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ホラーや戦闘場面のBGMで白ける

タイトルの通りなのですが、映画や特集番組などの「効果」狙いのBGMで大体ことごとく白けます。たまにそういうBGMを流さないで、こういう場面を描くものもあるのですが、返って緊迫感を増しています。 これは私の感覚が以上なのでしょうか。乗りにくい性質なのでしょうか。

みんなの回答

  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.1

心理学的にどうかはあまりよくわかりませんが、テレビや映画などのシーンの効果音は、音であり、音でないのです。 たとえば、ホラー映画なんかで、化け物が襲ってきそうなとき、映画なんかだと、草を踏む音や自分の足音などがマイクで大きく流されてます。また、後ろから何かの気配を感じるときに妙な緊迫したような音が一瞬流れたりします。自分の呼吸の音や心臓の打つ音が強くなります。これらは、実際にある音、というより、むしろ映画の主人公の心境を表している、一種のテクニックです。音だけで聴くと、「ドドドドドン」や[バシャン」などの意味不明な音であったりしますが、これらを映像と組み合わせることで、緊迫した臨場感を喚起させるのです。このBGMが曲の場合もありますが、これも音楽が実際にその場で流れているわけではなくて、そういう「客観的に見ると実際にはないが、心境として代弁するような効果音」を出しいるのです。実際に、ドラマなどでも、専門的にこうした効果音をつける仕事の人がいます。 質問者さんが、そうした音に違和感を覚える場合、今思いついた理由としては以下が考えられます。 1、自分がそのシーンのような状況に陥ったときの心境とそのシーンに使われる効果音が喚起する情景が一致しない。 2、効果音を「音」として意識しすぎて、なんだか実際にそういう場に意味不明なありえない音が流れていると考えてしまう。 1、の場合はまあ、異常まではいかなくとも、ただ感情や想像性の問題ですから、あまり共感できなくてもしょうがないです。 2、の場合は映画を客観的に見すぎていると感じます。映画を見るときに、主人公を客観的なあくまで他人として捕らえると、主人公が勝手に妄想してもがいてる痛い人にしか見えません。もう少し、自分が主人公になりきって、そのシーンの状況をあくまで共有している必要があります。実際に私たちが映画を見て感動したりするときは、あるときは自分は主人公であり、あるときは、周りから見る人であるのでしょう。まあ、ふつうは特にこんなこと意識して映画を見る人はいないと思いますが。 要するに、BGMなどは演出のテクニックのようなものですね。また、独白のシーンだって、本当は聞こえない心の声ですが、最近はドラマとかでも技術を使ってそれっぽくやってますよね。興味深いのは、シェークスピアなんかの独白を演劇で見る場合、そうした技術が使えませんのでこれをどう演じるか、というのが、また劇団によって違ってきたりします。観客に向かって一人でしゃべったり、舞台上に別人(独白で嘆いている相手など)が登場したまま聞こえないという設定で語ったりいろいろです。 ややズレまましたが、ちょっと「音」という観点からです。

noname#32495
質問者

お礼

ありがとうございます。 しかし、どうも私の場合1,2番とも当てはまらないようなのです。 この質問の14個下にある「商品を表に出さないCM」という私が質問したのがあるのですが、「その控えめさゆえに強烈な印象が残ってしまう」という効果が、やはり一般的にあると思うのです。 で、ホラーやらなんかで、製作側が「これだけ金かけて作ったんだから、いっぱい効果満載で盛り上げてやろう」という、えげつない意図がミエミエなんですよね。 でも、そういうものに共感するどころか、返って拒絶反応や白けを喚起させられるわけで、これは少数派の感覚なんだろうか?という疑問を持ったのです。 ヨーロッパ映画などは、結構この極力BGMを避けるような雰囲気があり、返って強いエモーションを引き起こす気がします。つまり、視聴者を信用しているってことにもつながっている気がして、つまることろ、BGMがーがーのやつを見せられると、「俺らはおまえをこの程度の感性しか持ってないやつだと思っているから」という目で見られているという、潜在的な感覚があるからかもしれません。 独白というのは、映像表現劇場表現上のネックですよね。これは、やはり映画映像表現の独断場であるきがするのですけどね。その特性を生かすという点で。

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