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富岡製糸場にフランスの技術
富岡製糸場にはフランス人の技術者が選ばれましたが、なぜイギリスではなかったのでしょうか?お雇い外国人ならイギリス人のほうが多かったのでは?と思うのですが。どこかにフランスとイタリアの生糸の技術が進んでいたと書いてあったのですが、それならイタリアでは駄目だったのでしょうか?あと繭が病気になったとどこかにあったのですが、フランスには影響がなかったのでしょうか?
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富岡製糸場は渋沢栄一が作り上げたものですね。 彼は幕末にパリ博覧会の為に訪欧していますから、その影響が強いのでは。
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- komes
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回答No.1
イギリスは綿、羊毛織物に優れ、スランスは絹織物に優れていました。 従って紡糸工業もそれに附随して発達していました。 イタリアは当時国内が乱れ東洋まで進出する余裕がありませんでした。 英仏は既に東洋進出に積極的で実績もありましたから指導教官として選ばれたのです。 幕末の戦争で幕府軍はフランスの指導を受け、新政府側は海軍などはイギリスの影響が強かったのが後を引いていました。 繭の病気についてはしりません。
質問者
お礼
回答有難うございます。イタリアの国内が乱れというのは1861年のイタリア王国成立に関して国内が安定していなかったということでしょうか?フランスが絹織物に優れていたのは貴族等の需要なんでしょうか。
お礼
貴重な情報有難うございます。納得の理由です。