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徒歩侍の鎧について
戦国時代に徒歩の侍が着てたちょっとした鎧はどう言う武器に役立ったのでしょうか?結構槍刀にもテレビではやられてる感じですか。
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徒歩とはいえ侍ならば、それなりにちゃんとした具足はつけていますが、足軽とかだと簡単なお貸し具足ですね。 鎧というのは斬撃にはかなりの防御力がありますが、槍や弓鉄砲といったピンポイントの打撃には弱いです。 それでも士分用の具足ならば槍で貫かれない程度の防御力はあるので鎧の隙間を狙う必要があります。 逆に言うと、刀による斬撃には相当の防御力があるので、刀でちゃんとした鎧を身につけた相手を倒すのは非常に困難です。 従って戦国時代では槍が主武装で刀は槍がない場合の最低限の(防御的な)装備でした。 テレビドラマでは今でも当世具足を着用した武士をいとも簡単に刀で袈裟懸けに切り倒していますが、これは純粋にフィクションの中でのお約束なので、実際とは全然違います。 だいたい数十kgもする鎧が紙では着用する意味ないですよね。
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- cope
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こんにちは 日本の甲冑は古墳時代の短甲・珪甲(埴輪を参考に)から平安・鎌倉期の大鎧 ・胴丸・腹巻へと進化しました。この頃の物は小さな札を紐で重ね綴じする構成で形作られていたので、切る攻撃には比較的強いものの、槍等の1点集中形攻撃には比較的弱かったです。 室町末期からの戦国動乱期には槍が攻撃武器として普及していましたが、1543年に鉄砲が伝来すると武器も火器中心となり、戦闘方式も密集隊形による徒歩集団戦へと変化します。 この頃旧態の甲冑では鋭利な槍や威力ある鉄砲の弾丸は防ぎきれないという欠点が顕著になります。ですので、この頃から総合的な防御機能を持つ当世具足と呼ばれる甲冑が出現します。 ご質問の「徒歩の侍が着てた」ものは、御貸具足のものでしょう。鉄板を横または縦に鋲、革紐等で綴じ合わせた構成の胴を前後に分割できる2枚胴形式で、板物胴と呼ばれている物です。 胴表面を平滑にしたり中央に鎬を立てたりして1点集中の力を受け流す工夫(槍先や銃弾をすべらす)をされていたりします。 この胴形式は槍や火縄銃の弾丸攻撃にも比較的強いですが、もちろん、手抜き的な薄い鉄板を使用している物は、銃弾の貫通も有ります。 因みに簡便な甲冑の御貸具足の重さは兜も含めてせいぜい十数キロ。大将クラスの前線での戦いを意識していない華美な鎧でも25キロ位です。
お礼
ありがとうございました。
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