• ベストアンサー

白虎隊はどうして城が燃えていると勘違いしたのでしょうか?

白虎隊の悲劇は有名ですが、 ひとつ気になるのは、 どうして城が燃えていないのに燃えたと勘違いしたのかということです。 武家屋敷の出火と見誤ったそうですが、 そんなことあるでしょうか? 城は聳えたっていますので、それが燃えているかどうかは 一目瞭然だと思われます。 煙で城が見えなかったとすると城が燃えていると早計には判断しないだろうと思います。 現地で城がどのように見えるのかがポイントになると思いますが、 どのようなものでしょうか? よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • schorls
  • ベストアンサー率41% (111/269)
回答No.5

白虎隊が自刃したと言われる飯盛山に登って、 そこから城下町を見下ろしたことが何回かあるんですが、 鶴ヶ城(若松城)は、今は再建されたものですが、良く見えました。 距離も4キロくらいしか離れてないんですよね。 飯盛山というのは平地にぽつんと立っている小さな山で、 ここに逃げ延びたとしたら、もう四面楚歌だったろうなと想像します。(想像ですが・・・) 加えて、戦火で城下が激しく燃えていたのだろうと思います。 落城を確認したと言うよりは、街の有様を見て、もうダメだと感じたのだろうか? などと想像しました。

その他の回答 (5)

  • naka0209
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.6

私が耳にした説を回答します。 1、会津に台風が直撃して3日3晩豪雨と強風にあおられて、睡眠・食事をまともに取っていない状況にあった 2、転戦(敗戦)の連続で緊張(ストレス)がかかりっ放しの状態。 3、会津の武士道教育は他藩より厳しい。 この3点と集団心理が働き切腹したという説です。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.4

当時の城は城下町の中央近くにあり、城下町が火災で炎上すると黒煙や火炎で見通しがわるくなります。 城自体が炎上していなくても周辺が火災という事は落城寸前と誤解する事は十分考えられます。 白虎隊は当時指揮官役の年長者が行方不明で殆ど1日以上食事も睡眠もとれずに山中を敗走してようやく城の見える高地にたどりついた所で、疲労と空腹で疲労困憊の極地でした。 戦闘継続の出来る状態ではありませんでした。 従って誰かが自決しようと言い出せばそれを制止出来る状況ではなかったと思います。 自決後唯一の生き残りの若者の談話も真実を語るにははばかりがあるでしょうからやはり藪の中でしょう。

  • omi3
  • ベストアンサー率20% (72/359)
回答No.3

自刃の方法を習ったばかりの中高生は、 他になす術を知らなかったのでしょう。 また、 後世の為政者が、 城(=権力者)が滅んだら民も死んでしまうのが当然だ、 という儒教の考えを広めるために、 白虎隊の悲劇を利用したのかもしれません。

  • pocorino
  • ベストアンサー率39% (214/544)
回答No.2

すみません。私見です。 1.負け戦だと決め込んで出征したので、お城の方向から煙が立ち上ったのを見て「嗚呼、やはり・・・」と思ってしまった。 2.(おそらく初陣の)経験の少ない兵士が白兵戦を戦ったのだから、冷静な判断はできなかった。 上記理由などが絡み合って、自刃されたのではないでしょうか。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.1

こんにちは。 天守閣が火を噴いてれば一目瞭然ですが、そうじゃない場合ですね。 今日では、城はたいした大きさじゃないですが、本来、城というのは結構巨大な広がりを持っています。 現在、城の全構造が保存されている例はおそらく一例もないでしょう。 非常に広大な敷地の中にいろんな構造が詰め込まれています。 なので、遠くから見たら、城の内部で火の手が上がってるのか城下町が燃えてるのか区別するのはかなり難しいでしょう。 敵中に孤立してしまった上に、経験面でも非常に浅い部隊ですので情報線が断たれてしまってパニックした面が大きいと思います。

関連するQ&A