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226や515で暗殺目的を十分果たせないこと

226事件や515事件で、要人の暗殺が目的を達しない傾向があったようです(515は首相に瀕死の重傷を負わせて結果的に死亡)なぜ軍隊が武器を持って多勢に無勢の感がある状況で、こうも達成率が悪いのでしょうか。他人を巻き添えにしてはならないという配慮なのでしょうか。巻き添えにしても目的を達するという方針ではまずかったのでしょうか。

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  • fixcite
  • ベストアンサー率75% (129/172)
回答No.3

まず、515事件は軍によるクーデタというより若手将校によるテロ行為です。一応頭に2発撃ったがしばらく息があったということなので、テロリストグループは十分よくやったところであり、犬養総理の生命力と幸運、それにすぐに治療が受けられたことによるところが大きかったのではないでしょうか?脳天にM16やカラシニコフのような自動小銃でも撃てばまず即死させられたでしょうが、拳銃や小銃しか携行していなかったのでしょう。 226事件は機関銃等十分な火力を備えた陸軍・近衛兵4個連隊を使ったクーデタですが、デルタフォースならまだしも、これだけ多くの正規軍が動くとどうしても隠密にはできないため標的に逃げる時間を与えてしまうことになります。岡田総理は多数の護衛がいたのと運よく戦死者に人違いされた者がいたため間一髪で助かったのというところでしょう。アパッチやF16でも出撃させて爆弾やミサイル等で官邸を跡形も無く爆破していれば結果的に暗殺は成功していたのでしょうが…。 ただ、どちらも暗殺者に止めをさす覚悟がいまいち無かったのは一因としてあるのではないでしょうか?渡辺教育総監は機関銃で完膚なきまでに掃射されていますが、犬養総理や鈴木貫太郎(後に総理)は犯行後死亡確認前に犯人が立ち去っていたという不可解な事態もあります。頭でっかちの過激派ともいえる人達に血を見る決意がどこまでできていたのかは非常に疑問です。余裕の無さと優柔不断というところでしょうか。 また、226事件に関しては、当時の警察もSWAT等をもっていたり、人違いされた戦死者も意図的な影武者行為を働いていたとみられる節があったりするなど、体制側に一定の諜報・特殊作戦能力が備わっていたため反乱部隊が一方的に強くてすべてを理解していたわけではないことも一因として考えられます。

noname#32495
質問者

お礼

結構甘かったし、警護側も対策を練っていたんですね。心理的にも甘さがあったことがうかがえます。

その他の回答 (3)

回答No.4

すみません。 質問者は、大きな誤解をしていると思います。 「226事件や515事件で、要人の暗殺が目的」とありますが、彼らの目的自体、暗殺が目的なのではなく、一種の革命が目的なのです。 ただ、彼らは自分達の中の論理だけで考え、行動したので、その手法・行動はテロリズムに他なりません。 そして、テロは、場当たり的で、用意を周到にする観点がないので失敗しやすいのです。 「自分達の考えは、行動は正しい。だから自分達の行動は支持される。」という前提で行動するため、自ずから行動を律することがあるのは当然でしょう。

noname#32495
質問者

お礼

自説に酔うという事は危険ですね。教訓を残していると思います。

  • Okita017
  • ベストアンサー率36% (4/11)
回答No.2

暗殺に関する一般論から言えば、まず大人数で屋内の要人を襲うこと自体が間違っています。 人数が多ければ衣服の擦れる音や、まして制服を着た軍隊なら装備などの鳴る音が相手に聴こえてしまいますから。 相手に不穏な音が聴こえれば警戒されますし、だからと敢えてドカドカと踏み込めば、相手は間違いなく抵抗します。 抵抗された場合、屋内では大人数を展開して戦うことは不可能ですし、同士討ちの危険を考えると無闇な発砲も出来ませんから、少人数のほとんど武器を持たない人による抵抗でもある程度の時間が稼げます。 実際、これにより何名かの要人が救われています。 二二六事件の場合、銃を装備した巡査や憲兵隊などが要人警護についており、それぞれ激しく抵抗していますから、なおさらでしょう。 ちなみに牧野伸顕前内大臣を襲撃した部隊は武装巡査を捕獲のうえ案内させようとして反撃され負傷し、後藤文夫内相を襲った部隊は内相本人が不在だったなど、かなり行き当たりばったりだったことが伺えますね。 要人が家のどこに居るかとか、要人が在宅しているかなどを事前に調べていなかった、ということでしょう。 また、後に太平洋戦争終結前後の首相となる鈴木貫太郎を襲った部隊は、妻の助命嘆願に応じて撤収しており、五一五事件において最初に犬養首相を発見した部隊も首相との会話に応じていたりなど、彼らは必ずしも要人殺害そのものを目的としなかったか、もしくはそれに徹しきれない甘さがあった、あるいは総員による意思疎通に欠けていたことが、理由にあったと考えられます。 要するに、二二六事件・五一五事件とは、行き当たりばったりに計画され実行された要人暗殺事件だと見ることが出来ます。 なお、彼らが周囲への配慮から手加減をしたというのは、家族や使用人にも犠牲が及んでいることから、恐らくありません。 手間取ることをすれば鎮圧部隊がやってきますから、それを避けるべくことを急いだということでしょう。 幕末の天誅事件などを見てもそうですが、基本的に暗殺とは事前によく計画され、相手が屋内に居れば少数精鋭で襲うのが基本です。 現在でも、屋内で戦闘をする特殊部隊などは少数精鋭ですよね。

noname#32495
質問者

お礼

大勢で踏み込めばいいというものでもないんですね。納得しました。実に下手な暗殺集団だったのだろうなと改めて思いました。

  • veldan
  • ベストアンサー率67% (125/185)
回答No.1

何をもって成功と定義されているのかは分からないのですが、 五・一五事件は成功していると思います。 犬養首相の暗殺を「結果的に死亡」と書かれていますが、これは 間違いだと思います。 黒岩隊は首相官邸に突入後、首相の顎とこめかみに弾丸を撃ち込ん だそうですので、普通は暗殺成功と判断するでしょう。 二・二六事件での岡田首相のように松尾秘書官が誤射された例もあり ますが、インターネットやテレビの無い時代、顔見知りでもない政府 要人を探して暗する、というのはなかなか難しいと思います。 普段、あまりテレビを見ない人に、少子化担当相の高市早苗とか、 財務大臣の尾身幸次とか、安倍内閣閣僚の名前をいって顔が浮かぶ人 が、果たして何人いるか・・・というレベルだと思います。 二・二六事件は軍事作戦という観点では成功していたようですが、 昭和天皇が重臣を殺害されたことに激怒され、『朕ガ股肱ノ老臣ヲ 殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ 於テモ何ノ恕スベキモノ アリヤ』とおっしゃられたために、叛乱軍として鎮圧されました。 事情を良く知らない間にクーデターに加担させられた部下達が離反 したのも原因です。 五・一五事件はどちらかというとテロであり、政権奪取の目的は見え なかったので、そういう意味では失敗といえないかもしれません。  

noname#32495
質問者

お礼

情報が現在とは桁違いに少ないんですよね。そこのところを差し引かないと想像するのに難しいです。納得しました。

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