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どうして多くの教科を学ばなければならないのか
高校生です。最近疑問に思ったのですが、なぜ沢山の分野の勉強をしなければならないのでしょうか。自分の好きな分野の勉強を極めれば、将来その分野でトップになれると思うのです。全ての分野をマスターして意味があるのでしょうか。本当に自分が学びたいことが何なのかわからなくなってしまいそうです。また平均的に全て出来たとしても、それでは得意分野がありませんよね。例えばタイガーウッズは小さい頃からゴルフ一心でやったからこそ、トッププレイヤーになれたのだと思いますが、学校の勉強もトップだったのでしょうか。 全てをマスターする必要があるのですか。全て出来る人間なんていないと思うのです。
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社会にはさまざまな職種があり、それらを見ていくと学生時代に習うさまざまな科目の知識が生かされています。 ひとつの分野を極めればいいものではないのです。 ひとつだけの分野を極めていけばその分野のことしかわからず、視野が狭くなります。 しかし、いろんな科目を学べば、それだけで視野が広くなり、いろんな考え方をすることができます。 得意分野というのは自分で見つけるものです。 しかし、得意分野を見つけるまでには多くの科目を学習していないと見つけることはできません。 それに社会ではひとつの分野で極めてもさらに+αが求められるのです。 例えば、プログラマという職業があります。 プログラマをやるには、プログラミングの知識が必要です。 しかしこれだけでは、プログラムを作ることは難しいです。 ゲームを作るなら数学の知識・物理学の知識・人間学や心理学などの知識も必要になりますし、デザインなども必要です。 ひとつの分野を熱心に研究する研究者も一通りほかの科目・分野の知識を持ち、自分の得意とする分野でそれらの知識も応用しながら研究しているのです。 すべてをマスターする必要はありませんが、それなりの知識を持ち・さらに自分の得意分野で応用できるようにする必要はあります。 ゴルフひとつをとっても、一分野に見えますが、これでも数学・物理は関係してますしほかにもさまざまな分野が関係しています。 ですのでひとつの分野を極めようと思えば他分野も学ばなければならないのです。 そのために小・中・高ではさまざまな分野の基礎となることを勉強し、大学や社会で研究・応用してよりいい物を作ったり、より効率のいい仕事の仕方を考えたりできるのです。 すべてをマスターしようと考えず、基礎だと思えばいいのです。 その基礎の中から自分がより理解しやすい・学びたい分野を深く広く学べばいいのです。
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いずれの専門的な分野も、それだけで成り立っているわけではないからです。 そして大半の人は、一芸だけで身を立てられるような才能を持っていないからです。 ゴルフにしたって、子どものころからずっとやっていれば、トッププレイヤーになれるとは限りません。大半は、やったって結局なれないのです。 社会に出れば、いろんなことを学ばなければならなくなります。 高校レベルで習うことは、直接社会で使わないことばかりですが、社会で自主的に学ぼうとしたときに、そのとっかかりにはなります。 とっかかりを作っておくために、幅広く学ぶのです。 とはいえ、今の高校の教育が、ちゃんとそのことを考えて教える範囲や教えかたを決めてるとは、到底思えません。教科の連携もないようですし。 いろんなことをなんで? と思うのは、そのせいだと思います。
お礼
回答、ありがとうございます。 ・専門的な分野は、それだけで成り立ってはいない ・やっておかないと、社会で自主的に学ぼうとしたときに足かせになる ということですね。共感しました。 また、現在の高校教育がその定義を決定付けていないということがわかりました。
- horaemon
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残念ながら、あなたの根本的なまちがいがひとつあります。それは高校程度の教育でマスターにはなれないことです。 高校までの教育では勉強の仕方を覚えるのが精一杯で、自分の好きな分野がそれまでに決められたらよい方だと思いますよ。 専門分野でトップになれる人ならば、高校程度の教育はすべて問題なくこなし、さらに自分の好きな分野を独学で研究しているはずです。高校では必要最低限の分野に限られていますから、これでも足りないと思う人もいるかもしれません。 あらゆる知識をまんべんなく持っていることがスペシャリストとしての最低条件でしょうね。 高卒ってのは勉強のスタート地点と理解してください。
お礼
それは盲点でした。確かに高校程度の教育はトップに立つ人ならば問題なくこなせなければなりませんね。
- hamakko_2003
- ベストアンサー率28% (114/400)
すべての分野をマスターするのは、到底無理でしょう。 そこでですが、本当に自分が学びたいことなんて 誰にもわからないと思います。 自分にはゴルフの才能があると思い込み プロにもなれず、ただの自己満足になるかもしれないです。 理科が好きだから、科学者にはなれないです。 歴史が好きだから、歴史学者にはなれないです。 回答ですが、選択肢・視野を広げるために、多くの科目を勉強する。 例えば、ゴルフがうまい人が多くても、社会は成立しません。 ゴルフ場を作る工事業者、工事をする機械を作る人、そこにお金を投じる人、 それらの人の食を支える人、その食を運搬する人、運搬するための… という風に社会は互いに関連づいています。 皆が皆、好きなことをやっていても成立することはないです。 中には、夢に挫折して、生活の糧のために働いている人がいます。 そうした人がタイガーウッズ等に自己を投影して満足するのです。 と、わかった気になっている私の回答です。 余談ですが、私は歴史学者になりたく、いろいろと勉強をし その筋の人に研究者にならないか誘われました。 ですが、生活のために断りました。 ○○の真相がわかったからと言って、お金にはなりません。 ですから、生活は生活、歴史は趣味と割り切っています。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 「本当に自分が学びたいことなんて誰にもわからない」とは、自分でもわからないということでしょうか。自分が学びたいことははっきりしているのですが…。 「理科が好きだから、科学者にはなれない…」というのは本当でしょうか。理科が好きだから、理科の勉強を人一倍頑張れるし、頑張れば才能どうこう以前に科学者になれるのではないでしょうか。努力がものをいうのではないのですか。 「生活のために夢をあきらめる」これは多くの人がそういうことを決断してきたと思いますが、そこをどうにか我慢すれば自分の夢も夢ではないと思うのですが…。 「ゴルフがうまい人が多くても、社会は成立しません」ということはよくわかります。しかし、だからといってゴルフが一番やりたいことなのに社会の成立のために諦めるものなのですか。 多くの疑問がまた出てしまいましたが、どうかお付き合い下さい。
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お礼
長文ながら、わかりやすい回答どうもありがとうございます。全てをマスターという考えではなく、基礎だと思えばいいのですね。マスターまではしなくても、基礎レベルは持っていないとその上には行かれないということですね。