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白虎隊?

白虎隊?とは 何のことでしょうか?  外国人にも解るよう ご指導の程お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hekiyu
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回答No.5

1,白虎という名前について  これは中国の宗教的な伝統に由来するものです。  これを日本流にアレンジを加えて、東西南北に  対応させ、白虎、青龍、朱雀、玄武となります。  白虎隊はこの白虎から採ったものです。  だから、会津藩には他に、玄武隊、朱雀隊、青龍隊  などがありました。 2,白虎隊とは  会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって  構成された部隊である。  中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、  幼少組として13歳の少年も加わっていた。 (WIKより) 3,この少年隊が、会津戦争により切腹した訳です。 (1)こんな子供達が、ということで有名になりました。 (2)武士とは戦闘のプロですが、ほとんどの武士が戦わず  降伏するか、寝返っています。  尾張藩などは御三家なのに、反徳川になっています。  こうした裏切りなどの中で、まともに戦った武士らしい  武士ということでも有名になった訳です。  徳川慶喜や榎本武揚などに比べれば、はるかに武士らしい  武士だと思います。 (3)忠臣蔵でもそうですが、田舎武士の方が武士らしい武士が  多いようです。   

その他の回答 (4)

回答No.4

笑笑 愚かな少年達の集団じゃない…そんな事知ってますが 笑 せめて歴史カテに投稿してくれていれば真面目に答えたんですけどねぇ…笑

回答No.3

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%99%8E%E9%9A%8A 「落城したと思って自殺した」は大嘘です。 「負け戦なのが確定的になったので、捕まって生き恥を晒すよりはと、腹を切って死んだ」のが本当。 この「捕まって生き恥を晒すより、死んだ方が良い」と言う思想は、太平洋戦争時にもあって、負けが確定して玉砕して死んだ兵士、上官と一緒に手榴弾で自爆した兵士、民間人を巻き込んで防空壕の中で自爆した兵士が沢山います。

  • kageroho
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回答No.2

明治維新の時の日本の内戦=戊辰戦争は、官軍と呼ばれる新政府軍と幕府軍との戦いでした。その過程で、幕府軍の中心であった会津藩の会津若松城に、優勢だった官軍が迫ってきた時、会津藩では老年男子による玄武隊、壮年男子の青龍隊、20代の実戦部隊である朱雀隊とともに十代半ばの少年による白虎隊を編成して、総力戦となりました。 これらは、中国伝説の、国の四方を守る聖獣の名前から取ったものです。 戦いのさなか、白虎隊の少年たちは、他の部隊とはぐれて自分たちだけが山中を移動していましたが、そこから城下を臨んだところ、城が炎に包まれていました。実際は、城下町に火が上がっているだけで、まだ城は果敢に戦いを続けていたのですが、若い彼らは落城したものと思い込み、城と運命を共にすべく、全員が自刃、そのほとんどが死亡した、と言うのが今までの定説でしたが、最近見つかった資料では、落城していないことは分かっていたと言います。 彼らは、それまでの戦いでほとんどが傷つき、自分たちの戦闘能力がほとんど無くなっていることを冷静に見極め、武人として名誉ある最期を望んだといいます。 いずれにしても、まだ十代半ばの若者が武人として恥ずかしくない最期を選んだと言うことは明らかで、No1の回答にあるような愚かな少年たちではありません。 このような下劣な回答をする人がおられるとは、本当に悲しいことです。

回答No.1

幕末のとき福島の会津若松で城下から上る煙を見て落城と思い込み勝手に自殺して果てた愚かな少年達の集団のことです

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