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戦後の日本語について
敗戦の衝撃や戦前戦中の日本精神の過度の押し付けへの反感から「日本語を捨ててフランス語を国語に採用せよ」と唱える人が少なくなかったそうですが、この事についてもっと詳しく知りたいです。 よろしくお願いします。
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もう一度お邪魔します。 #1で挙げた志賀直哉の「国語問題」全文とその11年後の志賀のコメントの載ったサイトを添付しておきます。 一読すれば、彼がいかにフランス語の国語化に「マジ」であったか、そしてフランス語の選択がいかに適当なものであったか、よくわかると思います。 #2のElvisさんがおっしゃるように、この提言が社会的インパクトを持たなかったのは幸いなる事実です。ただ、志賀の意見は軽挙妄動であったにしても、英語化に賛成した者も多かったし、それよりは少数派ですがフランス語化に賛成した者もやはりいます。 フランス語が是とされたのは、 (1)フランス語自体の美しさや明晰さがフランス人によって積極的にPRされていたこと(「私達の言葉は世界で最も豊かで美しい」「明晰でないものはフランス語でない」などのスローガンが有名) (2)ドイツ語など近隣語と比べても抽象度が高く合理的(要するに似た動作の概念をひとまとめにできる動詞が多い、といったレベル) といった理由を考慮(?)したようですね。 フランス語化はともかく、漢字排斥の思想は根深いですね。(1)、(2)に共通していることですが、外国語化をすすめようとした人たちの考えの基本にあったのは、 「日本語をできるだけ知識に依存しない言葉にしよう、なるべく少ない約束ごとで話せる言葉にしよう、そうすればよりたくさんの人が言葉の活動に参加できることになって良い」という思想です。こういう考え方の人たちからすると、日本語は漢字の知識の有る無しで差別の発生する空しい言葉だったのですね。 余談ですが、志賀が先のフランス語化を提言した昭和21年には、国語審議会が「当用漢字」1850字を制定して漢字の制限を行いました。漢字が多すぎて生活上不便だ、使える漢字を制限した方が国民のためだ、という理屈でしたが…。
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- Eivis
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[漢字廃止運動]とか[ローマ字運動][カナ文字運動]というのは確かにありましたが、日本語を捨てて、英語、フランス語などと いう運動はそれほど盛んではなく、発表されると3面のトップに載る程度でした。。。 要するに共通している動機は[漢字の廃止]に在るようで、その手段としていっそのこと「英語に~」とか、まだ当時英語よりも 高級な言語であった「フランス語」にしてしまえという程度の議論で本人はともかく、それほど影響力はなかったと思います。。。 日本語を愛した言葉の達人、志賀直哉が「日本語をフランス語に」と言ったのはあまりにも有名な話ですが、これはむしろ ローマ字論争に警鐘を鳴らすための逆説ではないかと私は考えています。 当時一番影響力のあった方は、田中館愛橘博士[1856~1952]で「日本のローマ字社」の設立にあたって相談役として加わり、 貴族院議員になってからも毎年、ローマ字国字運動に関する演説を行っておられた筈です。。。 漢字廃止論・・・http://www.honco.net/japanese/03/page1-j.html *あまり昔のことで記憶が不確かかも知れませんが、論争に明け暮れるなどということはありませんでした。。。
お礼
アドバイス有難うございました。 ローマ字化などに賛意する人たちは、日本語を尊敬すればこその、日本語への不信、不満だったのだと思いました。
- neil_2112
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こんにちは。 日本語を改造しようという動きの波は今まで大きく2度あって、1つ目の波は明治の最初の20年間、2つ目はご指摘の戦後すぐだそうです。 明治時代の旗振り役は文部大臣を務めた森有礼で、この人は日本語改造というより、日本語を捨てて、ヨーロッパ語のどれかを国語にしようと考えました(言葉だけでなく、日本男性がアメリカ女性と結婚して体格も西洋並みの子孫をつくることまで主張したそうですが)。 言葉に限って言うと、ヨーロッパ留学をしてよく言葉の違いを知っていた森は、日本が劣っている(劣っているのではなく、違っていた、だけなのですが)のは、日本語がアルファベットを使わないせいだ、と考えていました。つまり、純粋に音を表すアルファベットという表音文字(音標文字)が軽快で能率的だ、それを使わずに漢字のような遅れた表意文字(表語文字)を使っているから日本はダメなのだ、という考えだったわけです。 幸いにして日本語は捨てられませんでしたが、漢字をやめて表音文字を採用しようという動きは根強くて、それ以降、アルファベット派、かな書き派の2つの意見がずっと底流にあったのですね。 そういう下敷きがあったところに、敗戦でまた国語問題が浮上したわけです。日本語を捨てよ、フランス語を国語にしろ、といった代表格は何と文学者の志賀直哉です。 彼は昭和21年、森有礼による英語の国語化が失敗したことを悔やみつつ、「それが実現していたら…恐らく今度のような戦争は起こっていなかったろう」として、日本はこの際、「思い切って世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとって、そのまま国語に採用してはどうかと考えている」と主張しました(「国語問題」)。敗戦で一から出なおす今ならできる、という信念が志賀直哉にはあったようですね。 ちなみに、この年は日本政府にアメリカの教育使節団が「漢字の廃止、ローマ字の採用」を勧告してもいます。当時の一般的な「やり直し」の気分が、言葉に対しても強く出ていた時代なのでしょうね。今からは想像もできませんが。
お礼
アドバイス有難うございます。 フランス語が日本語よりもっと優れた言葉であるという信仰だけでなく、このような理由があったのかと、納得してしまいました。 せっかく異国語の国語採用案や日本語表記のローマ字化が沙汰やみとなったのに、今日本語は簡略化し、単純化し、単一化しつつあることは残念なことです。