こんばんは
>国際化を迫ると後悔することになるのは、その後何度も繰り返されている
そうなのかなぁ、「国際化」とはどういう意味内容で言ってるのかわかりませんが、「米英の思惑と結果の齟齬」ということで、思いつくところをあげてみますと、
北清事変(1900)
清朝末期におこった「義和団事件」に端を発した紛争に際し、日本は欧米列強とならび(その主力として)出兵。「極東の憲兵」としての姿を示す。
日清・日露戦争(1894,1904)
アジアにおけるロシアの南下政策に危機感を抱いたイギリスは、日本を「盾」として利用しようとした。しかし、意外に日本が「善戦」し、清国に続きロシアにも「勝利」し、極東において米英に対抗する地歩を固めた。
シベリア出兵(1918~)
ロシア革命の波及を防止するため、欧米列強が共同出兵。日本は最大の出兵国で、もっとも長くシベリア駐留を行う。そのため、米英から疑惑の目で見られる。
第一次世界大戦(1914~)
これまたイギリスは、アジアにおけるドイツ勢力に打撃を与えるため、日本の参戦を要請(のち撤回)し、これを利用した日本は「押しかけ」的に参戦し戦勝国の一員に。戦後設立された国際連盟では、常任理事国として大国の一員になる。なおかつ、中国に多くの利権を獲得。
ワシントン会議・海軍軍縮条約(1921~)
第一次世界大戦で飛躍的に台頭した日本を押さえ込もうとした米英は、日本にさまざまなタガをはめた。しかし、海軍軍縮条約で「不利」にたった日本は、結果的に「量を質で補う」こと、およびアジアへの集中で米英を凌駕するようになる。また、国際協調と軍縮への反発は、陸軍の中堅将校の間に、「国家総動員体制」=「国家革新運動」が始まるきっかけを生むことになり、最終的には対米英戦争へ。
サンフランシスコ講和会議(1951)
共産主義陣営に対峙する米(英)は、「日本を政治・経済的に安定した独立国として反共の防波堤にする」ため、ソ連などの反対を抑えて講和条約・日米安保条約を結ぶ。アメリカの軍事力の傘のもとで日本は、防衛費を最小限に抑えることで国家資金をもっぱら経済発展、インフラ整備に振り向けることが可能になり、経済力向上・国民生活の向上の実現が可能となった。
IMF8条国移行&OECD加盟(1964)
世界経済の共通の土俵にたった日本(人)は、経済競争での生き残りと発展のため、コスト削減・品質向上をはじめさまざまな技術革新を成し遂げ、その結果、優秀な日本製品が世界の市場を席捲、1968年には、GNP資本主義諸国第2位を達成する。
お礼
やっぱりそうですか。わたしも同様に考えます。 大変面白かったです。日本の行く末みたいな感じの本は多いですけど、どれも暗い気持ちになってしまうのですが、これは明るい気持ちになれ、前向きに考えることができました。