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枕草子「春はあけぼの」冒頭の本文について?
以前から授業で触れていた内容ではありましたが、改めて質問だせてください。「やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて、」と「やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて」の異同についてです。どちらが、例えば研究者の間では、より適切??、受け入れられている??本文なのでしょうか。またその理由は…? 「闇もなほ、蛍の…」と「闇もなほ。蛍の…」についても同様です。
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原文には、句読点はないし、句読点を何所につけて読むかは、基本的には、個人の自由だと思います。 しかし、わたし個人の気持ちとしては 「やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて、」がいいと思っています。 理由は、「なりゆく」は連体形で、「山ぎは」という名詞にかかっているので、ここの間を切るのは不自然だと思うからです。 また、「山ぎは」は、「少し明かりて」の主語であり、主語と述語の間に句読点を入れるかどうかは、人によって(場合にもよることがあります)異なります。 昔から比べると、多くの小説家が句読点を多用する傾向になってきており、主語と述語の間に読点を入れる人が多くなっています。 「闇もなほ、蛍の…」の方が自然だと思います。句点で切っては、あとの文章との間で意味がとぎれすぎると思うからです。
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- kyouzaiya-k
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現行の中学校の教科書全五冊を調べてみました。 出典:光村「日本古典文学大系」(岩波) :学図 同上 :教出「新編日本古典文学全集」(小学館) :三省堂 同上 :東書「日本古典集成」(新潮社) 1 春 全社「やうやう白くなりゆく山ぎは、~」 2 夏 学図と東書「月のころはさらなり。やみも~」 他3社は「月のころはさらなり、やみも~」 3 夏 東書のみ「やみもなほ。蛍の~」。 他4社は「やみもなほ、蛍の~」。 ※ 以上の項目2から、出典が同じでも教科書により表記、解釈が異なる(学図と光村は出典が同じなのに、表記が異なる)ことがわかります。本来なら、上記3シリーズ+新日本古典文学大系ぐらいにあたった上でご回答申すべきなのでしょうが、その余裕がないので、勝手ながら省略させていただきます。 また、ご指摘の箇所近辺のみを調べたものであり、秋・冬など他の場所を調べれば、まだ教科書により表記・解釈の異同があるかもしれません。 以上から、 「山ぎは、」については、ほぼ定説として固まっている。 それに対して、「やみもなほ」については、「なほ、~」が主流ではあるが、「なほ。~」とも考えられる。 更に「さらなり」については、「さらなり、~」「さらなり。~」の両説が併存している、 ということになります。 では、どう考えたらよいのか。 個人的に読書を楽しんだり、あるいは非常に優秀な(ということは、迷わせてもかまわない)生徒を相手に講義したりする場合には、解釈の揺れをあえて提示し、文法的、解釈的にあれこれ悩むのも良いと思います。 しかし、ほとんどの中高生相手には、それは禁物であると考えます。 教える側は背景を詳しくはっきりと知っておくべきですが、それを口にすることには慎重でありたいと、教材執筆者として私は常に自戒しております。 なお、#1の方のご意見に関してですが、個々の解釈については全く同感です。 ただし、この素材文の場合、文法を解釈に厳格にあてはめることには慎重であるべきです。 「~白くなりゆく。」と連体形で終えたり、「やみもなも。」と後続を省略したりして余韻を残すという方法は、十分に可能であり、また、枕草子の文体的特徴であると考えるからです。くどいようですが、#1の方の解釈自体は的確だと思います。ただ、判断材料として文法だけを強調するのは、中高生の初学者相手には向かないということを言いたいのです。 万葉集の東歌がそれまでの通説とは全く異なる解釈で掲載されるなど、無味乾燥といわれる教科書にも、驚きや発見、あるいは悩みの種は尽きません。 その一つ一つに神経をとがらすより、その背景を考えたり調べたりしながら、余裕をもって教材を作り、生徒たちに接していきたいと思います(回答というより、何か、個人的な決意表明みたいになってしまいました。お許しください)。 最後にやっと本論ですが、ご指摘の箇所に関しては、光村など三社、並びに#1の回答者の方の解釈が、現状では最も一般的だと思います。(私個人の好みはこの際省略します。) なお、現在の最新研究については、ネットよりも、ウィキペディア枕草子に載っている参考図書に当たられることをお勧めします。
お礼
◆kyouzaiya-kさん、諸本にあたられての回答、ありがとうございました。「~なりゆく山ぎは、」の定説性、「~なりゆく、」の際の余韻解釈。授業への姿勢も含め、とてもありがたく拝読しました。◆当方、使用は第一学習社「新編国語総合」です。当方(肢体不自由養護学校)には、教科書献本や関係蔵書ないとは言え、調査の労を厭い、質問した経緯を恐縮してもおります。
- kyouzaiya-k
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現行の中学校の教科書全五冊を調べてみました。 出典:光村「日本古典文学大系」(岩波) :学図 同上 :教出「新編日本古典文学全集」(小学館) :三省堂 同上 :東書「日本古典集成」(新潮社) 1 春 全社「やうやう白くなりゆく山ぎは、~」 2 夏 学図と東書「月のころはさらなり。やみも~」 他3社は「月のころはさらなり、やみも~」 3 夏 東書のみ「やみもなほ。蛍の~」。 他4社は「やみもなほ、蛍の~」。 ※ 以上の項目2から、出典が同じでも表記が異なる(学図と光村は出典が同じなのに、表記が異なる)ことがわかります。本来なら、上記3シリーズ+新日本古典文学大系ぐらいにあたった上でご回答申すべきなのでしょうが、その余裕がないので、勝手ながら省略させていただきます。 以上から、 「山ぎは、」については、ほぼ定説として固まっている。 それに対して、「やみもなほ」については、「なほ、~」が主流ではあるが、「なほ。~」とも考えられる。 更に「さらなり」については、「さらなり、~」「さらなり。~」の両説が併存している、 ということになります。 では、どう考えたらよいのか。 個人的に読書を楽しんだり、あるいは非常に優秀な(ということは、迷わせてもかまわない)生徒を相手にして講義したりする場合には、解釈の揺れをあえて提示し、文法的、解釈的にあれこれ悩むのも良いと思います。 しかし、ほとんどの中高生相手には、それは禁物であると考えます。 教える側は背景を詳しくはっきりと知っておくべきですが、それを口にすることには慎重でありたいと、教材執筆者として私は常に自戒しております。 なお、#1の方のご意見に関してですが、個々の解釈については全く同感です。 ただし、この素材文の場合、文法を解釈に幻覚にあてはめることには慎重であるべきです。 「~白くなりゆく。」と連体形で終えたり、「やみもなも。」と後続を省略したりして余韻を残すという方法は、十分に可能であり、また、枕草子の文体的特徴であると考えるからです。くどいようですが、#1の方の解釈自体は的確だと思います。ただ、判断材料として文法だけを強調するのは、中高生の初学者相手には向かないということを言いたいのです。 万葉集の東歌それまでの通説とは全く異なる解釈で掲載される(下記)など、無味乾燥といわれる教科書にも、驚きや発見、あるいは悩みの種は尽きません。 その一つ一つに神経をとがらすより、その背景を考えたり調べたりしながら、余裕をもって教材を作り、生徒たちに接していきたいと思います(回答というより、何か、個人的な決意表明みたいになってしまいました。お許しください)。 最後にやっと本論ですが、ご指摘の箇所に関しては、光村など三社、並びに#1の回答者の解釈が、現状では最も一般的だと思います。(私個人の好みはこの際省略します。) なお、現在の最新研究については、ネットよりも、ウィキペディア枕草子に載っている参考図書に当たった方がよいと考えます。
お礼
◆kyouzaiya-kさん、諸本にあたられての回答、ありがとうございました。「~なりゆく山ぎは、」の定説性、「~なりゆく、」の際の余韻解釈。授業への姿勢も含め、とてもありがたく拝読しました。◆当方、使用は第一学習社「新編国語総合」です。当方(肢体不自由養護学校)には、教科書献本や関係蔵書ないとは言え、調査の労を厭い、質問した経緯を恐縮してもおります。
お礼
◆mataoyuさん、ありがとうございました、改めて。kyozaiya-kさんからのご指摘とリンクさせて、考え方の助けとさせていただきます。☆kyozaiya-kさん、〆切方とかポイント云々がうまくできませでした。感謝しております。
補足
mataoyuさん、さっそくの回答ありがとうございます。◆個人の鑑賞の姿勢、また「…なりゆく」→連体形なので切りにくいというご指摘、もっともと思いました。もう一点、ご指摘いただければと思い、補足をしました。◆私の扱う教科書は、「…白くなりゆく、山ぎは少し…」という本文です。その他の教科書や枕草子関連サイトにも、この形を掲載する例が見られます。連体中止法による余情余韻表現と考えるのでしょうか。よろしくお願いします。