません。 http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/tou.html A2.藤原という地名は、Gooなどの地図サイトで検索すると、結構な数がありますが、武士が領地としてその名前を使う可能性のありそうな、そこそこ広い範囲の、栃木県と三重県を見ましたが、栃木県は奥州藤原氏の末裔、三重県は貴族の藤原氏との関係から来たもの、と称されているようです。それとは別の、この二つを、領地としたから藤原氏を名乗った、という事はネット上からは私は見つかりませんでした。 A3.↓のサイトを見る限りでは、菅原氏も、藤原氏と同様に、分家毎に別の苗字を使用したように見えます。 http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02101.htm#001 尚、藤原氏が、近衛氏、二条氏等々に別れていったのは、藤原氏というアイデンティティや氏族としてのまとまりよりも、個別の「家」の方が重要になったからであり、菅原氏も同じ様な力が働いたと考えた方が無理がないと思います。 ただし、Wikipediaで「本姓」を検索して見て頂ければわかりますが、姓を苗字にした例や、あるは明治時代に本姓を変えた例もあり、一般論として「今の源さん」は絶対に「本来の源氏」ではない、と言い切れるものではありません。現実に、個々の○○というひとの、苗字(=氏)が藤原氏かどうかは、例外はあるにせよ、確認のしようがないと思います。こういう状況で、元々藤原さんで、明治時代になって、それをそのまま苗字にした人は絶対にいないか、と言われると、わからない、としかいいようが無いと思います。源さん、平さん等々と名乗る人の大部分が、元々平氏や源氏であったと考えるべきではありませんが、反対に、日本全国どこにいっても「本来の平氏、源起源の使い方をしているのが、誰もいない、という程の知識もありません。」

noname#24488
質問者

お礼

明快にして詳細なご回答ありがとうございます。回答者さんのご見識と調査能力には敬服します。 1。藤原惺窩については仰せの通りで、藤原を苗字にすることはないですね。  藤貞幹については、No.3さんに教えていただいたURLでは藤井貞幹=藤原貞幹のような記述が僅かにあったりして、藤原系かも知れませんが、仰せの通りはっきりしません。  まあ、このお二人は、学者やお坊さんということで、識者さんたちのおっしゃる化外の人(?)のようなもんだから、これ以上追求しないことにします。 2.教えていただいたサイトで自分の菅原を眺めていましたら、美作菅家党の中に藤原さんがいました。ここから本物の公家の藤原さんとは関係がなくても、れっきとした藤原さんはごく僅かですが存在しているように思います。全国の藤原郷を尋ねると、そのような藤原さんはいるかも知れません。  源平橘も調べようかと思いましたが、根気が続かずそのままになっています(笑)。 3.他の氏族については、本家本元がその姓を苗字として使っている例もあります。しかし支流の多くは別の苗字のようです。  まともに本家本元の姓を苗字としている方は、正真正銘本流の方もいれば、さだかではない方も多いということでしょうか。  昔に本家から別れ、伏流水のように地下にもぐり、維新のときに本家に断りもなく本姓をまともに名乗った方もいるでしょうね。    まあ、回答者さん仰せの通り、結論は出し切れないということにしたいと思います。  本当にありがとうございました。

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その他の回答 (2)

noname#101087
noname#101087
回答No.3

Q2について。  http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller の「データベース検索」で「大日本史料総合DB」を開き、「藤原」のキーワードをいれ[綱文]で検索すると、 なんと16260件もの項目があります。

noname#24488
質問者

お礼

 いい URL を教えていただきありがとうございます。早速利用させていただいてます。

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  • kigurumi
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回答No.1

あの。。。 識者でもなんでもない一般人ですが、質問に興味を持って調べてみたのですが。 Q1.  藤原惺窩 http://www.hyogokenshin.co.jp/discover/Miki/Miki2/miki2.htm 読みますと最初に仏門に入り、後に儒学者となったようですが、弟・妹はいたようですが、本人に妻がいたかどうか不明です。 弟・妹は名前すらわかりませんでした。 藤原貞幹は辿れませんでした。 Q2 「藤原という苗字は、維新以前には存在しないと」 まずは、本姓 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A7%93 【姓(本姓)と苗字(名字)の違いは、姓(本姓)は「天皇から与えられる」ものであるのに対して、苗字(名字)は「自分で名のる」ものである。また、姓(本姓)は、血統(血筋)を示すのに対して、苗字(名字)は家名であり家名の系譜を家系という。しかし、後世になると血統を示す姓(本姓)も形式的になる。というのも、姓が示す血統とは、氏の血統であり、必ずしも個人の血統ではないからである。 なお、源、平、藤原、橘は、姓であって苗字(名字)ではない。現在の源さん、平さん、藤原さん、橘さんは、その多くが明治新姓の苗字であり、歴史上の源氏、平氏、藤原氏、橘氏と必ずしも関係があるわけではない。ただし、一部には姓と苗字が同一である場合もある。また、明治時代に以前の苗字を捨てて本姓を新たに苗字にした事例もある。 安直に、現在の苗字から先祖を想像することは慎まなくてはならないが、苗字だから歴史上の人物とは無関係と考えるのも早計で、個々の事例を勘案することが必要である。】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F 【平安時代は、本姓の藤原を称するが、鎌倉時代以降は、姓の藤原ではなく、家名(苗字に該当)である近衛、鷹司、九条、二条、一条などを名のり、公式文書以外では藤原とは名のらない。 後に不比等が頭角を現すと、藤原氏が太政官を中臣氏が神祇官を領掌する体制とするために、鎌足流以外は元の中臣に戻された。 もしも本当に藤原氏一門なら近衛や九条のような藤原氏の歴史に残る家名の苗字となるはずである。それゆえ、現代の「藤原」さんは、歴史に登場する藤原氏とはまったく関係ないといっても過言ではない。】 http://episode.kingendaikeizu.net/10.htm 【藤原氏よ、「いずこへ~?」 実は、数世紀にわたって、大家族に膨れ上がった藤原氏は、日常生活を するうえでの紛らわしさから、便宜的にその居住地に由来する家名を 名乗るようになり、鎌倉時代あたりからそれは、次第に定着していった。 そして、例えばこの藤原北家のなかでも、道長・頼通の直系で、 摂政・関白になり得る最高の家柄を摂家と呼ぶが、 すなわち、それが、 近衞・九條・二條・一條・鷹司(たかつかさ)を名乗るようになる。 これが五摂家。 (明治の華族制度においては、最高位の公爵を授けられる)】 http://www.harimaya.com/o_kamon1/kuge_html/kuge_1.html http://www.harimaya.com/o_kamon1/kuge_html/kuge_3.html 家紋が・・・ 名前、変わっていますね。 従ってどうして今藤原さんという姓が、あの藤原氏とは血族的に関係ないと言われているのかわかってきます。 逆に変化した後の苗字を今継承している家だと、可能性があるわけですね。 一番てっとり早いのはDNA鑑定なのですが・・・ Q3  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%B0%8F 【子孫は累代公卿に列せられ、朝廷における文章道の要職を独占。その後近世に至るまで高辻家、五条家、東坊城家、唐橋家、清岡家、桑原家の6家の堂上家を輩出するにいたる。】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E7%9B%B4%E4%BA%BA 【菅氏 中世の岡山県に勝田郡を拠点に活動し菅原道真の末裔を称する美作菅家党とよばれる武士集団があった。その一族の有元佐延の孫・佐常は下神目村に住み菅納左近と称して菅氏の祖となる。菅直人の父祖は代々下神目出身で、その末裔である。なお江戸時代の菅家は庄屋を務めた家であり現在も下神目には菅という名字が多く家紋は菅原氏の紋の梅鉢である。美作菅家党は有元家を宗家として近世作州の名門とされ、蓋然性として高いといわれる。一方、系譜の正統性は未詳。父祖の出自に関して鎌倉時代に台頭した有力農民あるいは土豪ではないかとする声も一部にある。 】 もし、菅直人氏が菅原道真の子孫だと主張するとしたら、DNA鑑定が必要かもしれません。 でも、大宰府にいって「ちょっとDNA採取したいので」っていえる人はいるのか??? ちなみに菅原を辿っていくと相撲の神様に辿りつきました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%AE%BF%E7%A6%B0 DNA鑑定・・・無理です 笑

noname#24488
質問者

お礼

長文のご回答ありがとうございました。

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