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「ひなた」と「ひだまり」の響きと文学性
日本語を勉強中の中国人です。「ひなた」と「ひだまり」の響きはどちらがよいでしょうか。より文学的な表現になるのはどちらなのでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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こんにちは。awayuki_chさんの質問、いつも興味深く拝見しています。私は日英翻訳者です。中国語も少しやりましたがいつまで経っても初級レベル……(^_^;) ひなたとひだまり、ですか。 どういう文脈で使うのかにもよると思いますが、ひなたとひだまりは完全にイコールではなく、意味するもの(イメージ)が若干違うと思います。 「ひなた」は「日陰(ひかげ)」の反意語ですから、日の光が当たっているほうとか、その場所。私の感覚ではひだまりよりも若干陽光が強めのような気がします。ひなたぼっことか、ひなた水(夏などに、太陽光で水が少しだけ温まっている状態)とか言いますので。小学校の理科では「ひなたとひかげで、温度の上がり方を比べましょう」とか言いますので、特に文学的色合いのない、単に日があたっている場所かそうでないかを区別する言葉としても使えますし、「お布団はひなたのにおいがした」等と、ちょっと郷愁をこめた口語として使う場合もあると思います。文学の中でも使われます。下記サイトは「青空文庫」に収録されている文学作品の中で「日なた」を検索した結果です。 http://www.google.com/search?as_dt=i&as_sitesearch=www.aozora.gr.jp&lr=lang_ja&ie=euc-jp&num=20&as_q=%C6%FC%A4%CA%A4%BF&btng=%B8%A1%BA%F7 「ひだまり」は日が溜まるという言葉からきています。溜まるということは、ある程度まとまった形や量がわりと狭めの場所に満たされてある、というような意味。つまり本当は溜まっている形なんて目に見えないけれど、それを日が溜まっていると比喩的に表現することで暖かさやまあるいイメージを醸し出している。そういう意味では、こちらのほうが文学的かなとも思います。ある狭い一画がお日様の光でぽかぽかと暖かいとか、のんびり、ゆったり、満ち足りたイメージ、幸せなイメージもあり、よく「まどろむ」などという言葉と一緒に使われると思います。「ひだまりの詩」(ル・クプル)という歌のタイトルもありましたね。俳句などでも使われてるようです(下記リンク)。 http://haiku.blog.livedoor.com/ichiran.php?kg=9512 例文を少し思いつくままに書いてみましょうか……。 そのブラウスは色があせるからひなたに干さない方がいいよ。 今日はひなたにいる時間が長かったからかなり焼けちゃった。 ひなたでお昼寝って幸せだわー。 その鉢植え、たまにはひなたに出してやったら? 庭のひだまりで揺れているコスモス。 公園のひだまりでうとうとしている三毛猫がいました。 縁側のひだまりでお昼寝。 彼女は、例えて言えば春のひだまりのような温かい人です。 なお、ひなたは「ひなた」「日なた」「日向」とも書けますし、ひだまりも「ひだまり」「日だまり」「日溜まり」「陽だまり」などと書くことができます。私個人的には「ひなた」「陽だまり」っていう書き方が好みです。 少しでも参考になりましたら幸いです。
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- -ROM
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それに対して、「ひだまり」という名前を寡聞にして耳にしない理由を考えてみました。 日本には飛騨(ひだ)という(地名や)姓が存在し、真理(まり)という名が割と多く存在すること。そのため、「ひだまり」という音を耳にすると、それだけで「姓+名」であるかのように聞こえ、名として適切だと思う人がほとんどいないからではないかと思います。
お礼
度々ありがとうございます。「ひだまり」という音を耳にすると、「姓+名」のような感じなのですね。面白いです。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
- -ROM
- ベストアンサー率35% (33/93)
No. 1 です。 外国の方から日本語について指摘/質問いただくたびに、とても興味深いものが得られると思っています。 子どもの名前についてですが、そうですね。確かに名前として使用する頻度から考えれば、それが高いほど雅語的色彩が強くなるのではないかという考えは理解できます。「ひなた」という名前は女の子に多いと憶測するのですが、1. 日本では女の子に音で三文字の名前をつけることが多いということ、2. ひなたの元の漢字とは無関係に「ひな」は「雛」(ひな)を連想させるので、ひなたという名前が圧倒的に多いのではないかと思います。
お礼
再びありがとうございます。日本人の名前に使う「ひなた」について貴重な意見をお聞かせいただき大変嬉しく思います。二つの理由は大変参考になりました。奥深いです。 「ひだまり」に濁音が入っているので、以前は「ひなた」のほうがきれいだろうとも考えたことがあります。もしかして、発音だけから聞くと、濁音が入っていない「ひなた」のほうが耳ざわりがなく、響きがよいのでしょうか。 本当にありがとうございました。
- gekkamuka
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日の当るところが「日向(ひなた)」であり、その当り具合が「日当たり」加減であり、とくに寒さの厳しい冬季の「ひなた」においてほっこり」と「温(ぬく)み」を感じさせる「日当たり」加減が「ひなたぼこり→日向ぼっこ」であり、それは冬の日差しで温(ぬく)みが溜(たま)まった意味で、光という側面よりも、温度の温もりという度合いから「日だまり」となるのでしょう。 他方、おなじ日差しではあっても、その温度面は殆んど殺(そ)がれて、ひたすら光線の側面に意識が行けば、「光の箭(や)」であり「光の剣(つるぎ)」という先鋭なイメージともなりましょう。 お国の詩人にもそんな素晴らしい表現があります。 「胡蝶」 死んだ胡蝶、愛しい人の胸に飾られる のは死んだ胡蝶 …… 死んだ胡蝶、春の塔の下に現れた私のイメージの豹のように …… 死んだ胡蝶、生あることを知らないのに、死あることを知るはずもない ひらひらと落ち葉が舞い、都長安に散り敷く ひとすじの陽光が悲しみの内臓(はらわた)を斜めに差しつらぬいていく ─是永駿訳「戈麦(ゴーマイ)詩集」─ この素晴らしい「陽光」に接すると、文学性うんぬんなどとはたんなる言葉に宿るものではなく、その作品に、その表現に、つまりはその文章の遣い手の内面性にこそあるのでは…と、思われもします。
お礼
いつもお世話になります。 単語の構成から詳しく説明していただき誠にありがとうございました。大変参考になりました。 「光の箭」、「光の剣」という表現方法もあるのですね。夏目漱石の優れた表現、強い雨脚のたとえ「銀箭」を思い出しました。恥ずかしいことに、戈麦という詩人は知りません。調べてみたら、中国の現代の詩人だそうですね。残念ながら、自殺したようです。「胡蝶」の最後の一文はとても鋭いですね。原文の中国語を読みたくなりましたが、残念なことにネットで見つかりませんでした。
- shigure136
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awayuki_ch さん、こんにちは。 「ひなた」と「ひだまり」の響きと文学性、とても難しい質問ですね。 「ひなた」と「ひだまり」の共通点は「太陽が当たっていること」ですが、決定的な差異は、「その場所が暖かいか否か」なのです。 電車に乗ろうとしてプラットホームに上がってきてみると、1番線のホームには陽がさしていたが、2番線のホームは屋根が日差しを遮っていて日陰になっていた。人々は自然にひなたになっている1番線の方に立っていた。 私も皆と同じでひなたである1番線のホームに立って電車を待つことにした。 しかしこのホームは高架ホームの為、冷たい風がコートの襟から入り込み、思わず両手で襟元を閉じるようにして身を小さくしてしまった。 柔らかな日差しが川原の土手に降り注いでいる。二人はゆっくりと土手の上を歩き始めた。 しかし、川面を伝ってくる風は意外に冷たく感じられ、手の先がすぐに冷たくなってきた。 ふっと見ると、土手から少し下がった所に小さなくぼみが見えた。くぼみの周りには葦が生えていて、ちょうど風を遮る屏風の役割をしているようである。 二人は土手の斜面を駆け下りてそのくぼみに入った。 今までの寒さから解放された二人は、この陽だまりから出ることが出来なくなってしまった。 このように「ひなた」「日向」が、単に日が当たっている場所であるのに対して、「陽だまり」は日が当たっているだけではなく、その場所がとても暖かいことが条件だといえるのではないでしょうか。
お礼
shigure136さん、こんにちは。ご回答ありがとうございます。もともとは「ひだまり」に濁音が入っているので、「ひなた」のほうがきれいだろうと思いました。でも、「ひだまりの詩」という歌をきっかけに、「ひだまり」の響きのほうが「ひなた」よりいいのではと考え方が変わりました。しかし、最近、アンケートのカテゴリで子どもに「ひなた」という名前を付けることについての質問を目にし、もう一度「ひなた」のほうがきれいに聞こえるかと思いはじめました。両者の差異は「その場所が暖かいか否か」なのですね。例文の描写は生き生きしていますね。理解しやすくて、差異がよくわかりました。私もこのような文が書きたいです。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
- mariam
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文学に対して全くの素人の感覚ですが、「ひだまり」の方が文学的だと思います。日本語がとても上手ですね。文章を見た限りでは外国人とは分かりません。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございました。「ひだまり」の方が文学的なのですね。大変参考になりました。 励ましていただきありがとうございました。日本語はまだまだ下手です。これからも頑張ります。
- -ROM
- ベストアンサー率35% (33/93)
ひなたは単に日陰に対する対比しか思い起こさせませんが、ひだまりという表現は局在性と同時に穏やかさを暗示します。 「春の陽だまりの中でまどろんだ」とは言いますが、「春の日向の中でまどろんだ」とはあまり見聞しません。逆に、「鉢植えは日向になるところに出しておいてください」とは言いますが、「鉢植えは陽だまりになるところに出しておいてください」とはあまり見聞きしません。 陽だまりのほうが文学的に聞こえるのは、最初に挙げた理由によるものと思われます。
お礼
ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。陽だまりのほうが文学的に聞こえるのですね。理由はよくわかりました。アンケートのカテゴリで子どもに「ひなた」という名前を付ける方のご質問を拝見し、「ひなた」のほうが文学的に聞こえるかと思いました。私の勘違いでしたね。 本当にありがとうございました。
お礼
いつもお世話になっております。三ヶ国語ができて羨ましいです(^-^)。 とても詳しく説明していただき誠にありがとうございました。「ひなた」でも「お布団はひなたのにおいがした」のような素敵な表現があるのですね。もともとは単純に「ひだまり」に濁音が入っているので、「ひなた」のほうがきれいだろうと思いました。「ひだまりの詩」は素敵な歌ですね。この歌をきっかけに、「ひだまり」の響きのほうが「ひなた」よりよいのではと思いはじめました。日が溜まっていると比喩的に表現するのは「ひだまり」なのですね。納得できました。でも、最近、アンケートのカテで子どもに「ひなた」という名前を付けることについての質問が目に止まり、再び「ひなた」のほうがきれいに聞こえるかと思いはじめました。violet-sherryさんのおかげで、「ひなた」と「ひだまり」は完全にイコールではないことに気づきました。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。