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本陣について
江戸時代の本陣って大名や幕府役人などが泊まりにこないときは休業してたのですか?そんなに身分の高い人がお泊りになることはない感じしますが。別になにか生業があるのでしたっけ、庄屋とか。
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本陣は大名や幕府役人の宿泊だけでは到底運営できず、たいていほかに仕事がありそれだけを専業にしていたというのはあまりりありません。 そんなために見かけは豪華そうでも実際は安普請の場合が多かったようです。 他の仕事というのは農業というのは少なく材木問屋だったり、酒屋だったり商業に従事していた例が多いです。 また、大名や幕府役人の宿泊がないときには一般人でも泊まることはできたようですが、一般の宿よりかなり高いので泊まる人はあまりいなかったようですが。
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- Pinhole-09
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宮本常一著「大名の旅、本陣を訪ねて」その他の本によると、本陣は原則として世襲制で、勅使、門跡、公家、大名、旗本などの特権階級の休泊に限られていました。 専業はなく、庄屋、問屋、酒造などの兼業であったといいます。 大名の宿泊代は礼金の形で払われ、少ない上稼働率が低く、採算はとれなかったという事です。 名誉職でいろいろ優遇されていたそうですが、藩より援助を受けなければならない所もありました。 脇本陣は暇な時期は一般の旅人も泊めました。 その分幾分、粗末で小さいものでした。
お礼
藩から援助してもらったりする本陣もあったのですね、どうもありがとうございます。
街道の特性によっても違います。 東海道、次いで、中仙道などは、格式も求められましたし、今でも現存するくらいの頑丈な作りです。 #1さまのおっしゃるように、副業をしていたり、庄屋だったりしたようです。 中仙道、甲州街道、日光、奥州街道でも、山中のところとか、五街道以外のところでは、けっこう貧乏くさい感じです。 本陣を置かないところもありました。 本陣のサブ業務的な脇本陣とか、本陣を名乗らず、比較的大きい宿屋が、臨時の本陣になるとかです。 大名行列にしても、江戸に近づいたとき、臨時のバイトを雇って、体裁を整えるというのもあったようですから、そんなに、大人数で、出発しなくても泊れたようです。
お礼
街道によってもちがうのですか、参考にします。どうもありがとうございました。
お礼
やはり副業・兼業がありましたか、どうもありがとうございます。