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英語は話すのは易しくて書くのに難しい?
小学校の頃からアメリカに住んでいて最近ビジネスも始めた人が、 「英語をしゃべるのは普通だけど書くのが苦手」と言っていました。 私が聞いても判断できないので、アメリカ人に聞くと、 その人の英語は訛りがないそうです。 英語はアルファベット26文字しかないのですよね。 日本語のように漢字やひらがなやカタカナ(和製英語も含む)やローマ字などあるわけではなく、 複雑ではないと思えるのに「書くのが苦手」という事はあるのでしょうか? あるとしたらどんなところが難しいのでしょうか?
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「話すこと」と「書くこと」は、同じ言語行為でも、その身につけ 方が全く異なります。どちらが難しいか、ではなくて、そもそもの 性質が異なるもの、と考えるべきでしょう。 「話すこと」の方の習得は、生活経験に大きく依存します。 生身の人間を相手にして、実際に話す行為を無数に繰り返し、身体 で学ばないと、「話すこと」は決して身につきません。机の上で勉 強しても、なかなか習得できるものではないのです。たまに独学で 会話能力を習得した、という人がいますが、よほどの意志と努力が ないと、難しいでしょう。 逆に言うと、英語を使わざるを得ない英語の環境にいる人間にとっ て、「話すこと」は「自然に」身につくものなので、なんら困難な ことではないのです。 それに対して、「書くこと」は、これは意識的な努力と勉強をしな いと、身につくものではありません。主に学校教育を中心とした、 「机の上の勉強」をすることで、初めて身につくものです。 日本語でも、例えば小・中学生くらいに作文をやらせると、話し言 葉そのままで書いてしまう生徒が沢山います。書き言葉は、言葉 遣いや文法的な正しさ、句読法まで、きちんとやり方を学ばなけれ ば、できるようにはなりません。「書ける」と思っていても、例え ばビジネスの正式な文書や、季節の挨拶の文章などを書きなさい、 と言われたら、日本語でも難しい場合はたくさんありますよね。そ れと同じです。 だから、「書くこと」は意識的・体系的な「机の上の勉強」によっ て身につくものなので、話せるからといって、書けるとは限らない のです。 「小学生からアメリカに住んでいる人」は、生活体験として英語を 話さざるを得ない環境にいたので、「話すこと」は自然と身につけた けれど、書くのはきちんと学ばなかった、というケースでしょう。 英米の語学学校などに行くと、特に移民などの人の中に、こういった 人が沢山います。みんな、自然と問題なく話せるのに、英語の学校教 育を受けたことがないため、書くこと、読むことが、とても苦手なの です。だから、「話すことは簡単だけれど、書くことは苦手」という 風になります。 だからといって、「話すことが簡単」という風にはなりません。 話すことは生活体験なので、それを経ないと習得することは難しいの です。多くの日本人が、英語が読めて文法がわかっても、話すことが できないのは、英語を学校教育=机の上の勉強のみで学んだだけで、 生活体験として身につけていないためです。もっとも、だからといっ て書くことができるのか、というと、そちらも怪しいですけれどね。 英語に限らず、言語の習得にとって、「話すこと」と「書くこと」は、 どちらが難しい、というものではなくて、習得方法が全く違うという ことですね。だから、タイトルの質問に最終的に答えると、「それは その人のバックグラウンドによって異なる」ということになると思い ますね。
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- Ganbatteruyo
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Gです。 こんにちは!! (一人このサイトで助けることが出来ませんでした) しゃべることが簡単で書くことが難しいと言うことではありません。 英語と言う言う言葉でしゃべると言うことがフィーリングを適切に表したものでなくてはならないとしっかり自分に認識しておかなくてはしゃべることは子供がやることと同じことになってしまいます。 時々、日本の英語教育(学校、塾、このカテ)でもう少し自分がアナウンサーになったつもりでしゃべり方を考えなきゃ、と思うことがあります。 つまり、相手に適切にフィーリングが伝わっているのか、と言うことなのです。 文法的に正しい表現をしろ、では無いのです。 相手の為の英語なんだ、と言うことです。 私の日本語が時には誤解されているなと思ったり、質問者に私のフィーリングが伝わらなかったな、と思うのわけです。 相手が悪いのではなく自分の表現力が物を言うわけですね。 そして、相手が分かるように表現することが大切なわけですね。 だからこそスラング・俗語は使ってはいけないのではなく使い方が難しいからもっと英語力をつけろ、と言うことになるわけです。 そしてスラングの方がフィーリングを伝えやすいのであれば100%と言っていいほどそのスラングを使え!と私は言うわけです。 言い方を変えると、スラングを使えるくらいの英語力を持つように自分を持っていけ、論文を読めるような英語力とスラングを使いこなせるくらいの英語力は方向さえ違うけど同じようなレベルの英語力でありまた一般社会で英語を使うのであればスラングを使いこなせる英語力レベルの方がもっと意味があり多くの人にとっては求めるものであると私は思うわけです。 しゃべることがただしゃべるのとフィーリングを伝えられるしゃべり方とはまったく違うことを知ってください。 通じるレベルもしゃべるですね。 挨拶程度もしゃべるですね。 また、日本語でも同じように入社した時もちゃんと日本語をしゃべれていますね。 しかし、営業文書、プレゼン文書、などは違いますね。 しかし、同じ「書く」にしても、メール、手紙、ラブノート、ビジネス文書などがありますね。 ビジネス文書がうまくかけたからと言って決して同じ「書く」ラブノートがうまくかけるとは限りません。 この考え方は日本では真剣に感じていないことだと思います。 なぜか、論文が、ニュースが、ビジネス文書が別れが英語力が高いというイメージがありますがこれは壊さなくてはなりません。 ラブノートは単なる愛情表現の恋文だけではありません。 ラブノートとは、どんな人でも導ける表現がただの指導表現なのか人間としての愛を基にした「鬼の指導官」の厳しい言葉でもあるし、やさしい理解力に満ちた言葉でもあります。 顔つき、ジェスチャー、追加表現などが自由に使えるしゃべり英語ではなく、文字だけが頼りの書く英語の難しさはただ「英語力」をつけていくひとつの「壁」に過ぎないのですね。 フィーリングを大切にしていくことで「書いた文書」がどれだけ今までしゃべってきたフィーリング英語の持つ特技が相手に伝わるかなのです。 書く英語には書く英語の使い方があります。 その使い方は一つの「技」に過ぎないのです。 誰が読むのか、何を求めている人たちが読むのか、それらの人たちと波長がちゃんと合っているのか、波長が合った書き方をしているのか、これらみんな「ただの」「しゃべる英語」の延長に過ぎないのです。 書くのが苦手、と言うことは、書くのが難しい、と言うことでは決して無いのです。 書くのに慣れていない、書く事でフィーリングを伝えることができる英語力がまだ無い、そんな程度なのです。 書ければすごい!では無いのです。 相手に伝えることができ相手が理解してくれるのか、それだけのことなのです。 と言うことで、文字だけしかない、状況で英語を使うと言うことが多くの人にとって、特にしゃべられればいいとして来た人が次の段階に向かうただの「その時点での感想にすぎない」わけです。 I like youと言う表現をしゃべった時に相手の人の反応で他の表現にまた変えることが出来た状況とは違う次元なわけです。 I like you のもつプラスのフィ-リング(あなたがすき)とマイナスのフィーリング(愛しているわけではない)と言うフィーリングを書くという一度しかないチャンスをどのように表現するか、これはビジネス文書にしろ論文にしろ記事にしろまったく同じことなのです。 だからこそふだんからこのフィーリングを言うものをちゃんと身につけていくことの大切さと言うものが「土台」となり、どの「書く英語」の方向へ行こうと英語を使えるようになるわけです。 出来るようになってからまた新しいスタートラインにたつわけです。 私が受けた初段の言葉が何も意味をしない黒帯び(別にパンツが落ちるのを防ぐわけでも無いし<g>、アクセサリーとして自分を良く見せるためでもない)を手にするよりももっと私の人生を変えたものでもあり、空手と言う、人生の中のすべてのことに「使える」宝物なわけです。 難しい、苦手、と感じるのはただ一瞬のこと。 難しい、苦手と感じることをどのように自分の武器とするか、それによって、いつか「昔は書くのが苦手でね、」と言う思い出話の本当の意味での「いつか芽が出る種」にするかしないかの課題なのですね。 儚いと言う日本語を考えたことがありますか? 人と夢、自分と言う人といつまでも夢にしている夢、つまり、夢だけとしていること、夢を現実にしようとしないこと、に繋がりませんか? それこそ、「はかない」ではないですか。 夢は実現するもの、夢は現実に自分を持っていく前の自分、なんです。 苦手? じゃ、苦手にしなければいいのです!! これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
こんにちは。回答をありがとうございます。回答を読んでいて気づいたのですが、どんな分野で書くのが苦手と言ってはいませんでした。もしかしたら論文?就職のための書類?図面と一緒に出す説明文?それならその人じゃなくてもごくごく一般的な感じ方ですね。親しい人への手紙?それとも単なる筆不精という意味で言ったのか?「しゃべることなら普通の人よりセンスあるよ。でも書くのはちょっとね」といった単純な事かも。 そして語彙不足とかスペル間違いではなくて、Gさんのおっしゃるように相手に伝わる文を書く力がまだまだ、という意味だったかも知れませんね。 また、その人はこのまま日本に帰っても大学で充分通用する日本語力があります。英語で書くという機会は日本語より少なかったのかも知れません。 黒帯の冗談は笑えたし、回答が参考になりました。
- tsuyoshi2004
- ベストアンサー率25% (665/2600)
#1さんが書かれている通りだと思います。 これはあらゆる言語に通じると思いますが、 仮に日本語でも、話し言葉なら、「全然、正しい」というのは問題ないですが、書き言葉なら、「全然、間違っていない」が正しい表現です。(「全然」は否定に対する副詞なので。) その他でも、単文では正しい英語でも文章となると好ましくない文になってしまうことも多々あります。 また、英会話ではついつい"have"とか"get"などの動詞を頻繁にいろんな意味で使ってしまいますが、これも書き言葉ではそれぞれ最も適した動詞を使うことが好ましいことです。 これらすべてを考慮して好ましい文章を作るのはとても大変な作業です。
お礼
回答をありがとうございます。確かに文にしようと思うと「書き言葉」にしないといけないので改まってしまいますね。しゃべるのと書くのは心構えが違うというか、モードが違うというのか。 > また、英会話ではついつい"have"とか"get"などの動詞を頻繁にいろんな意味で使ってしまいますが、これも書き言葉ではそれぞれ最も適した動詞を使うことが好ましいことです。 確かにそうです。参考になりました。
- yow
- ベストアンサー率23% (181/782)
北米在住です。 そのとおり、書くよりも話すほうが断然楽です。さらにいえば、電話で話すよりも会って話すほうが楽です。#1さんと同じ理由です。 子供が二人います。下の子は5歳です。ABCは3歳でかけるようになり、ひらがなは最近なんとかよめるようになり、少々かけるようになりました。しゃべるのは英語のほうが強いです。(英語圏に住んでいますし、主人は日本語が一切できませんので。)が、文章を書こうとすれば、日本語ならばひらがなでかけますが、英語の場合は、簡単な言葉のスペリングさえわからないのですべてを私に聞かない限りかけません。
お礼
回答をありがとうございます。 > が、文章を書こうとすれば、日本語ならばひらがなでかけますが、英語の場合は、簡単な言葉のスペリングさえわからないのですべてを私に聞かない限りかけません。 日本語は発音から書き方がわかるけれど、英語はそうではないということですね。参考になりました。
- jayoosan
- ベストアンサー率28% (929/3259)
難しいというのをその方がどう捕らえたのかわからないのですが、仮にいわゆる最近言われる「正しい日本語」的な「用法的にも歴史手kいにも間違いのない書き英語」のことほどではないにしても、英語圏の人のタイプした英文をみると、ときどき「粗いなあ」と思うことがあります。 多いのはスペルのミスや、口でいう言い方そのまま書く人の文のことですが、書いた本人は見返しもせず、伝わればいいという感じなのかもしれません。そういう私も、ほとんど見返さないで投稿するので、脱落が多いのを知っているのですが(笑) あと私はタイプするとき、動詞の部分を頭の中で言ったつもりになっているのか、文章中で動詞をストンと抜かしていることがあります。 これは私特有のくせかとおもっていましたが、同じことをやるネイティブに過去2人であったことがあるので、もしかしたら書くことが一般的な意味で難しいのではなく、口でいうのになれてるが、同じことを文章に書くときには、それがそのまま文になるわけではないので、欠落や間違いを補正しなければならず、面倒・たいへん・時間がとられがち、ということもあるかもしれません。 あと、多くのネットサービス(メールやいろんな投稿フォーム)ではスペルチェッカーがついているところをみると、日本人が漢字をかけなくなってきたように、本来のスペルを思い出せない人も多いと思います。
お礼
回答をありがとうございます。私もよく動詞を抜かしてしまいます。疑問文の時など。やはり口で言うより書く方が手間がかかるということですね。
No1の方に100%同意します。 欧米人にとって外国語ができるとは「話せる」ということです。日本人が外国語ができると言う場合、「読み、書き、そして話せる」ということです。 主要欧米語の中で発音通り綴らない英語、同じ意味を表す動詞がラテン系とゲルマン系の二種類ある英語は難しい言語です。スペイン語、イタリア語は英語に較べて「書く」ことははるかにやさしい言語です。ドイツ語がそれに続くかと思います。 従って会話中心に英語を学んだ人(現地で耳学問的に)は書くことが苦手です。昔、初めてメキシコに 行ったとき、スペイン語を話すことを不思議に思う人はいませんでしたが、私が読み書きもできると知ったとき多くの人が驚いていました。(庶民レベルの話ですが) 漢字、かな文字の混じった日本語も難しいですね。
お礼
回答をありがとうございます。そもそも「外国語ができる」の捉え方が違うんですね。 > 主要欧米語の中で発音通り綴らない英語、同じ意味を表す動詞がラテン系とゲルマン系の二種類ある英語は難しい言語です。 はい、確か以前に教えていただきました。英語に限らずスペイン語でも耳から学んだ人は書くのが苦手な傾向にあるということですね。
- lookfor
- ベストアンサー率25% (52/205)
正しい英語を書くことは大変困難なことです。しゃべり言葉は、その場で消え、若干のミスなりは、誰も咎められませんが、文法的に正しく、達意で、ニュアンスまで書ききるとなると相当な実力が要ります。最近、speakingの重要性が強調されすぎているようですが、一見英語ベラベラに見える人に文章を書かせるとwouldやshallを使い分けれない、時制の一致ができない。微妙なニュアンスの違う適切な単語が使用できないなどとたんに、馬脚をあらわします。Writingの重要性は、もっと強調されてしかるべきと思います。質問に素直にお答えしますと「英語は話すのは易しくて書くのに難しい」…そのとおりと実感しています。
お礼
回答をありがとうございます。なるほど、と思いました。たしかにしゃべってる場面では顔つきも体の動きも声の色も手伝ってくれるし、とにかく通じればいいんですから。でもその人の英語能力は書いてわかるということですね。英語って結構難しいのですね。最近日本語が崩れているので矯正するような番組や本が出ていますが(昔もあったんでしょうか?)、それと似ていますね。そういえば日本語も普段話していますが、言ったとおり文章にすると変な文章になります。文が終わらないうちに主語が変わって言ってしまったり、文法的に変な文でしゃべっている事に気づきます。これは英語に限らない事ですね。
お礼
回答をありがとうございます。話す事と書く事は身に付ける段階ですでに違うということですね。どちらから入っていったかによって得意不得意が別れますね。 > 「小学生からアメリカに住んでいる人」は、生活体験として英語を > 話さざるを得ない環境にいたので、「話すこと」は自然と身につけた > けれど、書くのはきちんと学ばなかった、というケースでしょう。 なるほど、そうなんですね! > 英語に限らず、言語の習得にとって、「話すこと」と「書くこと」は、 > どちらが難しい、というものではなくて、習得方法が全く違うという > ことですね。だから、タイトルの質問に最終的に答えると、「それは > その人のバックグラウンドによって異なる」ということになると思い ますね。 よくわかりました。