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偶然性について。なにかの意図を感じるとき
昨日、岡本太郎の特番を見ていたのですが、番組自体はたいしたものではありませんでしたが、太郎が死去したその日に、関東地方で小隕石の落下があり、一種の「爆発」が観測されました。私は当時から影響されてましたから、「ああなくなったんだ!」という強い印象と、さらにこの偶然性によって(東京在住なのでニュースに新しい)「この人の強い意志が、《爆発》を具現化させたのではないか?」と感じました。当初からオカルト的なものには否定的でしたが、どうもこの偶然性はできすぎだと思いました。当時ニフティーフォーラムなるものがあって、今のヤフー掲示板のような感じでしたが、そこに質問すると、否定的な答えしか返ってこなかったので腑に落ちなかったのを思い出します。 実際この報に触れていない方は印象も抱けないことと思いますが、一例として思い浮かんだのがこれです。 そのほか些細なことではやはり「何か」の意図が働く偶然性というのがどうも存在するように感じます。私の場合は教訓のような感じで一種の「試練」が振ってくるのです。(たとえば、私は清潔過敏症で、先日洗濯機の槽が汚れたので買い換えたのですが、その配送員の人が腹を下していてトイレを貸す羽目になったのです。その後結構精神的にトイレ掃除で参りました。つまりこの皮肉な話は、「洗濯機の少しの汚れで買い換える贅沢症の潔癖症持ちめ!たくましくなれ!」という意図を感じました。 そういう、何か教訓とか象徴じみた話があると、これは偶然とは考えられないのです。 皆さんの意見はどうでしょうか?
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私は、岡本が隕石を落としたというか、死ぬ時に隕石が落ちることを彼自身が知っていたという可能性は否定できないと思いますよ。 話がすっごく大きくなってしまうのですが、こう考えてはどうでしょう? 私達は皆本当はいつ何が起こるか既に知っている。でも”何か理由があって”未来の事がわからない。(遠い過去の事も思い出すことができない) ばかばかしいと思ったらごめんなさいね♪ 私達のDNAには生きていく為のいろんな情報が詰め込まれていますよね。ダーウィンの進化論が正しいとすると、人間でなかった頃(猿とか魚とかアメーバ)の記憶も入っていることになります。だから生命を生んだ地球の誕生と成長が記録されていてもおかしくはないですよね。 (ダーウィンを否定し人間が神による創造物だとした場合・・・神がいるわけですから、何でもできます。こっちの場合は考える必要ありません♪) 地球が生まれるためには太陽の誕生があって、さらに宇宙の誕生へとつながります。宇宙がどうやってできたかはまだわかっていません。しかしDNAという記録媒体があるのですから本当は私達には記憶があるはずです。なぜ知らないんでしょうか?不思議です。 宇宙の形成は普通4次元以上で考えられていますが、4次元での時間はただ過ぎていくだけのものではないので未来も過去も順番が決まっているわけではありません。この宇宙の中に「記憶として残る何か」があるとすれば、”未来の記憶”というのも考えられます。 「その時の爆発」が、いったいどう廻り廻ってきたのかさっぱりわかりませんが、恐らく宇宙を通り抜けて(時間を曲げて)岡本の記憶の中にやってきたんでしょう。彼の芸術の爆発はその影響です。もちろん彼は知りません。 あなたは未来の自分が自分の事を「贅沢症の潔癖症持ちめ!たくましくなれ!」と思ったという”記憶”があって、配送員の人が腹を下していてトイレを借りる日に届くよう洗濯機を買ったのです。もちろんあなたはその事を知りませんでした。 こんなのはダメですか?
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- ocara246
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[シンクロニシティ」に関する本を読まれたら? 例えば古い本ですが「サンマーク文庫」から出版されました。著者はF・デビツド.ピート 訳者は管啓次郎氏 この概念はかの有名な物理学者パウリと深層心理学者ユングの協力にとつて生まれた概念です。 「意味のある同時生起 意味を持つかのように結びあわされた偶然のパターン、偶然の一致の意味するものは?」
お礼
その手の本は前に読んだことがあって、容認するものでしたが今読書する気力が(^^;どういう要点なんでしょうね。
- bender
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> これは偶然とは考えられないのです。 僕もそう思うときがあります。また、僕も何もかもが偶然とは考えません。 でも、質問された方の書いていることにはあまり同意できません。 というのも、世界を支えている「なにかの意思」が、質問された方に(しかも、おそらく効果のない)教訓なり嫌がらせをするためだけに配送員を下痢にさせたというのは、世界をささえるほどの意思にしては、あまりに単純だったり、(効果のない教訓を与えるなど)あまりに頼りなく、僕には受け入れ難く見えるからです。 例えば、配送員が下痢で困らないように、「なにかの意思」がその日の配送先を(潔癖症にもかかわらず)トイレを貸してくれる親切な人にした、という解釈だってできるのに、なぜ、「潔癖症持ちめ!」という教訓であったと言い切れるのかがわかりません。 質問された方の考えに同意する部分がなきにしもあらずですが、例えば、一緒に住んでいる家族の気持ちさえわからないことがあるのに、世界を支えているほどの「意思」について、そう単純に、しかも、どちらかというと自己中心的に、その「なにかの意思」は「自分が考える『なにかの意志』」と同じであるとしてよいのか、僕はそこに違和感を覚えます。
お礼
岡本の例と私を同列にしたのが間違いでした。でもそうコメントしていただけると、私の例では多面的な解釈が可能ですね。しかしトイレを貸すのは大抵の家で貸すとは思います。でも登場人物は私だけでないといえるでしょうから多面的に解釈できます。
- hakobulu
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これは、その人が【何に対して注目しているか】ということが重要な要素になるのではないでしょうか。 おっしゃるように、日本に隕石が落ちる確率が1/365だとします。 そして、それが岡本氏の亡くなった日に起きた、と。 ただ、それはbossambaさんが隕石の落下を知り得たからこそ言えることでしょう。 つまり、隕石以外で、しかも普段であれば1/1000ほどの確率でしか起こらないような出来事がどこかで起こっていなかったとは言い切れないのではないか、ということです。 潔癖症の例もありました。 これも1/150という確率が非常に稀であるということは、良くわかりますし、その稀なことが起こったというのも厳然たる事実でしょう。 しかし、問題はそれが【唯一の稀な出来事】ではない、ということです。 このエピソードの要点は、そのことをbossambaさんが気にしているということです。 稀な確率だから気にしているのだとおっしゃるかもしれませんが、そこが思い込みということになると私は思います。 なぜかというと、例えば、Aさんという犬好きな人がいるとします。 彼は犬を散歩に連れ出すという日課を一日も欠かさず実行していて、犬もそれを非常に楽しみにしていたのですが、岡本氏が亡くなった日は犬がどうしても散歩に出たがらず、初めて散歩を中止することになりました。 過去3年間一度も休んだことがなかったので、犬が散歩に行きたがらない確率は1/1095です。 Aさんが岡本太郎という人に興味がなければ犬の気まぐれで済みますが、大変ファンであれば犬もその死を悼んでいると解釈することもあり得るでしょうし、それはそれでまた趣のあることだと思います。 しかし、これが1/1095の確率だから何かの意思としか考えられない、と言ったとしたら、bossambaさんはどのようにお感じになるでしょうか。 確かにこれは仮定の話ですが、あくまで例えです。 とりあえず、岡本氏が亡くなったその日に、1/365以下の確率でしか起こらないようなことが恐らく無数に起きているはずだということです。 そこに何かの意思を感じるかどうかは、その状況に遭遇した人がその出来事に注目しているかどうか、というだけの問題です。 つまり、世の中は確率1/2や1/5、あるいは1/100や1/500または1/1000など【様々な確率】によって起きる事象の積み重ねによって成立しているのですから、そのうちのどれかに注目すればそれがその人にとっては特別な意味を持っているかのように錯覚してしまう、ということではないかと思います。
お礼
やはりここで回答される方は、科学的客観性というものを大事にしているように思えます。それはそれでとても貴重で強い姿勢なのでしょう。そして、私の論旨をなんとか覆そうとするなにかゲームのような感覚になる傾向があるのではないでしょうか。それは、こちらも鍛えられますし、貴重な体験だと思います。私にそれをどっしりと受け止めて、新たな論旨を展開していくインテリジェンスがあれば都合よかったのでしょうが、どうもその点は心もとなくなってきました。 ですので、感性の赴くまま、皮相的なコメントになってしまうと思いますが、ご容赦いただきたいと思います。 犬のことは、あくまでたとえというお話なのはわかります。しかし、インパクトがどうも違います。犬が散歩に出たがらなかったのを岡本の死と関連付けるのはターゲットが広すぎるきれいがあります。解釈の余地が大きいじゃないですか。犬は主人の偶像を悼むだろうか?ところが隕石は違います。「爆発」という誰にとっても共通の「言語的」認識が発生します。それが生前に売り言葉になってしかも国民に膾炙した実績がある人物の歴史があります。マスコミ的言語的な「一致」が発生しました。ここに、世界を混沌から「意味」があるものへと推し進めようとする力が働いているようにしか解釈できません。また、後のほうのご回答にもありましたが、それが日本にしかも関東に落ちたことで、一番国民的認識が想起されやすい状況になったわけです。いくらなんでもアメリカ人やフランス人に「爆発」している芸術家は?と問うて答えられる人は日本ほどいないでしょう。ですので同じ1/365でも、意味合いが違うと思います。つまり、個人的な認識だけでなく、大衆的に「この一致は何だ?」と認識されうるような、そういう質量ともにインパクトのあることが、なぜ起こりえたのかはやはりなぞとして残ります。ついでに言うと、私の例はあまりに卑近で個人的なので、同列に配したのは無理があったかなと思いました。それは犬の例と同じような話ですね。
- symbol
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偶然も続けば必然、神とは確率そのものといいますが、自転車通学で疲れているときに限って、強風の向かい風が吹くと神=「確率」が鍛えようかとしているのじゃないかと考えるときがあります。 確かに自転車で速くこぐと風を受けやすくなるので、強風に苦しみやすくなるのは当然なのですが、そこから何らかの「意図」を見出すのは、やはり想像力という面において大きく進化した人間として重要なことだと思います。 ただ「何か」の意図において「何か」を具体的に想像するのはあまり有意義なことではないかもしれません。往々にして新興宗教者はそういうものを利用するので。 少なくとも質問者様はトイレを他人に使われてしまったという不幸をあえて「教訓」とプラスに変えて解釈しています。こういうことは人生をただ偶然と片付けて生きるよりはメンタル面でも成長が促進されるし、岡本太郎氏の例でも偶然じゃないかもしれないと考えて生活しているとやはりイマジネーションは高まると思います。 ポジティブシンキング+右脳促進です。
お礼
ここまででどうしても否定的なご回答しかないので、めげそうなんですが、私はそういうことではないと思います。ご回答の中にもなにか納得していない印象があります。強風で鍛えさせようとしていると感じること、そのことを思い込みだと無理に押さえ込むことはないんだと思いますよ。 私がこだわるのは、「教訓」とかイマジネーションの問題ではなく、それらは二義的です。問題なのは、明らかに少ない確率でしか起こりえないことが、教訓めいた象徴めいた形で生起するのかということです。 たとえば例に挙げた岡本太郎の場合、日本に隕石が落ちてきて新聞沙汰になるなんて年に一回くらいなものでしょう?それが「爆発」スローガンの火付け役が消えた日に起きる確率は1/365です。なにか象徴的な意味合いを感じさせるためには、1/365という狭き門をくぐらなくては生起しなかったのです。私の最近の例でも、その配送員がその日に回った家の何割に潔癖症持ちがいたでしょうか。おそらく多く見ても1/30位じゃないでしょうか。腹下しの発作が起きてトイレを遣わしてもらった家は朝から回って10件として2件くらいですか。1/5ですね。潔癖症持ちの家でトイレを使う確率は1/150ですね。それが実際起きたわけです。そうすると上記のような「潔癖症持ちめ!これでも食らえ!」みたいな教訓が浮上してくるわけです。 どうしてもこの数字上の問題で、ある種の偶然性というのがなにかの意思に直結している気がしてなりません。
- mozomozo123
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哲学的に見て偶然性を解釈するならともかく、これは哲学ではないと思います。 あえて言うなら、「偶然」とは「何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。」です。 つまりこの世の全てが「偶然」であるとも言える訳です。 何の因果関係もないので、そこに偶然性を感じませんし、 偶然を感じ取りたい、偶然を教訓にしたい人間性があるのだと思います。 恋愛は特にそれで、人は恋愛において偶然を運命に置き換えたがり、それを感じたがります。 この希薄な世の中で、特別な人と関係の濃さを感じたいのでしょう。 偶然性とは、あなたが「特別」と思っている人の出来事で、 「関係」を作りたい、と定義することができると思います。 恋愛なんて偶然なんて本当は少なく、ほとんどの「偶然」が作為的に作られているわけですが、 そういうのに酔っちゃう女性が多いんですよね。
お礼
哲学的な「偶然性」というものがどういうものなのかよくわかりませんので、哲学のカテゴリーで質問しました。科学でしょうか? しかしおっしゃることはもっともだと思いますが、私の質問とはちょっとずれているように思われます。私がこだわるのは、無理やり偶然をいわくありげな筋書きにすることではなく、どうもランダム事象の世の中にしちゃあ、話がまとまりすぎていると直感的に思うこと、強い印象をいやおうなく受けることについてなんです。
- dhvuk245
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どう見ても偶然です。 本当にありがとうございました。 あとから無理矢理こじつけているだけに過ぎません。
お礼
やっぱりまず否定的なご回答ですね。しかし、どうしてそういいきれるのかわかりません。偶然だという根拠ということを考えると、やはり釈然としません。
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お礼
なにか、自分の体のことを自分で知らない、胃があって脳があっていろいろな器官があって、それなのに難しい医学書を見ないと、それらの機能が理解できない・・・こんな理不尽なこともないですよね。魂は体に宿っているだけで、純自然的な体と、精神とは別物なんじゃないかと時々思います。 しかし、近い過去の記憶があるのに近い未来の記憶がないというのが、ちょっと不可解ですね。でも、あらかじめ話の展開を知っていた、その話にオチをつけるために、無意識にお膳立てをした。そういうことも可能性としてとどめておくと、後で役立つかもしれませんね。