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行政法上(講学上)の「認可」について

 行政法上(講学上:in scholarly circles)の認可とは、「私人相互のあいだで法律行為が先に既に行われているという前提で、これらの行為を補充して、その法的効果を完成させるもの」と入門書にありました。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4641129401  講学上の「許可」が禁止の解除であるのに対して、(特許法の特許ではなく)講学上の特許(設権)が排他的・独占的な権利を与えるものであることは理解できました。  しかし、「認可」というものがいったいなんであるのか、具体例を思いつきませんし、「法律行為が先に既に行われているという前提」というのが難解です。  ご存じの方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。

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  • ベストアンサー
  • fixcite
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回答No.5

まず、認可は「形式的行為」ではなくて、「形成的行為」ですね。許可は命令的行為ですが。 >「国民の自由な領域に属しない領域について国家(行政権)がその権限により行う形成的行為」であり、許可が形式(成?)的行為であるならば、「国民の自由な領域に属しない領域」にある埋立てをまず行ってしまえるのでしょうか? まず、法律行為を補充される法律行為というのは、契約をする、あるいは宗教法人の設立といった合同行為そのものであり、その後にその契約によって債務の履行を請求したり、宗教法人として何かをしたり、ということは含んでおりません。農地売買の場合、契約書等は作っておかねばならないでしょうが、農地法3条の許可申請が通ったら通った後で登記・資金決済するという段取りが通例かと思います。また、宗教法人でも「設立しようとするものは~所管庁の認証を要する」(宗教法人法12条)とされているように、認証の段階で存在しているはずなのは定款ぐらいでしょう(別に認証前のものですから設立行為の内容がわかる程度にはっきりした意思表示が伺われるものであればかまいません。尚、登記は認証前にはでききず、はじめに形だけでも設立行為→認証→登記等手続き、となるのが通例でしょう)。埋立てなら、水上の利用権を設定する行為等、埋立てをするに当たり必要な行政庁の認可以外の行為をさし、実際の埋立ては含みません(すれば法令違反として処断されるでしょう(後述の「法による収拾」))。 >なぜ、「国民の自由な領域に属しない領域」のものを、まず勝手に行ってしまってよいのか 認可前の「国民の自由な領域に属しない領域」の法律行為は(建前として)効力を有しない「空の」法律行為ですから、違法行為として処理される等、最終的に法により収拾が付くように設計されているという意味において、法秩序維持の面からすれば特にまずいことはないでしょう(「空の」というのは、さしずめ、実弾の入っていない自動小銃で遊んでいるような状態であり、実弾(法律効果)が出ないから問題ないというようなものでしょう。銃刀法違反で摘発(法による収拾)されることはありえますが…)。 尚、認可を必要とする法律行為の場合、契約条項等にも「関係各官庁の諸認可を前提として」というような文言が入っていることが多いのが実態です。 >申請者にとって酷 認可前に最低限必要なのは、認可の対象となる意思表示をはっきりさせておくだけのことですから、それほど酷とも思われません。 <宗教法人法> http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO126.html#1000000000000000000000000000000000000000000000001200000000000000000000000000000

YomTM
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  「実際の埋立ては含みません(すれば法令違反として処断される)」、 『認可前の「国民の自由な領域に属しない領域」の法律行為は(建前として)効力を有しない「空の」法律行為ですから、違法行為として処理される等、最終的に法により収拾が付くように設計されているという意味において、法秩序維持の面からすれば特にまずいことはない』 ということで、実際に事前に「やらかしてしまう」わけではないことを理解しました。  さらに、 『認可を必要とする法律行為の場合、契約条項等にも「関係各官庁の諸認可を前提として」というような文言が入っていることが多い』、 「認可前に最低限必要なのは、認可の対象となる意思表示をはっきりさせておくだけのことですから、それほど酷とも思われません。」 ということで、だいぶイメージが湧きました。ありがとうございます。

その他の回答 (5)

  • utama
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回答No.6

農地売買の場合、売主と買主が決まっていなければ、認可しようがありません。 売主と買主が決まっているということは、仮に、正式な売買契約が成立していないとしても、売主と買主の間で、認可が得られ次第、所有権移転するという合意があるはずです。したがって、一般的には、私人間の合意が先行すると思います。 売主に売るつもりが無く、買主に買うつもりが無いのに、売買の認可を申請することがあるでしょうか? 学校法人の設立の場合も、設立発起人会という集会において、寄付行為(会社で言う定款)をつくり、誰がいくら寄付をするかということや、どのように法人を運営するか、誰が設立時の理事になるかということを決定してから、認可申請をします。 法人を設立したいという人達の間で、どのような法人を作るかということを先に決めてもらわなければ、一体何を審査して認可すればいいのかわかりません。 したがって、この場合も、どのような法人を設立するか決定するという私人間の法律行為が必ず先行することになります。 No.3 さんの言われる、「国民の自由な領域に属しない領域」であるかというような基準はあまり関係ないのではないでしょうか。 認可は、私人間の法律行為について、その効果を発生させる、行政行為と考えればよいと思います。

YomTM
質問者

お礼

 「法律行為が先に既に行われているという前提」というときの「法律行為」が、ふわっとしたものであることが理解できました。ありがとうございます。  「国民の自由な領域に属しない領域」であるかということは、ひとまず気にしないでおきます。

  • fixcite
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回答No.4

#3(≠#1)です。 >学校法人や宗教法人の設立の倍、「私人相互のあいだの法律行為」 「法人を設立するぞ!」というような意思表示からなる集団的な法律行為です(民法の問題ですが、一対一の意思の合致による「契約」に対して、「合同行為」ということがあります)。 定款を作成し、登記を…というような設立の基礎となる意思表示です。 >なぜ、「先に既に行われているという前提」なのでしょうか? 「認可」の定義に関わる面が大きいのでは? 質問者の開かれた本に即して論じますと、「認可」とは法律行為を補充して効果を発生させるための行政行為ですよね? と、いうことは、定義上、法律行為が認可に先立って存在していなければ、「法律効果を補充」しえないのでありえないのではないでしょうか? そういうことです。

YomTM
質問者

補足

 2回、ご回答をいただいているのですが、それぞれについて疑問を分けてお伝えします。  「定義上、法律行為が認可に先立って存在していなければ、「法律効果を補充」しえないのでありえないのではない」ということは文字面ではわかっているのですが、 ・なぜ、「国民の自由な領域に属しない領域」のものを、まず勝手に行ってしまってよいのか。 ・学校法人や宗教法人の認可の場合、「定款を作成し、登記」までさせてから、認可する否かを行政が判断するのは、申請者にとって酷ではないか。 ということが疑問として残ります。

  • fixcite
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回答No.3

購学上の説明を、ということなので、理論的見方からご説明します。 特許、許可、認可…等といった分類は、国民の本来自由の領域に対して国家(行政権)が命令を加える命令的行為と、そもそも国民の自由な領域に属しない領域について国家(行政権)がその権限により行う形成的行為とに大きく分けて考えることから始まります。「許可」は、貸金業の登録や宅建業の免許のように、本来自由(だった)行為を行政が原則禁止して個別にその禁止を解除、という観点から、命令的行為に含まれるとされます。これに対して、「認可」は、東京湾の一部を埋立てて夢の島を作るとき(水面埋立て)の免許のように、そもそも国民が勝手になしえない領域に関するので、形成的行為に含まれるとされます。 なので、何が自由な領域なのかそうでないかに関する理解により、???と感じることがあるかもしれません。 ご希望の例ですが、一つあげますと、農地に関する売買等の権利変動の効力発生要件である農業委員会の許可(農地法3条1項)というのがあります。 文言上の用語としては、「許可」ですが、「許可を得なければならない」(1項)、かつ、無許可なら「効力を生じない」(4項)とされているわけで、禁止無許可の売買に対する一般的禁止の解除(命令的行為としての許可)にもみえます。しかし、農地に対する権利設定は本来自由な行為ではないとされるところ特別に個別に権利設定を有効ならしめる点で、形成的行為としての認可になるとされます。埋立て等もまた然りです。 しかし、農地の売買も埋立てによる新田開発も、たとえば日本なら律令国家体制の公地公民制が崩壊したときから実質民間が自由にできていた経緯もあります。それを近代国家の観点から見ても自由な領域と考える余地もあるわけで、そうすると、「やっぱり「許可」とされるべきなのに、おかしな例」と感じられるのではないでしょうか? また、逆に、本来自由とされる領域も本来国家の独占領域と考えうる理論的可能性もあるわけで(極論すると社会主義になりそうですが)。 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO229.html#1000000000000000000000000000000000000000000000000300000000000000000000000000000

YomTM
質問者

補足

 詳細なご回答、ありがとうございます。  ご指摘のとおり、「何が自由な領域なのかそうでないかに関する理解により、???と感じ」ます。  「自由な領域と考える余地もあるわけで、そうすると、『やっぱり「許可」とされるべきなのに、おかしな例』と感じられるのではないでしょうか?」については、その逆かもしれません。  と申しますのは、「国民の自由な領域に属しない領域について国家(行政権)がその権限により行う形成的行為」であり、許可が形式的行為であるならば、「国民の自由な領域に属しない領域」にある埋立てをまず行ってしまえるのでしょうか?  おそらく、ここが理解できれば、抜けるものと思われます。よろしくお願いします!

  • wodka
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回答No.2

「法律行為が先に既に行われているという前提」というのは、私人間の行為、例えば農地の売買において、所有権移転の効果を発生させるためには都道府県知事の認可がいるとか、公共料金の値上げについて監督官庁の認可が必要といったケースを指します。 ただし、「認可」は、行政庁が私人間に限らず第三者の行為を補充してその法律上の効果を完成させる行政行為であるとされています。 上記のような法律行為の場合もありますし、行政上の法律効果を発生させる要件である場合もあります。 後者のケースは、例えば都市計画事業認可のような、上位行政庁が下位行政庁に出すものなどです。

YomTM
質問者

補足

 私人間でなくても、認可の概念が成立するのは理解できました。ありがとうございます。  公共料金の値上げについてですが、当該法律行為を、認可を受ける前に勝手にやってしまってよいというのが理解できません・・・

  • utama
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回答No.1

典型的には、農地の売買ですね。 売主と買主の間で売買契約が成立しても、農業委員会または市町村長の許可がないがぎり、所有権移転の効果が生じません。(農地法3条、契約の効力について特に4項) 法文上は「許可」となっていますが、講学上は認可に分類されます。 他には、学校法人や宗教法人の設立許可も認可の一種です。

YomTM
質問者

補足

 ご回答ありがとうございます。 農地売買については理解できました。  学校法人や宗教法人の設立の倍、「私人相互のあいだの法律行為」は、何に当たるのでしょうか?  また、なぜ、「先に既に行われているという前提」なのでしょうか?まず認可をとっておいて、その後に法律行為を行えばいいような気がするのですが。