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思考は文字を媒介するのでしょうか?(長文でスミマセン)
自分の頭の中で考えるとき、文字を使用していますよね。頭の中で自分の声が響いている=聞いているのは自分だけ、といった風に。分かりやすい例を言えば、恋心を告白しようと思う異性がいて、最初のデートに臨むときに、相手がこう言ったら自分はこう言おう、と何度となくシュミレーションをしたりします。そのときは明らかに言葉のやりとりをします。思考は言葉を媒介にします。 さて、このサイトを閲覧している読者諸賢に(これは皮肉な表現ではありません。為念)お聞きしたいのは、「文字を媒介にしない思考はあるでしょうか?」ということです。 どうも私はそういうことがあるような気がします。書かれた文字を読むようなゆっくりしたスピードではなく、速読の達人のように、一瞬にして考えをまとめることがあるようなときがあります。そういうとき、思考の入り口と出口が短絡するのではなく、途中のプロセスをきちんと辿りながら、まるで条件反射のように結論に辿り着く。殆どが未知の問題への反応ではなく、日常生活のルーティンでの対応だと思いますが、文字を読むような思考ではなく、ある種に「感じ」(文字では言い表せません)を媒介にした「思考」ではないかと思います。 皆さんはそういう経験はおありでしょうか?おありでしたらその内容を表現していただければ幸いです。 ただし、今回は「失語症患者の思考」や「言葉を覚える前の赤ん坊の思考」、「言葉を持たない人種の思考」といったものを前提にしておりません。あくまで日本語を日常言語として使用している高校生以上の方で、拙文の意味を理解された方の「思考」を対象としています。 また、以上の問題意識に応えている書籍がありましたらご紹介いただければ有難いです。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 インスピレーションはこれからもっときちんと考えていかなくていけない項目だと思います。 ただ、私の質問意図は、そう重要でない人生局面でのことでしたから回答者さんの回答内容については、別の機会に考えてみたいと思います。