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何故少年は少女より軽く見られるのか?
高2女子です。 社会学系の本を読んでると気付くのですが 少女期や女子高生というカテゴリで悩みや生き方を考察しても 少年や男子高校生というカテゴリで見られる事が極端に少ない気がします。 (そもそも女子高生とは言っても男子高生とは言わないですよね?) 人間的には皆平等だと言っても社会的に女子高生(中学生)と同世代の 男子への目線は明らかに差がある気がします。 こういった現象は日本特有なのでしょうか? また少年達は同世代の女子が社会的に自分達より高い価値を置かれている事についてどういう感想を抱いているのでしょうか?
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社会学の専門家でもないからこと好き勝手に書きます。 >どう見られてるか というのは女子も男子も同じくらい 精一杯な気がするんですが 一通り社会(見学)勉強を済ませたから・・。 男性は強さに魅了されます。 善意、正義感にも端を発するからでもあります。 しかし強者を支えているのは多くの弱者で 弱者が存在しなければ強者といえど 全て自分で経験しなければなりません。 弱者を歓迎することは偽善感もあり、 見下していたのでしょう。 しかし弱者こそ強者の恩人だったと理解したのも 落ち着いた原因ですかね。 >共感性の価値とはどういう事でしょうか? 男性も正義感が昇華すれば 女性的な感性を持つと思います。 的というのは弱さに魅かれる「母性本能」。 女は産まれてから骨を埋めるまで母親なのです。 「かわいい」を連発するのは、 純粋に弱さも歓迎するのです。 女性は多くの異性に誘われるより 強い男性に選ばれることに価値を置きます。 しかし弱さに魅かれる母性は 恋愛のそれよりも強い本能なので 強い男性が弱さを垣間見せた時コロっと なってしまうの。 強さも体力であったり、 知識であったり、感性であったりするのですが、 弱さにどうしても魅かれてしまうので 「どうしてあんな奴と付き合っているのか」というのはよく見かけることですね。 強さも弱さも同時に共感する歓迎する感性という意味です。
気がついたことがあったので再度お邪魔します。 市場経済、教育機関、娯楽、風俗、その他もろもろ 利権の絡むところ主に社会は男性が回してますよね。 女性は消費者としてのターゲットでチヤホヤします。 同性(♂)は若いといっても 種として♀を奪い合うライバルですし、 市場においてもいずれ戦うライバルになります。 苦労して利権を掴んだ。 それなのに! 年季だけでは生き残れない、 しがらみばかり増える。 有能でもしがらみのない若造に 逆転されたくない。 女子高生は脅威にならず奔放でいて欲しいが 少年に対して世間が関心が薄いのではなく 競争社会で無条件に 価値の上がることを危惧されているから。
- hakobulu
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少年期や男子高校生というカテゴリーが目立たないのは、日本においては若者・高校生と言えば基本的に男子という認識がまだ根深いからだろうと思われます。 とはいっても諸外国の事情に詳しいわけではないので日本特有の現象なのかは良くわかりません。 どちらにしても「>男子への目線は明らかに差がある」のは事実と私も思いますが、それはむしろ逆の意味ででしょう。 つまり、通常の人間ではない、ただの高校生ではない、という認識がもたらしている目線ではないかということです。 端的に言えば、ごく当たり前の一個の人格として認められる度合いが男子に比べて低い、ということになると思います。 その理由の第一は肉体の構造的差異に注目する人が日本ではまだ多いということでしょう。 凹と凸の違いを重視する。 すなわち精神性に対する認識を重視する習慣が定着していない、ということになるように思われます。 凹は受身的形態であると同時にあらゆるものを呑み込む指向性の暗示でもあります。 吐き出されるのが新たな人類です。 こういった肉体的特殊性・神秘性を持っていながら他の面では殆んど男と変わらぬ形態を披瀝する生き物として焦点が当てられるわけでしょう。 というわけで、その肉体的不可思議を顕現しているものとして興味の対象とならざるを得ない、というだけの話であって、社会的に男子より高い価値を置かれているわけではないように思われます。 凸は一方的に出すだけですが、凹はそれを受け入れた後も化学変化を体内で生じさせ新たな命を生む劇場となります。 この圧倒的なそして奇跡的な作用に比してその生態の何と***なことか・・・。 そのあまりの脆さに人は興味を引かれあくことなき探求はこれからも続くことでしょう。 その脆さの内包がまた女性の美の重要な一端を担っていることは確かだろうと思いますが、昨今はこの本質的脆さを直視できず泡沫の強さばかりが価値あるが如く錯覚しているかのような風潮があるようで、何かが危惧されるべき時代に入っているのかもしれません。 ま、単なる戯言ですから話半分に聞いておいてください。
お礼
回答ありがとうございます。 >日本においては若者・高校生と言えば基本的に男子という認識がまだ>根深いからだろうと思われます。 むしろいまは逆になっているのでは?と思うことがあります。 ネットなどで高校生にアンケートした流行等の記事を読むと 女子にしかアンケートを取っていない事があるからです。 むしろ一個人、早熟な大人としては 女子の方が認められているのではないでしょうか?
- phj
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社会学的に見て、「性差」という考察が散見されるようなったのはごく最近で、1960年代以降のウーマンリブ運動がきっかけです。 今ではこの運動も多様化し賛否両論あるので、深くは追求しませんが、運動のきっかけは「男女同権」(平等ではないことに注意)を求める中で、女性は男性とどこが違いどこが同じなのか?というテーマを追求したことでした。 ここで初めて「女性学」が成立します。この過程で、「母と娘」「自立した女性」などの研究を通して、子供から女性に成長する過程で、社会(両親なども)からどのような影響を受けて、性差が広がっていくのかが研究されました。 その結果、思春期女性についても広く認知されるようになったのです。 それに比べてマンリブ(男性社会学)が認知されるようになったのは遅く、1990年代に入ってからといえます。 また、男性中心社会的なところはありますので、取り立てて男性について注目してこなかったところもあるのでしょう。 女子高生に価値があるということはありません。あるのは15歳程度~18歳程度の若い女性性に商品価値があり、お金を儲けることが出来るということだけです。 ちなみに私は「おにゃんこクラブ」が流行ったころに男子高校生でしたが、その頃はまだ女子高生に商品価値はありませんでした。 しいて言うなら「おにゃんこクラブ」そのものがハシリです。この頃は「オールナイトフジ」という深夜番組があり、女子大生にスポットが当たっていました。 その妹分として出てきたのが「おにゃんこクラブ」です。この頃に高校生がディスコに行っても、背伸びしたコーギャル(高校生ギャルの略)として相手にしてくれなかったようです。 このコーギャルがコギャルの元になっています。今は意味が正反対ですね。
お礼
回答ありがとうございます 「女性学」という女性を問題にするカテゴリが もともと先に出来たので取り立てて 語る必要が無かったという事ですね。 おにゃんんこクラブの話は興味深いですね。
- kokoreko
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2です。がんがって見ます、、。 1経済的な面 女子高生のほうが金になる→出版,TV、、 2研究、朱筆面 男性がほとんど→自分のことは書く、必要がない、 書きたくない、 また、基本的に男は単純、たとえば男が女を見て判断するとき、非常に価値判断が単純、女は「この人は私にとって最適?他にいい男は?」など、いろいろ。おとこはマッリジブルーに為らない。 3社会的システム面 たとえば生産金額ほぼ男、消費ほぼ女 →彼氏にみんなデート代出させてませんか?今は違うんですかね、、、、! まだまだいいたいことはたくさんあるんですが、、、 あと根本的な性差がある=男と女は基本的には違う生き物である。といいたっ買ったのです。2にもっとも関連しますかね。男は男に興味を持ちません。またそのことを女性が理解するのは難しいと思います。逆もまたですけど。 ま、あなたが社会学者になりたくさんの少年期の心理追求本を書くのが一番の解決策ですかね。ま、可なり難しいでしょうかね、、、。 「~についてどのようなお考えを」 「せくす」 「え、ええ、、、ええええ、」 「だから、せくす」 「これだから男って、、女でよかった、、、よーし明日から女子高生の研究するぞ!」 一言で言うと、男とは 単純、馬鹿、いつも××ばかり、、、 しかしそこがかわいいのよ、とわたしのようになるのはあと10年は必要よ!
お礼
>男は男に興味を持ちません。 やはり難しいですね・・・。 女は女に興味を持たないという事は無い気がするので・・・・ 回答ありがとうございました
多分に推測ですが(私は女性です)、 少年期の関心事は 「自分はどう見られているか、どう見せるか」よりも 「あんなことしたい、見たい」願望で頭が一杯なので、 探りを入れるのは気の毒なことのように思います。 余りに関心があり過ぎて 自分で持て余して平常心を保つことさえ 人知れず苦労しているのです。 少女よりも少年がシャイなのは 「相手のこともっと知りたいけれど、 自分の欲望から解放されたい」 という切な思いなのです。 >少年達は同世代の女子が社会的に自分達より高い価値を置かれている事についてどういう感想を抱いているのでしょうか? 肉欲が芽生えることによって、 闘争心も増すのですが、 経験が浅いうちは価値規準が目立つ外見であったり、 やらせてくれそうかだったりと、 内面のことより接触の機会を伺ってばかりなのです。 女性に高い共感性の価値が、あるとは気付いていない? やっちゃいけないことですが、 二人乗り自転車のカップルというのは だいたい女子が運転して、 男子が後に立って彼女に掴まってます。 偉いのは彼女で、責任能力、気力が充実しているのでは。 「優しくされる人が偉い」 「苦労するのは損」というのは どうみても弱者の甘えで やはりまだその少年の欲望以外の領域では 頭は軽いので気にしてもしていない のではないでしょうかね。 賢い男子なら責任の所在も、欲望以外の能力も 女性の敬い方も心得ているはずで その場合でも軽く見られていても 好んで卑屈になりはしないし 女性に嫉妬しないはずですよ。
お礼
回答ありがとうございます >「自分はどう見られているか、どう見せるか」よりも >「あんなことしたい、見たい」願望で頭が一杯 どう見られてるか というのは女子も男子も同じくらい 精一杯な気がするんですが もう少し詳しく知りたいです。 周りを見てると高3くらいになると落ち着くような気がしますが・・・ そして共感性の価値とはどういう事でしょうか?
- UndineBlue
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No.5です。 >違いを許容できない人と言われるのは悲しいです。 勘違いさせてしまいましたでしょうか?言葉が足りなかったようですね。 私は一般論を述べただけで、質問者さんがどう思われているかには言及しておりません。 >精神的ケアを求める男性は女々しいという風潮がそうさせている それもあるでしょう。 しかし、それ以上に生理や外見的な変化(ボディイメージの変化、情報の氾濫による間違った理想体型)、身体能力の変化(学童期の初めまでは男女差があまりないが、性徴に伴い平均して男性の筋力が女性を上回るため劣等感を感じる場合がある)の影響が大きいと思います。 個人的な見解として・・ 男子高校生を考察する場合、どこに焦点を当てるかが難しいですね。 大きく目立つ部分、例えば部活や何かの活動を取り上げると「○○をやっている高校生」になってしまい、平均した男子高校生ではなくなってしまいます。 (もちろん今ある「女子高生」というイメージも、マスコミによる操作の賜物で、平均した女子高生像ではありませんが)
- leo-ultra
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#4です。 >女子高生に対する考察ばかりが 溢れているのは「男性中心の社会」が原因なのでしょうか。 男子高校生が修行中の身だとすれば、その修行中の身を 考察する文脈が存在してもいいと思うのですが それが殆どと言っていいほどない事が不思議です。 むしろ、なぜ男子高校生に関する考察がないのかというご質問ですか? なぜでしょう? 考察者が男性である場合はなんとなくうなづけます。やはり「なぞ」の対象を考察したいと思うからです。 「女子高校生」は成人してある程度常識もある男性にとっては大きな「なぞ」です。ある意味で長年培ってきた常識が通じない。いやむしろ、そんな「なぞ」の存在であって欲しいという気持ちがあるのかもしれません。 30才過ぎた女性ならば話をしていて、なんとなく常識が通じるし、「会話」が成立するような気がします。だから逆に考察の対象とならないのかもしれません。 なぜ、男性考察者が男子高校生を考察しないのか、 昨日の自分の姿です。薄汚いし、未熟だし、汗臭いし、純情でかっこ悪いし。自分の触れられたくない過去だし、美化できないし、正面きって考察したくありません。 女性の考察者が男子高校生を考察しない理由はわかりません。(むしろ理由を聞きたい。)
- leo-ultra
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#4です。 そういえばこんなことを聞いた(読んだ?)ことがあります。 うら若きメスに惹かれるのは人間に限ったことではなくて、ある種のサルでも同様だと。 その生物学的な根拠は、若いメスの方が妊娠の確率が高く、健康な子孫を産む確率が高いからだと。 サルは当然、こういった理屈を頭で理解しているわけではなく、遺伝子に刷り込まれた本能なのでしょう。 今日、日本で「女子高校生」が異常にブランドなのは、昨今の異常に低い出生率に本能として危機感を感じた動物としてのヒトの種の保存本能によるものかもしれません。 そうか僕がロリコンという変態趣味なのではなく、 全て遺伝子の種の保存本能のなせる業か?
- UndineBlue
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いやいや、元々は逆でしょう。 一般的に「男子」とつけなくても男性を有意に見るため、あえて「女子」と付ける風習の名残的なものが多いと思います。 冠詞がないものは男、女子にはわざわざ「女子」と冠詞をつける。 成長についても男性の成長を基本として、女子を比較して出しているために「少女」とか「女子」というのが目立つのだと思います。 男尊女卑社会から男女平等にするために、並列にしようとした結果の流れです。 今でこそ「高校生」と言っても男性か女性か区別がつきませんが、昔は「高校生」と言えば「男性」を連想するものだったのです。 ただし「女子高生」などは、そこからメディア的な価値などを見出し、ある種ブランド名的になっているのは確かです。しかし、その価値と言うのは社会情勢によって変わるもので、恒久的なものではありません。まぁ今のような社会が続けば、「女子高生」ブランドの価値も変わりないかもしれませんが。 また女性は、成長においても性徴などの違いによって男性より精神的ケアが必要であったり、性的問題などもあり特別視されるのかもしれません。 なお、欧米でも大差ないと思います。 元々「レディファースト」とは、貴族が暗殺や騙し打ちに合うのを避けるために女性を先に部屋に入れたりする所から始まったのですから。 そういう社会からのリバウンドでしょう。 まぁそもそも平等などありえないですけれどね。違いを違いとして許容できない人が「平等」などと言うわけで、優れた所もあれば劣る所もある。それぞれを補っていけばいい話なんですが・・何でも平等にこだわる人には納得いかないようですね。 本当に男女平等をうたうなら、女性優遇も問題だという事に気づかない人が多いですね。
お礼
>昔は「高校生」と言えば「男性」を連想するものだったのです。 これは始めて知りました。 一見特別視しているようで、特殊なので分別している という意識は確かにそう感じる時はあります。 >また女性は、成長においても性徴などの違いによって男性より精神的ケアが必要であったり、 男性には精神的ケアは不要だ、精神的ケアを求める 男性は女々しいという風潮がそうさせている部分もあるのではないでしょうか? >女性優遇も問題だという事に気づかない人が多いですね。 何を持って優遇とするかにもよると思いますが、 女性を過剰に持ち上げたり優遇するのは問題だと思います。 そういう思いが根底にあってこの質問をしました。 違いを許容できない人と言われるのは悲しいです。
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お礼
再び回答していただき、ありがとうとうございます >女子高生は脅威にならず奔放でいて欲しい 私は最近まで大人は、奔放さというのを 徹底的に取り締まりたいものだと思っていました。 でも例えば女子中高生が女性性を誇示した服装、化粧をする事 (いわゆるギャル服)や性体験などは疎まれると同時に 社会的に望まれている部分もあるのだなと思います。 miko-desiさんのレスは色々気付かされました