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女性は、なぜ、化粧をするのでしょうか?
私のようなものぐさは、女性の化粧を見ると、毎日毎日大変だなぁ。男に生まれてよかったなぁなどと思ってしまいます。それで、ときどき、思うのですが、女性は、なぜ化粧をするのでしょうか? 「男性を惹きつけるため」でしょうか? もし、そうなら、なぜ、男性は、女性の容姿に惹かれるのでしょうか? 本能でしょうか? もし、本能だとすると、進化論的には説明がつかないように思います。というのは、容姿が良い女性の子孫が増えても、人類が生き残る上で何もプラスなるとは思えないからです。むしろ、仕事のできる女性、頭の良い女性、あるいは、元気もりもり、筋肉ムキムキ女性に男性がひかれる方が、子孫繁栄にはプラスのように思います。 「男性が、女性の容姿に惹かれる」のが本能でないとすると、それは、社会的に育まれたのでしょうか? そうだとすると、そこには、どのような理由があるのでしょうか? 社会的に考えても、容姿に惹かれるよりは、仕事ができる、頭が良い、人付き合いが良いなどの性質に惹かれる方がメリットがありそうですが? ということで、よくわかりません。ご回答よろしくお願いします。
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もう話は化粧とは随分遠いところに来ていますが… >「死を感じさせる生物性」を最も認めたくないのは、「自分についての死を感じさせる生物性」であって、「他人についての死を感じさせる生物性」ではないはずだと思うのですが、現実は逆になっています。 kobareroさんが質問力のある方で非常に嬉しいです。なにしろ目のつけどころがいいですね。 実はそこが哲学の醍醐味とも言えると私は勝手に思っています。 哲学の道に入らない人の多くは、「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思いこんで日々生活をしているのですが、哲学の道に入ると、「自分のことほど自分はわからないのかもしれない」と思うようになります。そもそも、哲学発祥の地ギリシアの神殿での標語(のようなもの)が「汝自身を知れ」ですから、自分とは何者なのか、という問題はとても大きな謎なのです。 一般の人はわかりきったふりをしていますが。 例えば自分で自分の目や後頭部を直に見ることはできません。顔などは一番大事なところと言えるでしょうが、鏡などの力を借りなくては見ることができないのです。 (このことも案外化粧する理由に関係するかもしれませんね) さて、ここで問題にするのは「自分の死」です。 私の考えでは、自分は自分の死を体験することができません。 これは今までいろいろな哲学者も言っていることですが、死とはつまり感覚を失うことであって、理屈の上では「感覚を失う瞬間は感覚できない」のです。 「他人の死」に直面することはあっても、自分の死は体験できない。しかし他人が死ぬなら自分も死ぬと類推されるのです。案外他人の死の方が、自分の死よりもなまなましく感じられるものなのかもしれません。 また、自分を知っていると思い込んでいる人たちは、自分を知らないということを恐れてそれを意識しないようにします。そのような人たちは、自分の体臭が多少きつかろうと、つとめて意識しないようにするのです。 そういう意味では、自分を知っていると思い込んでいる人たちで形成される社会は、「オレ悪くないからな」という、責任のなすりつけ合いになります。 あまりこういう俗っぽい言葉を使いたくないのですが、無意識的に「死を感じさせる生物性を持っていること」から目を背けようとしているのだという風に私は考えます。 また、これらの行為をするにあたっても、「社会的なルールを守った上であれば生物的なものと見なさなくてもよい」というように考えられるところがあるのかもしれません。つまり、マナーを守るということが、その生物的な行為から死の臭いを浄化する、いわゆる「脱臭の儀式」なのかもしれません。 まあ、自分のすることは悪くない、という強引な自己正当化をしたくて、そのために「脱臭の儀式」を権威にしているという方が合っているのかもしれませんが。 化粧も「脱臭の儀式」の一種と言っていいと思います。
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- NCU
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> むしろ、仕事のできる女性、頭の良い女性、あるいは、元気もりもり、筋肉ムキムキ女性に男性がひかれる方が、子孫繁栄にはプラスのように思います。 合理性とは何かを遺伝子に説いたところで、遺伝子は多分数千年オーダーでしか聞く耳を持たないのでは? ただ、そのような女性本人が子孫を残さなくても、兄弟など遺伝的に近い人が子孫を残す事で、結局は本人の遺伝子もコピーが残る事にはなりますね。 そもそも動物界一般では、派手なのはオスですよね。 メスに選ばれるために、オスは際限なく派手に派手に進化していく場合があります。 メスの選考基準が個体の生存能力(エサを捕獲するとか、天敵からうまく逃げるとか)からかけ離れてくると、オスは、例えば孔雀の羽根のような不合理で邪魔なものを維持しなければなりません。 これすべてメスの歪んだ嗜好のためです。 嗜好が「合理的」である事は期待できないのでは?
補足
ご回答ありがとうございました。 >合理性とは何かを遺伝子に説いたところで、遺伝子は多分数千年オーダーでしか聞く耳を持たないのでは? 2つの視点で考える必要がありそうです。一つは、現在の人間の状態が、「既に自然淘汰の結果である」という視点。もう一つは、「今後、自然淘汰がさらに行われて、その結果が、遠い未来において現れる」という視点。今回の件については、少なくとも、過去の自然淘汰では合理性がうまく働いていない。すなわち、「男性が女性の容姿にひかれる」のは、譬え、本能が原因だとしても、自然淘汰とは何の関係もない偶然ということになりそうですね。 >嗜好が「合理的」である事は期待できないのでは? 「男性が女性の容姿に惹かれる」のには、合理的な理由はなく、偶然ということでしょうか?
- catones
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「素顔に自信がなくなったから」 ・・・と、むかし中学校の先生がつぶやいてたなぁ
お礼
ご感想ありがとうございました。
- sng
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化粧を含め女性が着飾る理由は人間の赤ちゃんの特性にあるといわれています。 野生生物の多くの赤ちゃんは生まれた直後に歩きはじめます。ある程度成長してから危険の多い外の世界に産み落とされます。 対して人間の赤ちゃんは頭が大きいため母親が安全に出産するためには未熟な状態で生まれなければなりません。 そこで母親は一定期間オスをひきつけておき、オスに子育てを協力して貰う必要があるため、化粧をするといわれます。 女性が化粧をする理由をまとめると ・健康的に見せるため(子供ができる前に有効) ・セクシーに見せるため(子供ができる前、後共に有効) となるのではないかと思います。 女性が男性を(本能的に)引き付ける必要があるため化粧をします。よって男性が女性に惹かれるのは本能だと思います。 (本能ってどんなものかの議論はまた別になると思いますが)
補足
ご回答ありがとうございました。 本能だとすると、よくわからないのは、「化粧をしなくても、男性は女性に惹き付けられるように出来ているはず」ではないでしょうか? 実際に、人間以外の動物は、そのようになっているのではないかと思います。あるいは、人間は、本能が壊れているという話でしょうか?
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お礼
ご回答ありがとうございました。 >哲学発祥の地ギリシアの神殿での標語(のようなもの)が「汝自身を知れ」ですから、自分とは何者なのか、という問題はとても大きな謎なのです。 不思議なのは、心の中を直接観察できるのは、60億以上もいる人類の中で、ただ自分一人だけなんですよね。その自分も人類の一人である以上、「汝自身を知る」ことなくして、人類を知ることもなさそうです。 >「他人の死」に直面することはあっても、自分の死は体験できない。 その通りですね。だから、本当に怖いのは、自分の死そのものではなく、「死の観念」や「死にいたるまでの過程」のような気がします。 >しかし他人が死ぬなら自分も死ぬと類推されるのです。案外他人の死の方が、自分の死よりもなまなましく感じられるものなのかもしれません。 なるほど、その結果、自分の「死を感じさせる生物性」には無頓着なのに、他人の「死を感じさせる生物性」には敏感ということですね。中学生や高校生が、ホームレスに危害を加えるのは、ホームレスの中に、自分の弱さや滅び行く姿を見出すためだと何かの本で読んだことがあります。それと同じような心理でしょうか。結局、他人は「見えない自分の鏡」なんですね。 本来の質問から離れてしまいましたが、貴重なお考えをていねいに教えていただきありがとうございました。