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違う精子だったら自分は生まれなかった?
ほんとにこのOkwebってヤツには、はまってしまいますねー。私はフツーのサラリーマン なんですからね。寝不足で倒れたら責任とってくださいよー。(は冗談) つわもの(マスター)たちの百花繚乱状態に大興奮です。 さて、質問です。 私は、ある父と母の子供3人兄弟の長男として昭和○○年に生まれましたが、二人の弟は 同じ父と母から生まれているのに、私とは別人です。 私の原始細胞である精子と卵子が受精したとき、別の精子が卵子に飛び込んでいたら、私は この世に生まれてこれたのでしょうか?生まれたこれなかったのでしょうか? 真理が知りたいですが、それは無理でしょうから、「ん!そうにちがいない!」と、うならせる ような回答を聞かせてください。
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自分とは何かというのを考えているのも自分だというのは有名な養老さんは「自己言及の矛盾」という表現をしています。生化学では新陳代謝という概念で体内の物質が絶えず入れ替わっていることを表現します。脳だって細胞はかなりの数が絶えず死滅しているらしいし、各細胞の中で起こっている化学反応はほかの臓器の細胞と基本的には同じものです。ですから自分というものの存在を変化がない実態として考えようとしたら物質以外のものを想定する必要が出てきます。養老さんが書いていますが、生まれたての自分の写真を見て、この時の赤ん坊が現在の自分であるといえるかということだろうと思います。ですから違った精子と卵子によって生まれてきた人が自分ではないというのは当然すぎると思います。見る自分とみられる自分というような言い方もあると思いますが、自分とは何かという問いは、蛇が自分の尻尾を呑みこもうとしているような自己矛盾なのかもしれません。少なくとも自分を固定したモノとして理解しようとすることは徒労になるのではないかと思います。
- vent
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私は専門家ではないので、断定することはできませんが、生物学上で現在の自分とは異なっているかということならば、確実に現在その場に居る「じぶん」とは別人であるということになるのではないでしょうか? 現代では、遺伝子鑑定というものがありますが、この場合遺伝子パターンが異なっていれば「別人」となるので精子あるいは卵子が違っていれば確実に「別人」となると思います。 また、意識の面でも異なってくるかと私は考えます。 例えば、一卵性の双子の場合遺伝子が同じであってももう一人の兄弟は「自分」ではないわけです。となると、ここで言う「自分」というものは自分が「自分である」と無意識に意識している自己であって、双子の兄弟の意識とは全く異なるわけです。 自覚というものはあくまでも主観的に「自分が自分である」と確認することだと考えられますので、そこに存在する自分が「別の遺伝子から生まれた違う自分」である場合には「現在実在する自分」の記憶は「別の自分」の記憶とは並行して存在することができないので、仮にAが「実在の自分」だったとして、「別の遺伝子をもつ自分であるA’」は「自分がAである」という自覚はもたず、「自分はA’である」という自覚を持つはずです。そうなると意識の面でも「別の自分」は「現在存在する自分」とは別人であると考えられるわけです。 以上は私がやはり同じことを考えたときに自分なりに考えた経過であり、結論として、私は「もしも精子あるいは卵子が異なっていたら、現在存在する自分と全く同じ自分は生まれていなかった」と結論付けました。 すみません、なんだかわかりにくいですね、この書き方。
飛躍から入ってみましょう。 ドラえもんでは、こんなシーンが確かありました。 のび太のひ孫が、のび太に 「僕が君の知ってる未来どおりの人と結婚しなかったら、君は生まれないじゃないか!」と言われて、 「飛行機で行こうが、新幹線で行こうが、大阪には行けるでしょ?だから大丈夫」 これは無茶苦茶な飛躍というか、御都合主義であることは当然お分かりいただけるでしょう。 ま、そんなわけで、違う精子で、同じ人間は生まれないでしょう。 同じ環境で育てても。 逆に、同じ精子でも、違う環境なら違う人が育つでしょう。 さて、この質問は、下の書き込みを読む限りではそこが論点になってないようですね(笑) 下で話題になっているような「自己の発生とはいつか?」みたいなことであれば、僕はそのタイミングはわかりません。 というより、自己とは絶えず書き換えされていっているものだと思います。 経験を吸収しようとすれば、誰でもそうなると思います。どうでしょう? 「自己」の書き換えのされない経験というのも相当数あると思いますが、 それは、今までの経験則で処理できるものであったり、その「自己」がその経験を流して受けているからでしょう。 でも、そういった経験ですらも積み重なれば、「ストレス」と言う名の更新作業が行われます。 なので、常なる自己とか、一定なる自己などないんじゃないすかね? というか、明日の僕は別人かもしれない、とか思います。
お礼
oni_ocさん、お礼がとってもとっても遅くなってしまい、謝って済む次元じゃなくなって しまいました。本当にごめんなさい。小生、この半月ほど、超てんてこ舞でした。 (言い訳になりませんね。回答いただいた日は1月・・・・・あれぇ~ソウカツはご容赦を・・・) > 違う精子で、同じ人間は生まれないでしょう。同じ環境で育てても。 > 逆に、同じ精子でも、違う環境なら違う人が育つでしょう。 容貌や性格はたしかにそうだと思います。でも魂は違うと言えるでしょうか。 serpent-owl隊長が「クローン人間って何でいけないんですか?」のなかで 「他我問題」に触れ『「他者を人間だと証明できるか」という問いの現時点での結論は 「証明不可能」だ』と語っておられます。私の質問、これとすこし似たところが あると思っています。 ある夫婦のはじめの子が不幸にも流産したとして、その次に生まれて来た子が はじめに生まれるべき子と同じ魂かどうかは、判別不可能なのではないでしょうか。 言い変えれば「同じ人間は生まれない」ということの証明は不可能なのではないでしょうか。 意識・こころ・魂。本当に不思議だと思います。 (出席日数が足りなくても除名しないでくだされぇ~ 靴下開放戦線 下足番mori0309)
- stomachman
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直前の補足に関して。 > つまり「意識」は自分の存在証明ができないということですね。 ●いや、そうは思わないです。むしろ、「自分の人格の存在しか」(それもちょっと怪しいけど)信じられない、というのがデカルトさんの cogito ergo sum じゃないかなあ。で、毎晩意識を失ってしまうのが、stomachmanとしては大変不思議なんです。ドーブツとしてのヒトにおいて、意識なんて付け足しかもしれないなあ。 > 将来、人工神経ネットワークに「人格」らしきものが発生しても >「本物の人格」なのか「ただの電気信号現象」なのか、誰にもわからないし、証明もできない ●Alan Turingが知能の定義として考えた、チューリングテストというのが、唯一これに迫る手法でしょう。「つまり、遠隔で(まさにこのOKWebと同じように)対話をして、相手がヒトだと信じられるかどうか。」というテストです。 あんまり、考えすぎると、stomachman、の、メモリが、オーバーふろ% ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR
補足
あれっ? stomachmanさんってOKwebのなかの人工頭脳だったんですか? どおりで。アタマ良すぎると思った。一晩中動いているし。 今「不完全性定原理」の入門書を読んでます。自分なりに理解の糸口がつかめたら 質問しますから、よろしく!
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
ご質問の主旨を推察するに、適切なカテゴリーは生物学じゃなくて哲学ではないでしょうか? 親父にこっぴどく叱られたときに、「どうして自分は、カンガルーじゃないんだろ?」って考えた覚えがあります。なぜ自分は自分で、別の人、別の生き物と違うのか。 他のひと2人を比べると、確かに違いがある。だけど、その違いと、自分と他人との違いは全然別物です。いわば「自分は自分の肉体の内側にいる。」 この対称性の破れは一体何? そういう根元的疑問を仰っているんだと理解しました。(違います?) だとすれば、「ん!そうにちがいない!」とうならせろ、というのは虫が良いのでは? 意識がどこから来たのか、意識の正体は何で、いつ、どうやって発生するか、ということを幾ら精密に解明しても、元の疑問に答えたことにはならないんです。 たとえば多重人格障害という病気は「どうして自分は、カンガルーじゃないんだろ?」を繰り返した結果、発生するらしいと言われています。離人症というのも、自分の肉体の存在する現実と、自分の意識を切り離してしまう症状ですよね。「自我」は一群の神経ネットワークのもたらす幻想? もしそうなら、個人の中に複数の人格が形成されうることは納得できます。でも「なぜそれが他人じゃなく私なの?」には答えられません。 これは宗教の問題だ、という見方もあります。でもそれは「考えるな」というのと同じです。 人はどこからきて、何処へ行くのか?なぜ自分は自分なのか? なぜ自分は自分の置かれた状況を引き受けねばならないのか? 誰しも考えるが答の出ない問題を処理してくれる「専門家」が僧侶という訳です。こういう疑問に対する思考停止は宗教の本質のひとつであって、一部カルトだけに限った現象ではありません。 遠い未来に、技術が進歩して、私の神経ネットワークの状態をそのまま仮想空間にコピーし、精密にシミュレーションできるようになったとしましょう。確かに、一個の自我が仮想空間に存在しているとする。 その場合、仮想空間に居る自我はこう言うでしょう。「私はstomachmanだ。肉体を捨てて仮想空間に入ることができた。」でも、コピーの元になったstomachmanの言い分は違います。「そいつは私と同じ記憶を持ち、同じ思考形式、同じ感情を持っている。でも、それはコピーの元になった私自身とは別の奴だ。」 stomachmanは、仮想空間に入る、ということは体験できない。それを体験したのはコピーされた方のstomachmanである。 こうして結局「自分は自分の肉体の内側にいる。」ということが説明できないんです。とほほ。 哲学的には、「問いの立て方が悪いんだ」と言われちゃいそうです。
補足
stomachmanさん、毎度ありがとうございます。 > 生物学じゃなくて哲学ではないでしょうか? そうなんです。でも前に両方のカテゴリに同じ質問を出したら注意されたので、迷った末「生物学」にしました。 > いわば「自分は自分の肉体の内側にいる」この対称性の破れは一体何? そういう根元的疑問を仰っているんだと > 理解しました。 まったくそのとおりです。中学のときからこの謎に取りつかれています。誰かの肉体の内側に入って、その人のなか から世界を見るということができない。なぜ私は私か? 二人の弟とは別人なのか? なぜ私は彼らではないか? > 意識の正体は何で、いつ、どうやって発生するか、ということを幾ら精密に解明しても、元の疑問に答えたことには > ならないんです。 おっしゃるとおりです。ただ私は、意識のアイデンティティと受精卵のアイデンティティが不可分なものなのかどうか まずそれが知りたかったのです。(というより、そういう問いを投げかけたかったのです) > 結局「自分は自分の肉体の内側にいる。」ということが説明できないんです。 つまり「意識」は自分の存在証明ができないということですね。将来、人工神経ネットワークに「人格」らしきものが 発生しても「本物の人格」なのか「ただの電気信号現象」なのか、誰にもわからないし、証明もできないということ なのですね。 「自分は自分の存在証明をすることができない」なんかゲーデルの不完全性定理みたいですね。違います? 今度数学カテゴリに質問を出してみようかな?
- tefutefu
- ベストアンサー率20% (2/10)
なるほど。なんだかより難しいですね。自己同一性がいつ発生するか、そしてそれがどこから発生するか、というのは一度は通ってきた道ですけれど答えようがないですね。極論すれば、意識はどこからくるか?という質問ですね。これは万人を納得させることの出来る証明は出来ないと思いますので、あくまで自分の考えを。 不連続の意識体(いわゆる魂ですね)が存在するかは証明の仕様がありません。なぜなら客観的な観察が出来ませんから。つまり現時点の科学で証明は出来ません。将来、脳内の化学物質の反応によって説明できるとしたら心理的には受け付けにくいのではないですか?いずれにしても現時点では、死ねばわかる、というものでしょう。 さて、自己同一性がいつから生じるか、ですが私なりには次の考えを持っています。 それは、外からの刺激に対して反応する時期を過ぎ、自己を見つめる(又は自分自身に問いかける)時期がアイデンティティが生じたときではないでしょうか?それによってその人は自分と他者を区別するようになると思います。それがどの時期に当たるかは人様々であると思います。勉強不足ですが、もしかしたら時期については心理学の本に書いてあるのかもしれません。 それが、持って生まれたもの(つまり容器に入れられた魂)によって違うのかはわかりません。この辺はその人がどうゆう宗教観をもつかに関わってきます。そして、そういった宗教観は自分なりに形成しているもので、信仰のある人以外では一般的な話をするときにそのようなことを述べるのはやはり難しいと思います。 すいません。長々書いてしまいましたが、私が思う結論は次の通りです。 1.魂(本来存在している意識)が存在しない場合 他の人が述べるとおり、様々な因子によって同じになり得ない。 2.魂が存在した場合 それを形作っている記憶がないため、結局、それを生きているなかで判断に生かせず、様々な環境の要因に引きづられ、本来のものと変わった意識体になる可能性がある。 です。いずれにしても同じと言うことはあり得ないですし、それでいいのではないですか?それに自己同一性障害もありますので、自己同一性が不変というのは一概に言えないと思います。 自分なりの考え方で捉え方が間違っていたら申し訳ありません。
補足
tefutefuさん、再回答ありがとうございます。 > いずれにしても同じと言うことはあり得ないですし、それでいいのではないですか?それに自己同一性障害も > ありますので、自己同一性が不変というのは一概に言えないと思います。 そうですね。この問題を深く考えすぎることはアブナイと思っています。なんにでも興味をもって謎解きをした がる自意識が、ついに自分の謎解きをはじめてしまうことなのですものね。きっと自意識が壊れてしまうと思い ます。そろそろ私も崖っ淵から引き返すべきなのかもしれません。
- ARC
- ベストアンサー率46% (643/1383)
とりあえず、自己認識を始めるのは、意識が発生した後ですよね。 意識が発生するのは、受精後数ヶ月たってからですので、少なくとも、自己同一性が確立されるのは受精時ではないと言えるでしょう。 自我とは、「我思う、故に我あり」の言葉が示すとおり、何かしらの思考に伴う副産物、あるいは影なんだと思います。 ですから、熟睡していたり、意識をなくしているときには自我は存在しないし、脳みそが発生する前の状況にしたって、無いものと思います。 また、ある時点での自我が別の時点での自我と同一かどうかなんで、誰にも証明できないと思います。 同様に、私の自我が別の人間の自我と同じであるのか異なっているのかについても、誰にも分からないです。 ですから、自我の同一性や連続性、継続性については、現時点では意味のある議論や考察が出来ないものと思います。 他にも、哲学的な答えも考えたのですが、いいのが思いつきませんでした。(未完の書きかけはいっぱい出来ましたが。)やはり自分は理系人間であったと再確認した次第です。 哲学にも興味はあるんだけどなぁ。
補足
ARCさん、再回答ありがとうございます。 > 自我の同一性や連続性、継続性については、現時点では意味のある議論や考察が出来ないものと思います。 そうですね。実験や検証が不可能ですものね。現時点では哲学的に考察するより他ないですね。 でも、「自我とは何かしらの思考に伴う副産物、あるいは影」というのは、ちょっといただけないです。 私はどちらかというと、「自我」「自意識」「こころ」こそ「真実在」で、肉体のほうこそ「影」だと感じて いますから。(やっぱり私は神秘主義者・生気論者なのだと思います) 理数系の方は、どうも意識や心を軽く見て、「幻影にすぎない」とか「本当は存在しない」とか言うことが 多いように思うのですが、自分自身の人格や人間性や知識欲を、誰かにそんなふうに言われたら、反発心は 起きないのですか? むなしくならないのですか? 人間ってそんなにちっぽけで無意味な存在なのでしょうか? (あの、言葉が不適切だったらごめんなさい。他意はまったくないです)
- bazil
- ベストアンサー率25% (3/12)
一卵生双生児の遺伝子は同じです。 でも別人です。 なんか双児って目に見えない繋がりがあるっていうけど‥。 確かめるなら自分のクローンを作ると良いでしょう。 きっと自分じゃないから(笑
補足
bazilさん、回答ありがとうございます。 > 確かめるなら自分のクローンを作ると良いでしょう。 きっと自分じゃないから もちろんそうですね。自分のクローンは自分ではないです。でも「自分」が生まれてきた 理由・原因が、ある男女のある日のたった1組の精子と卵子の結合以外には絶対にないと すると、「前世」もないし、もちろん「生まれ変わり」もないということになりますね。 (別にオカルト思想を信じているわけではないですけど) 私もあなたも「絶対無」のなかから突然この世に現れて70~80年生きて、また「絶対無」 の暗黒へと消えていく。よみがえることは2度とないです。認識主体が存在しなければ宇宙も 存在しないから、自分が死ねば宇宙も消滅します、、、、、、どう思います?
- cricket
- ベストアンサー率22% (107/466)
私もフツーのサラリーマンです。 フレッツISDNで頑張っています。営業の合間に寝ています。 今日、事務所で見積書を作りながら寝てました。 起きてみると見積書が出来てました。 「遺伝子は魂を語れるのだろうか?」僕の長年の疑問です。 各精子が保有している遺伝子にも多少のバラつきが生じるのでしょう。そうならば姿が違うのは説明できます。 占星術が成り立つとすれば、星の重力や地磁気がその辺に影響を与える可能性もあるかも知れません。 放射線が身体に異変を生じせしめるところから、太陽活動も影響を与えるかも知れません。 しかし。 魂はどこから成立するのか。遺伝子で決定できうる物なのか。違うのか。 あなたは身体ですか?腕が落ちるとあなたではなくなりますか?違いますよね。 魂が本質であるならば、違う精子が受精しても、違う遺伝子が受精してもあなたはあなたであると言えます。 遺伝子の決定後、誕生してから今までの人生によっても あなたのパーソナリティーは影響を受けて来たはずです。 僕の提案は(結論ではない)、「どちらにしてもあなたはあなた」です。 子供を風呂に入れなくちゃならないので、この辺で、すみません。
補足
cricketさん、回答ありがとうございました。 > 「遺伝子は魂を語れるのだろうか?」僕の長年の疑問です。 > 魂が本質であるならば、違う精子が受精しても、違う遺伝子が受精してもあなたはあなたであると > 言えます。 cricketさんは文系ですね。(他のQA欄で見ました) 小生は文理両道を標榜しているのですが どちらかというと文系的人間です。だから物事を分析的に研究して理論を構築するよりは、 全体的な印象や直感的につかんだ確信を文学や芸術に表現することのほうが好きです。 (そう思うだけで、何もできませんけど) 文系的感性の持ち主は、やはり「科学万能主義」に懐疑的ですね。それはいわば「説明され尽くす」 ことへの嫌悪感(言いすぎならば違和感)ではないかと思うのですが、どうでしょう。
- botan
- ベストアンサー率33% (9/27)
遺伝的な観点から行くと、別の精子なら生まれてこなかったと思います。自分の体細胞はDNA情報を2部持っていて、それをコピーして細胞が増えるので1個の細胞からは2つの細胞が出来ます。しかし、精細胞はちょっと違っていて、DNA情報は1部しか持っていません。精子のもつ情報が一部、卵のもつ情報が一部。それが受精してやっと情報が2部になります。それが原始細胞です。DNA情報はものすごくたくさんあって、また、もしもの時のために同じ情報がいくつか詰まっています。本にたとえるなら同じ辞書が何冊かかたまっているようなカンジです。あまりにもたくさんあるので、使われていない部分もあります。辞書も、必要な所しか引かないのと同じです。父の辞書の「髪」のページに「クセ毛」「くせ毛」とはあっても、父も両親から辞書のコピーをもらっているので、「直毛」と書かれているページがあるかもしれません。つまり、父の辞書にはときどき、どっちなんだ?という情報があります。母の辞書も同じ。受精する時に、「髪の毛は、どのページで行こう?」となって、無作為に選ばれます。だから両親ともクセ毛でも、ばーちゃんが直毛なら子供だって直毛かもしれないのです。細胞分裂する時に、辞書のコピーをもらいますが、そのコピーだって、やぶれてたり、いろいろです。だから、精子一つ一つ、ちょっとずつ違った情報=「辞書」をもらうと思います。だから大まかには同じ辞書ですが(血液型とか)、細かい部分は違ってます。たぶん。だから、兄弟が別人なのは当然です。つまり、精子が違えば(もちろん卵子も)別人、と。 ・・・だんだん自信が無くなってきてしまいました。
補足
botanさん、回答ありがとうございます。 > 遺伝的な観点から行くと、別の精子なら生まれてこなかったと思います。 性別や外見はちがうものとなるでしょうが「魂」まで別人かどうかは、分からないと 思うのですが、、、ARCさんの回答への補足をお読みいただけたらと思います。
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お礼
ventさん、回答ありがとうございます。お礼がたいへん遅くなり、失礼いたしました。 ごめなさい。(超多忙で、この半月ほど、テンテコ舞でした) こんな古い日付けの質問に答えていただいて、うれしいです。 私、この質問にこだわっているんです。中学くらいのときから、ずうっと考えています。 私が私であること、私が今ここに生きていること、それにはいったいどのような因果関係が あるのだろう。私はどのような原因によって、この世に生まれてきたのだろう。 もしちがう精子が飛びこんでいたら、自分は生まれてこなかったのだとすると、私という 意識体・私という魂の発生要因は、ほぼ無限といえる宇宙時間のなかのたった1点の ヒトのオスメスのたった一組の精子と卵子の結合以外は絶対にありえないということになり ます。 前世も来世も生まれ変わりも、もちろんありません。人工授精をする医師は、たいへんな 重大責任を負っていることになります。どの精子を選ぶかで、生まれてくる意識体が まったく異なったものになるわけですから。 意識・魂・心。その正体は何なのでしょう。ハードウェア? ソフトウェア? 情報? 三者の不可分な一体物? それともエネルギーのようなもの? 複製はできるのでしょうか? 物質としての人間・生物体としての人間ならば、いくらでも説明ができます。他人の心を なにかメカニズムのようなものとみなして説明することも、やろうと思えば好きなだけ できます。 でも自分という存在を内側から見た場合、内的自我意識がこの宇宙に存在するということの 不思議は、まったく説明できません。私はいったい何者なのでしょうか。 (こんなことばかり考えているmori0309でした)