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常軌を逸した人物

 歴史を振り返ると、天才=狂人?、だと思えるエピソードがたくさんあります。  歴史上の人物で、常軌を逸していると思う人物と、それにまつわるエピソードを教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • onioncat
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回答No.1

天才、狂人という言葉で思いつくのは、やはり織田信長です。 その逸話はあまりに多いですし、どこまでが真実かわかりませんが、「常軌を逸した行動」というイメージがまとわり付きます。 子供の頃は、周囲から「大たわけ」と呼ばれていたとか。 子供の頃の服装は、まさに「かぶき者」だったとか。 父親の葬式で、まさに「かぶき者」の姿で現れ、さらには焼香を仏前に投げつけたとか。 大人になってからは、西洋趣味となったらしく、戦国時代なのにすっかり西洋かぶれの服装だったとか。(靴を履いていたとか、西洋帽子を被っていたとか、西洋の鎧を着ていたとか、いろいろな逸話があります) さらには、信長が建てさせた桃山城は、今のような日本のお城ではなく、西洋かぶれのお城だった可能性が高いといわれています。一説によると、ステンドグラスがあったとか。 ぶっ飛んでいる人だったのだなぁと思います。

その他の回答 (13)

  • onioncat
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回答No.14

#1ですが、間違いを訂正します。 桃山城ではなく、安土城です。 みなさんお気づきと思いますが、訂正致します。 失礼しました。

007yuuki
質問者

お礼

みなさん、とてもくわしく、親切に教えていただきありがとうございました。 とても知的好奇心が湧きました。 本当に参考になりました。

noname#38340
noname#38340
回答No.13

武烈天皇なんてどうですかね。 日本書紀によると、人を木に登らしてから、木を切り倒して殺したり 生爪をはがして山芋堀りをさせたり 馬と人間を獣姦させたりするのを見て 楽しまれたようです。(鬼畜!) ただこれには裏があって、応神天皇の直系の武烈に変わって 傍系の継体天皇が継ぐことになったので、 日本書紀を編集したときの天皇たちは継体天皇の子孫なので 直系の武烈天皇を貶めるために(自分たちを正当化するため)、 残虐なエピソード(フィクション)を挿入したと ある学者は解釈してますが。

  • Ichitsubo
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回答No.12

#2さんがニコラ・テスラを挙げていらっしゃいますが、 そのライバルであるトーマス・エジソンは狂っていることに関してはテスラの1枚上を行きます。 かつて、アメリカで電力網を整備することになったとき、エジソン率いる直流電力網派とテスラ率いる交流電力網派とが、それぞれ自分たちの方針がよりすぐれていることをアピールし合っていました。 エジソンはそのキャンペーンの一環で、交流の電気を猫や犬に流して殺してしまうと言うことをやっていました。電圧が大きければ直流も交流もあまり関係ないのですが、交流=死のイメージを植え付けようとしたのです。なお、この業績のために電気椅子の発明者はエジソンとされています。 テスラはエジソンの元で働いていたのですが、交流直流の意見などがかみ合わず、エジソンの嫌がらせによってその元を出て行かされたという経緯があります。 エジソンは子供時代も狂人としての片鱗を見せています。小学校は退学させられる、友人に手作りの"薬"を飲ませて病院送り……枚挙にいとまがないくらいです。 そして晩年には「霊界通信機」などをつくろうとしてましたね。 「99%努力と1%のひらめき」という有名な言葉がありますが、テスラは「知識があれば努力を90%減らすことが出来る」と語っています。エジソンは電気の研究者にもかかわらず、オームの法則すら知らなかったのです。

  • mataoyu
  • ベストアンサー率40% (82/204)
回答No.11

平賀源内は、天才・奇人で、まったく異なると思われる分野でいくつも業績を残しています。 科学(火浣布、エレキテルなど)、文学(神霊矢口渡、その他多数)をはじめ、医学にも詳しく、解体新書の翻訳者達との親交もあり、また商業宣伝の分野でも、土用の鰻、その他で知られています。 最後は狂って二人の人を殺して獄死しました。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%BA%90%E5%86%85
  • chapanese
  • ベストアンサー率33% (704/2118)
回答No.10

こんばんは(^。^) 「常軌を逸している人物」ですか・・・ 普段はそうではないのですが、自分の権力を守るために敵に対しては容赦ない攻撃を加える、敵が愛人ならまだしもたとえ自分の夫や子どもであろうと許さない。 そういう人物として浮かぶのは 呂后(漢の高祖・劉邦の正室) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E9%9B%89 武則天(唐の高宗の正室) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%89%87%E5%A4%A9 西太后(清の同治帝の母) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%AA%E5%90%8E アグリッピナ(ローマ帝国皇帝・ネロの母) http://www.h5.dion.ne.jp/~goten/stories/handelagrippina.htm 息子のネロも暴君として有名ですよね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AD エカテリーナ2世(ロシア・ロマノフ朝皇帝) 若い愛人をかなりの数囲っていたという点で。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A2%E4%B8%96 エリザベス1世(イギリス女王) メアリー・ステュアートに対しては容赦なかったので。 http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/06_kindai/06-12_erizabeth.html あげてみると女性ばかりですが、女性ってコワイですよ~

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/rekisi/femsekai.htm
回答No.9

ちょっとマイナーなところで江戸時代の御三家の紀州徳川家の8代徳川重倫。 ・家来を2人手討ち ・自分の側室と自分の子を手討ちにしようとして側室は切り殺したが、子は女中が抱いて逃げて難を逃れた。それが10代目の徳川治宝 ・となりの松江藩松平家(徳川一族なので遠い親戚にあたる)の屋敷に大砲で砲撃した。 ・20歳で8代目藩主になったが、あまりの奇行で30歳で幕府から強制的に隠居させられ、48歳の叔父が9代目になった。当時は寿命が50歳くらいなので48歳の叔父に後を継がせるなどまさに異常事態。 ・しかし、隠居後も元気で84歳まで生きた。

参考URL:
http://www.chohoji.or.jp/tokugawa/han-8.htm
  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.8

 万有引力や微分・積分に対する数学的貢献で知られる、アイザック=ニュートン。  彼は、近代科学の祖とも言うべき存在ですが、最後の偉大な錬金師でもありました。  彼は、生涯にわたって錬金術の研究をしていました。彼の遺体からは、多量の砒素が検出され、恒常的に砒素を扱っていたことがわかるそうです。  その当時の基準からして、常軌を逸していたわけではないけれど、今から見ればかなり理解不能かもしれません。

  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.7

馬鹿と天才は紙一重といいますが・・・これは実際そうなのかと思いますね。 No5のかたが出している足利義教。元祖第六天魔王です。やっていることも有名なほうと同じですが、死に方も同じな奇妙な人。そしてあだ名も同じ。まあ、どっちも天才で狂人なわけですが。 豊臣秀吉。後半生は狂気としか形容のしようがありません。大河ドラマでもやっていますが、実際にはあんなものではなく、異常なまでの残虐性、権力への執着を見せています。 バサラ(婆娑羅)は、当時のいわゆる流行でして意図的にやっているものですから(いまでいうモヒカンとかみたいなものです)、本質的に常軌を逸しているとはいえないかなあ・・・あと、大阪の陣において娼屋で女遊びしているときに持ち場を落とされた西の薄田兼相とか、おなじく大阪の陣で酒飲んでいて奇襲されて討ち取られた東の本多忠朝とかは、「ただのバカ」なので・・・狂気とはちょっと・・・ 日本以外だと・・・ 曹操。当時の概念で言えば奇人以外のなにものでもありません。破格の天才とされていますが、同時に狂気も兼ね備えた、まさに天才でしょう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ。やっていることは天才にして奇妙。のこっている文はほとんど鑑文字という魔術師みたいな人ですが、天才ですね・・・ ラモン・ルル。キリスト教の宣教師で哲学者。「気違いラモン」のあだ名のある、殉教を望みながら北アフリカとか異教の地のあちこちに布教するのですが熱狂的すぎて迫害を受けて最期はチュニジアで投石受けて死亡。200もの著作がある熱心なキリスト教徒ですが、煙たがられたせいで列聖されていません。ちなみに、不治の病にかかった婦人と恋したりと、結構な人でもあります。 というより、文化の方面で歴史に名を残した人はすべからく「変人」であるといえます。 なぜならば、これは名前が残っているからです。なぜ名前が残るかと言えば、当然「人とは違うこと」をしているからです。同じことをやってものこりません。で、「人と違うことをしている」というのは、一種の変人です。まあ、そういうものなのかと。

noname#25898
noname#25898
回答No.6

信長公は、ち○この絵の描かれた着物を着ていたとか。 でも、この人の字は、ものすごくきれいで、ほれ惚れします。 夫婦げんかの仲裁に入る時は、すごくまともなこと言ってるし、バランスの加減がわかりません。 ちなみに、ミクシィには、240人余の織田信長が存在します。 バサラ大名と言われる前田利家公とその周囲の兜は、トリビアで、笑いものになるくらい、やりすぎです。 船団の到着の遅さにしびれをきらし、わずかな手勢でフライングの攻撃をする、九郎判官義経も、成功したからいいようなものの紙一重だと思います。 真冬の立山越えの佐々成政、この人も、き印だと思います。

noname#113190
noname#113190
回答No.5

室町6代将軍足利義教。 甥の5代義量は酒飲みで有名な将軍で、父親から家臣一同に 「義持(4代将軍)の許可なく、義量に酒を飲まさないことを誓う」 という誓詞を出されるような人物で、結局19歳で飲みすぎで亡くなり、叔父の義教が6代将軍になります。 彼は元々天台宗の僧侶で、酒飲み将軍義量が亡くなった後、父親の義持が復帰して頑張っていましたが臨終となり、後継者を指名しないので、義持の弟を候補に籤を引いて、当籤したので将軍になります。 彼は将軍に就任すると奉公衆と呼ばれる親衛隊を組織して反対勢力を粛清し、九州に遠征して足利氏最大領土を確保し、金閣寺で有名な義満の上を行く権力者に成り上がる。 さて、この時代は迷信が多く、彼の白河法皇もままならぬものとして比叡山の法師を挙げていますが、彼にとっては嘗ては比叡山のトップだったので、かまわず焼き討ちにし、根本中堂を灰燼にしてしまいます。 ここに日本は彼の元に統一され、絶対権力者として君臨しますが、臣下の赤松氏の邸宅に酒を飲みに行って暗殺されてしまいます。 叡山を焼き討ちして独裁者になり、部下に殺されるのは、よく似た人が130年ほど後に出てきますね。 やっていることも似ていますし。 足利氏は5代義量、6代義教に限らず、酒で失敗した人は割りと多いのですよ。

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