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東西ドイツについて

(1)そもそもどうしてドイツは戦後、東西に分断されたのでしょうか? (2)統一後、とても変わったことは何でしょうか? (3)ドイツはGDPが高い国で裕福なのですが、ドイツの目立った産業は何でしょうか? ぜひお教えくださいませ。

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回答No.1

(1) 日本は米軍だけに占領されたが、ドイツは終戦後ソ連軍にも占領されたため、すでに政治体制が異なり対立を見せていた米国とソ連とは互いに譲らず、分割統治することになった。 (2) ドイツ民主共和国 (旧東ドイツ) がドイツ連邦共和国 (旧西ドイツ) に吸収合併される形となり、基本的に旧東ドイツ特有の戦後生まれた制度はほぼすべて旧西ドイツ側のものに統一された。 (3) 日本と同じように占領軍によって航空産業などが解体・禁止されたため、その技術を活かした自動車産業などが発展している。

その他の回答 (2)

  • tatsumi01
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回答No.3

皆さんの回答通りですが、補足です。 ドイツで西側を占領したのはアメリカだけではありません。アメリカ、イギリス、フランスの3ヶ国が占領しました。ただし、これら3国は自由主義国家だったため、東を占領したソ連と対立して共同行動を取りました。 また、ベルリン地域は東ドイツの中にありますが、ここだけはやはりアメリカ、イギリス、フランスとソ連の4ヶ国による分割占領です。ベルリンがソ連占領地域に囲まれていたため、ソ連は兵糧攻めを狙って陸路を封鎖しました(ベルリン封鎖)。これに対して3国は大空輸作戦に出て、西ベルリン地区へ生活必需物資を輸送しました。空の自由航行は保証されていたからです。陸路の封鎖は結局失敗しました。 東ドイツと西ドイツの間の壁はベルリン市内に築かれたものです(ベルリンの壁)。もちろん、東西ドイツの間にもあったと思います。東側の厳しく貧しい生活から東ドイツ市民が西側に脱走するのを防ぐためです。

回答No.2

ちなみに現在でも、旧東側部分の失業率のほうが高いです。 有名なベルリンの壁を作ったのはソ連や米国でなく、旧東ドイツです。これは戦後すぐに建設されたものではありません。分割統治ながら、戦後しばらくは東西で行き来できていました。 また、壁崩壊直前 (数日前) まで東ドイツは西側へ逃げる東ドイツ人を射殺していました。

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