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手袋を買いにの解釈
久しぶりに新見何吉の『手袋を買いに』を読みました。子どものときに読んだ印象とはかなり違っていました。もちろん、美しい日本語で素晴らしい作品にはかわりはありませんが。何点か疑問があります。 ・母狐が危険な人間のいる町に子狐をひとり(?)で お使いにいかせる。 ・その際、片手だけを人間の手にする。 ・帽子屋さんが手袋を売ってくれたことが、お金のチ ェックをして本物だったからであり、木の葉だった らどうなるかわからない。 無粋な質問だと思うのですが、みなさんの解釈をおうかがいしたいのです。 私としては最後の「人間って本当にいいものかしら」に集約されている気がしているのですが。狐母子も人として描かれていて(ある種の異端な存在としての)、ほのぼのとした母子のやりとりがメインだとは思うのですが、人間に対する懐疑的な視点(あたたかくはあるのですが)が示されているように感じました。 乱文で申し訳ありません。よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
はじめまして、こんばんは。 懐かしいですね~。 この本はわたしも子供の頃、寝る前に母に何度も読んでもらいました。 わたしは子供ながら、このお話はなんだかおかしい…と感じていましたね。 質問者様同様、なぜ母狐さえも足がすくむほどおそろしい町に子供をひとりで行かせるのか? どうして片方の手だけを変えたのか? 両方の手を人間の手にかえてあげればいいのにと。 (今思えば物語ではそうしないとラストと結びつきませんものね) 帽子屋さんが帽子を売ってくれたのは、本物のお金を持っていたからというのは子供ながらにわかりました。 ただ、狐だからとお金だけ取られるかも…と思いましたが。 しかしちゃんと手袋を売ってくれたので安心しましたね。 大きくなってから思ったのは、 これは帽子屋さんの優しさではなく、 帽子屋さんはただの商売で、金儲けさえできれば相手が人間でも狐でも良かったから。 というように感じとるようになりました。 今思うとと、 子狐の見ている前で銅貨をカチカチ合わせ、本物の硬貨かどうかを調べる帽子屋さんは、 非常にいやらしい行為だと感じます。 母狐の「人間って本当にいいものかしら」の最後のつぶやきですが、実は当初は ”「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間がいいものなら、その人間を騙そうとした私は、とんだ悪いことをしたことになるのね。」 とつぶやいて神さまのゐられる星の空をすんだ眼で見あげました。” というものだったそうで、最終的に大きく削除し出版したそうです。 この作者は他にも「ごんぎつね」などの代表作がありますが、 どちらの作品とも心優しい狐と酷い人間を描いているような傾向があると思います(特にごんぎつね)。 この作品は母狐と子狐の心温まるお話のように感じられますが、実はそれだけではなく、やはり裏側に人間の酷さを描いているように思います。 こちらにもこの作品について解釈されている方がいらっしゃいますので、 一度ご覧になってはいかがでしょうか。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/7542/tobira.html ちなみにわたしはこの絵本のほんわりとした 母狐と子狐の表紙と挿絵が大好きでした。
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- rucky2006
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どうして「手ぶくろを買いに」の作者が新見何吉なのでしょうか。新美南吉と正しく書いてください。
お礼
すいません。変換ミスです。
- grape100
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私個人の解釈です。 1.一人で行かせたこと 母狐自身にはトラウマのようなものがあってそこから動けませんが、子狐はこれから大人になって人間と関わることもできないといけない、という母としての厳しい気持ちがあったのと、相手が子狐ならば、「恐ろしい人間」でもそうそうひどいことはすまい、と思ったのかも知れません。 2.片手だけを変えたこと。 自分の身体ではなくて、子どもの身体を変化させるのに術として片手が限界だったのかも、と思います。 また、2本も人間の手だと、狐としては歩きづらい、ということも。 3.木の葉だったら・・・ 私も子どもの時、木の葉だったらどうなったかな、と思ったのですが、相手が狐でも売ってくれたこの帽子屋さんは、きっと「ほんもののお金じゃないから、売れないよ」と言って返しただけなのではないでしょうか。 先にお金を受け取っていて、それが本物であることが分かっており、相手が子どもの狐だと思えば、お金だけ受け取っててぶくろを渡さないこともできたわけで、この帽子屋さんに私は嫌な感情を持っていません。 お金が本物かどうか確かめたことについては、相手が狐なのですから、騙されていないか確認するのは、当然と思うのです。 (帽子屋さんも商売ですし、狐が悪意を持って偽金を渡したのかどうか、彼には分かりませんから) 4.作品全体に関して 人間同士でも、他国や他人種に対して互いに抱く、偏見や猜疑心、そしてそれを超えた基本的に同じ感情(親子の愛など)を、狐と人間の目を通して描いているのだと思います。 人間にとっては、狐は(物語上)「人間を騙して悪さをする悪い動物」であるし、狐にとっては人間は「狐にひどいことをする悪い動物」ですが、どちらもそれぞれの生活があって、それを守るためにする行為ですよね。 同じ行為も見方によって変わり、絶対悪というものではない、ということが言いたかったのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 作品全体を通しての感想はgrape100様とほぼ同じです。等身大の人間を描いている作品であるような気はします。人は偏見もあれば、間違いもおかすが、だいたいにおいて善良である(もしくは、そう思いたい、信じたい)。
お礼
ありがとうございます。 URL参考になりました。 子どものころは、単純に小狐がかわいくて大好きな話だったのですが、大人になって読むと奥が深い話でした。いまでも好きな話ですが。