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人殺し
殺人は悪だと思いますか?
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- sterstyle007
- ベストアンサー率15% (2/13)
まぁ少なくとも殺人は善ではないかな? ホッブズは、殺人を押さえつけないと「万人による闘争」になってしまうと考えましたが、それについてはどうお考えですか?
- samarukando
- ベストアンサー率18% (17/93)
まず、殺されるのはあまり好きではありません。 この問題は、法律できめられるものではなく、宗教などのドグマできめられるものでもなく、多数決できめられるものでもないと思います。 それは一人一人の感性の問題です。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
殺人、つまり人の命を奪う行いについてですが、特に理由 は無くても、たいていの人は「悪」と答えるでしょう。 しかし、理由を考えると答えに詰まります。 この問いに対して、明快に答えられるのは宗教だけです。 特に一神教です。日本人にはなじみが薄いですね。 では一神教(例えばキリスト教)ではなぜ殺人が罪であり 悪かというと、人の命は神が与えたものであり、それを 人が勝手に奪うということは許されないからです。 例えば、最近はそうでもないらしいですが、一昔前のキリ スト教では自殺も罪であり、教会で葬式をしてもらえなか ったそうです。 それでは宗教を信じない人たちはどうかというと、殺人は 必ずしも悪ではありませんでした。 わかりやすいのは共産主義の国家ですが、社会システム上 殺人罪というのはあったようですが、社会システムの安定 を守るため、あるいは政府の権力を維持するために、当局が 不穏分子とみなした人たちをどんどん粛清(=殺人)していきました。 なぜ共産主義の国家では人の命がこんなに粗末に扱われる かというと、思想的に人の命に絶対的な価値が無かったか らですね。人の命よりも政府の権力維持や社会システムの 安定の方が、大事であったからです。
- _hiroya_
- ベストアンサー率5% (2/34)
悪は悪として純粋です。 悪は悪として正しくあるのです。 善と悪に苦しむ人間は不純です。 善と悪を差別しない人間は純でも不純でもない。
#12 seinaです。 > 法律には矛盾が含まれているに正しいと言えるのでしょうか? 法律が正しくはない部分はあります。矛盾も、粗もありますし。 けれど、法律は『基準』ではないでしょうか。違反すると、注意や罰金や拘束がある『決まり』ですね。 取り敢えず無難にやっていけるように定められた基準ですかね。 その基準全てを盲目的に信じる気にはなりませんが、この場合はまぁ、「正しい」とみて良いんじゃでしょうか──現在の倫理観からすると、ですが。 ──駄目ですね。素人な所為か、結局道徳に還ってしまいます(汗)
- FFMAN
- ベストアンサー率21% (15/69)
No.4の方への補足についてコメント > 今ある法律的、道徳的、宗教的規範は本当に正しいのでしょうか? 上記の疑問は成り立たない(答えを得られない)と考えます。 悪を規定する今ある法律的、道徳的、宗教的規範といった「規範や基準やルール」(以降、規準群に略)に、正当性を問 う余地はないと思います。悪を判断するには規準群が必要なように、何らかの正当性を判断する場合でも、規準群があって 初めてそれが可能になるということは同意していただけると思います。 ところで、悪を規定する今ある規準群に対して、その正当性を規定する規準群はありますか? 私はないと思います。そして実際ないのだとしたら、「今ある法律的、道徳的、宗教的規範は本当に正しいのでしょうか?」 という疑問は、判断不能な疑問ということで、成り立たない(答えを得られない)と考えます。 しかし、仮に悪を規定する今ある規準群に対して、その正当性を規定する規準群が存在するとしたならば(別にこれか らつくられる可能性だってある)、その場合には「今ある法律的、道徳的、宗教的規範は本当に正しいのでしょうか?」 という疑問は成り立つのでしょうか(答えを得られるのか)? 私の考えでは、答えは得られるが、同様の疑問が無限に続く可能性があることを指摘したいと思います。つまり、悪を規 定する規準群に対して、その正当性を判断できる規準群があるので、この疑問は成り立つ(答えを得られる)。しかし、 その正当性を規定する規準群が「正しいかどうか?」という疑問が残る。それを解消するために、新しい規準群をつくる。 以降、循環。 そもそも、どんな規準群にせよ、それ自体の正当性に疑問を投げかけるというのは意味のある行為なのでしょうか? 規準群というのは、その正当性が前提とされていて、それが失われてしまうと役に立たなくなります。規準群自体の正当性 を疑うと機能しなくなるのです。悪を例にとってみますが、悪を規定する規準群の正当性に、疑問を抱いている人がいたと して、その場合殺人は悪だ、という判断や、殺人は悪でない、という判断をはたしてできるものなのでしょうか? 少なくとも自信をもって判断はできないはずです。「殺人は悪だと思いますか?」という疑問すら抱きそうな気がします。 (言い訳はなさけないけど、ちょっとしたユーモアのつもりの例えなので、気分を悪くしたらごめんなさい) 結論として私が言いたいのは、規準群とはそれ自体の正当性を問えるものではないということです。その正当性を疑った人 は規準群の恩恵を得られなくなり、その正当性を保証するために別の規準群を利用しようとする人は、無限に循環するのが 落ちとなる。規準群の正当性は、ただそれを正しいとする以外の何によっても保証されず(だから疑問を抱いたところで答 えがない)、宗教のように受け入れるか、否かにかかっていると思います。
- jume
- ベストアンサー率46% (71/152)
その前に、悪って何ですか?とりあえずあなたの見解でよいので、その辺をはっきり示してください。
補足
私にもよくわかりません。ただし法で定められているものだとは思っていません。僕の中で悪だと思っているのは「覚悟のない者」です。
- mcqgogo
- ベストアンサー率25% (19/75)
悪です 日常の感覚が大切です 普通の人はそれを知っているから車にも乗れる、殺したくないし殺されたくない 人は悪いと知っていてもそれをすることがあります その時にはいろいろ理由を考えます 当たり前のことをするのに理由は要りません
結論はから言うと、殺人以前に他の命を奪う行為自体が『悪』という意見です。 殺人が、人類にとって「必要最低悪」か「それ以外の悪」かという事だと思います。 哲学は、難しいですね。
>殺人を犯すどうして逮捕されるのか? これは善悪の問題ではなく 殺人を認めてしまうと報復の連鎖が起こり 国家なり社会なりといった 共同体が維持できなくなるという問題だと思います。 >殺人は悪だと思いますか? もし悪だというのなら 殺生はどうでしょうか? なぜ人間は殺してはいけなくて 他の動物は殺してもいいのか? ここにあるのは差別です。 時代が時代なら 白人は殺してはいけないが 他の人種は殺してもいい、と同じ理屈です。 要は、余裕の問題です。 余裕がないときは とにかく自分が生き残ることを考える筈。 少し余裕があったら肉親を守る筈。 もう少し余裕があったら同じ共同体に属す者を守る筈。 と、自分に近い存在から 余裕が広がるにつれ、だんだんと自分から遠い存在までを 守ろうとするんだと思います。 私は正直なところ 団塊の世代の人口の多さに疎ましさを感じることが 最近頻繁にあります。 でも、自分が殺されたくないので 殺人を許可する所には住みたくない、と だから殺人はいけないに同調してしまう そんな卑怯なレベルです。
補足
これは殺人は悪に分類されるということでしょうか?また「善と悪に苦しむ人間は不純」とありますが、善と悪に苦しむ人間は「善い」のか「悪い」のか(表現が適切ではありませんね)ということをご説明お願いします。