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「得意分野を伸ばす」欧米の教育について

日本の教育は概して、「他よりも秀でた何か」より、「とりあえず何でも平均以上に出来ること」を重視する傾向にあると聞きます。 一方、欧米の教育では、苦手を平均に持ち上げるよりも、得意分野や好きな分野をとことん伸ばすということを聞きます。 単純な疑問なのですが、このような教育を受けた欧米人は、苦手分野に直面した時、それから逃げてしまったりすぐに諦めたりなどということはないのでしょうか。得意不得意の差が極端になるという弊害は出ないのでしょうか。また、そういった欧米人が日本社会で働くことはやはり難しいものでしょうか。

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回答No.3

「社会で苦手な分野」がどのようなものを指すのか分かりませんが、学生時代に習ったことはそんなに社会に影響しているとは思えません。理系や運動など特定の分野が苦手だったのならそうじゃない仕事に就けばいいだけのことでは? それから、欧米は仕事も専門化されています。日本のように1人の人があれもこれも兼任することは稀です。女性だけがコピーやお茶汲みなどの雑用をさせられることもありません。 日本の会社では1人大変な人がいれば、みんなで手伝ったりということもありますが、欧米では自分のノルマさえ終われば帰ります。 このような社会で育った欧米人が日本社会で働くことは、やはり難しいでしょうね。以前、同僚に欧米人がいましたが、頑張って日本社会を理解しようとする人と、母国のやり方に固執する人に二分化されていました。 上司のうけが良かったのはやはり日本文化に馴染もうとしていた人の方ですが、今まで「自分」だったのが「他人」に合わせるということは難しく、精神的におかしくなって帰国してしまった人もいました。 逆に、日本人が欧米で働く時も同じことが言えます。忙しい同僚を手伝おうとした日本人が、お礼を言われるどころか「私の仕事に手を出さないで」と怒られたそうです。

londonia
質問者

お礼

解り易い例をどうもありがとうございます。 確かに欧米ではどこでも「Secretary」がいますね。 どちらがいいっていうのは一概に言えないですが、 郷に入れば郷に従おうとする心が大事なんですかね。

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  • shunnak1
  • ベストアンサー率37% (296/791)
回答No.5

子供2人が大学に通っています。中学から北米です。 (一方、欧米の教育では、苦手を平均に持ち上げるよりも、得意分野や好きな分野をとことん伸ばすということを聞きます。) 日本では本当にこのようなことが言われているのでしょうか?浅学ですから初耳です。学校側からそのような教育方針が示されていることは私の数少ない経験からみるとないと思います。 しかし、中学、高校での教育内容はかなり異なるとは思います。 1.中学、高校に於いても必修科目、及び選択科目 が明確に規定されている。必修は英語及び数学です。 その他は大体選択ですから、得意、不得意、好き嫌い によります。最終学年になれば、4年制大学進学組と短大、専門学校、就職組と二分されますから、後者の場合には益々自分の得意、好きな分野を選択する傾向が強まるでしょう。 2.日本は知識習得、詰込み型教育。北米は問題発見、討論、解決策提示型の教育です。平均的にいろいろな分野の知識を教え込まれる日本と違って、1の理由とも合わせれば苦手な分野(科目)も当然出てくるでしょう。 (苦手分野に直面した時、それから逃げてしまったりすぐに諦めたりなどということはないのでしょうか) どのようなケースを想定されているのか、私にはわかりませんが。単なる数学とか理科とかという特定分野について言われているのだとしたら、”諦めます”といわざるを得ないのではありませんか。私は日本で教育を受けた者ですが、苦手な分野に直面したら簡単に諦めて逃げ出していました。それでも何ら不都合はありませんでしたよ。 社会で働く上で重要なことは、知識習得型よりも 自分なりに習得した問題発見、解決、説得、交渉能力です。数学や化学の知識で働くわけではありません。各人が得意分野を発揮すれば、企業は問題なく動く仕組みになっています。それよりも如何に自分ができない事を他人に上手に頼むか、円滑に他人を使う能力(それが前述した事柄です)が重要です。特に上に立つ人になればなるほどです。更に言えば、それら能力だけでは駄目です。最も重要なのは人柄です。

londonia
質問者

お礼

どうもありがとうございます。好き・得意な分野がはっきりする教育って感じですかね。やはり合理的ですね。

回答No.4

No1です。 >「出来ない」「苦手だから」とはっきり言えば見逃される、ということでしょうか? その通りだと思います。 「出来ないなら利用価値が無い」と思われるくらいでしょう。 実にシンプルで合理的な考え方だと思います。 日本だと「出来ないなら出来るように努力しろ!」という島国っぽく、依存的に気を使ったお世話をしていただけるかもしれません。

londonia
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 >「出来ないなら利用価値が無い」と思われるくらいでしょう。 なるほど、見逃されると言うよりかは、あっさり切られる、くらいに思ったほうがいいかもしれないですね。ある意味、厳しい世界かも。

回答No.2

 他は分かりませんので、一つだけ答えます。尚、この回答は科学的な認識ではなく、仮説です。 >得意不得意の差が極端になるという弊害は出ないのでしょうか。  得意不得意の差が極端になる事は、弊害ではないと思います。と言うのは、人間は協力する生き物だと考えられるからです。  また、日本の教育は、何でも平均以上にする、と言う目標を始めから達成していないので、結果、得意不得意の差が極端になっています。これで維持できているのだから、現実においても得意不得意の差が極端な事は弊害ではないと言えます。  ・・・一般に人は仕事を選ぶときは、得意な物を選びます。一般に勉強より労働の方が大事だから、苦手科目の克服はされません。  得意科目の経験は仕事に生かされますが、苦手科目の経験は日常生活では活用されない他、補完される事もありません。活用されない経験は忘れ易いと言われています。  つまり、日本においても、想像以上に得意不得意の差というのは激しいと考えられるのです。  ・・・本当に欧米が得意分野や好きな分野をとことん伸ばしているなら、それは合理的だと思います。

londonia
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 得意不得意の差が極端になることは弊害じゃないですね、確かに。 それをあたかも弊害かのように言う風潮のほうが弊害ですかね。

回答No.1

昔の日本の「教育概念」と混同して考えない方がわかりやすいと思います。 昔の日本は他人より劣る分野を叱って(教え)平均以上にしようとしていました。 一方欧米の教育は他人より劣る分野は目をつぶり、得意な部分を誉めて伸ばし「これなら誰にも負けない」と、 人間としての自信をつけさせることで苦手分野も(俺ならできる)と思えるようにする教育をしているのだと思います。 また本当の苦手分野に直面した際も、自信からくる主体性によって「出来ないことは出来ない」とハッキリ言えるのではないでしょうか? 欧米人からしたら、日本社会で働くのは大変なことだと思いますよ。

londonia
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 すると、欧米では社会に出た時に、苦手分野に直面しても 「出来ない」「苦手だから」とはっきり言えば見逃される、ということでしょうか?ここら辺、日本ならば、「逃げ」とか「意志の弱さ」とか言われると思うのですが。

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