wy1さんがANo.5にておっしゃることは概ねそのとおりだと思います。
16世紀にフランス宮廷に嫁いでいったのは、カトリーヌ・ド・メディチで、彼女がイタリアの先進文化をフランスに伝えたのは事実です。
補足ですが、カトリーヌ・ド・メディチはシャーベットやお菓子のレシピだけでなく、男女が共に食卓を囲むというような文化風習もフランスにもたらしました。また同時に音楽家やダンサーをフランスに連れて行ったということです。
音楽の話で補足すると、(カトリーヌ・ド・メディチよりも)後の時代のルイ14世と共にフランス独自の音楽追求していった音楽家は、ジャン・バティスト・リュリで、この人も実はイタリア人でした(まぁ皮肉な話ですが)
(あとココからはさらに細かい話ですが、トスカーナ大公家になりあがったメディチ家の基盤はローマではなく、フィレンツェでしょう。
さらに細かい話ですが、カトリーヌ・ド・メディチがフランス王家に嫁いでから数十年後の1569年にはじめて、メディチ家は貴族としての爵位・トスカーナ大公の称号を得たことになります。
それまでは、いくら金持ちでもただのメディチ家であり、その当時は事実上の平民と王家の婚礼ということで大スキャンダルでした)
しかし17-18世紀はもちろん、ヨーロッパ中の宮廷ではフランス語が公用語でしたし、フランスの宮廷文化は憧れの的でした。(19世紀になってもフランス語が、その文法的な明晰さゆえに公式言語として国際会議などで使われていたことは事実です)
問題はそれゆえ、というか、ウラハラにというか、ある種の(鼻持ちならぬほどの)スノッブさを、フランス文化に対して感じるのは日本人だけでなく世界中共通の反応となってしまったようです。
特にドビュッシーやラヴェルが活躍した19世紀後半以降のヨーロッパでは、自国文化を尊重しようというナショナリズムの嵐がまきおこってきましたから、フランスの作曲家が大衆的とはいえない高雅なイメージを意図してまとおうとしたのも事実でしょうね。
この二つの側面が噛み合って、フランス音楽というとある種の拒否反応を世界中で示されるようになったのでしょう。
ルイ14世の文化政策などについて、ネタ本的にパラパラと読めるのは↓の本
堀江宏樹(竹書房)「後宮の世界」
ちなみにルイ14世などのバロック時代のフランス音楽について、かなり詳しくわかりやすいのは↓の本です。
竹下節子(音楽之友社)「バロック音楽はなぜ癒すのか-現代によみがえる心身音楽-」
日本における、おフランス音楽受容については古い本ですが、↓を読めばその高踏派なイメージはつかめると思います。
斎藤磯雄(三笠書房)「フランスの歌曲」
フランス人によるフランス(の近代)音楽に対する音楽哲学的なエッセイは↓を。
ウラディミール・ジャンケレヴィッチ「ドビュッシー : 生と死の音楽 」、「夜の音楽 : ショパン・フォ-レ・サティ 」「フォーレ : 音楽から沈黙へ 」
まぁ、一口にフランス音楽とはいっても、ドイツ音楽との間に接点をもとめようとしたセザール・フランクなどの作曲家や、わかりやすいところでいえばサン=サーンスなどがいるので、簡単に語れるものではありませんが。
ちなみに「むずかしくない」フランス歌曲のCDも出されています。これにはマリー・アントワネット王妃の作品も収録されてます。
唐澤まゆこ「アントワネット」
お礼
媚を捨てていたということなんですね。それで受けがよくなかったのがフランス音楽用語もぜんぜん受け入れられなかったということかもしれないですね。