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北魏の皇帝
北魏の皇帝が遊牧民族にも関わらず、中国の民族宗教を積極的に取り入れた理由を探していますが、なかなかわかりません。 早い時期にインドから伝わって、仏教とめぐり合っているようなんですが、わざわざ積極的に取り入れようとしたのはなぜだと思われますか? よろしくお願いします。
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ご質問の主旨は、「北魏が仏教を積極的に取り入れようとしたのはなぜか」という事でいいのでしょうか?「民族宗教」といえば、基本的に同じ民族の間だけで信仰される宗教の事をいい、ユダヤ教がその典型ですが、中国では道教になります。北魏の三代目皇帝太武帝は、自らが道教の信者となり、かなり激しい排仏策をとりましたが、これは崔浩(漢人官僚、漢文化崇拝者。強硬な排仏家)の影響を強く受けての事で、北魏を通じて考えれば、例外と言った方がよいです。また、少し時代は遡りますが、有名な鳩摩羅什は、西域の亀茲生まれ(インド人と西域人の混血)だし、北魏で仏教がさかんになったのは、同じく非漢民族の国で仏教が盛んだった北涼や夏(いずれも匈奴系)を征服したのが、ひとつのきっかけです。ですから、北魏から見れば、仏教=漢人の宗教とは到底考えていなかったはずです。 北魏は仏教を支援したのはなぜか、という質問だという前提に立てば、私の持っている一般人向けの概説書からの引用になりますが、「北魏ははじめ勢力を拡大するため呪術の仏教を求めた。やがて漢民族を支配下に入れると、今度は仏教のもつ超民族的な性格を利用して、皇帝を如来に結びつけ、その信仰を皇帝権力の支持にくみかえようとした。」(『中国文明の歴史-分裂の時代 魏晋南北朝』中公文庫2000年 P252)という事です。呪術の仏教を求めた、というのは、具体的には、仏教に、「仏に祈れば戦争に勝てる」といった直接的な利益を期待した、という意味です。
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- tanuki4u
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シンガポールでは、公文書は英語で発行されます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB 多民族国家として、どの民族にも由来しない英語を使うことによって民族間の衝突を避けているわけです。 北魏においても、遊牧民族といっても、一枚岩ではなく多様な文化的背景を持った部族連合でありました。 どれか一つの部族の宗教をメインにすれば、他者は反目します。なので、全部の部族にとって中立的な在来中国宗教を採用した。 ということを 参考URL書籍の唐の太宗の説明でしていました。
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