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悲しい映画やホラー映画を見る心理について
人間は基本的に、楽しいやうれしいといったプラスの感情を良しとし、悲しいや怖い、怒りなどの感情をマイナスととらえると思います。そして、人間が受け入れやすいのは楽しいといったプラスな感情に思われます。 では、なぜ悲しい映画やホラー映画を見る気になるのでしょうか?
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人間の好奇心は留まるところを知りません。どんなことでも体験してみたい欲望はあるのです。 そして目の前には信じられないほどたくさんの出来事が起きています。さらに歴史を紐解くと、その数は天文学的になります。 しかし、人間が一生に体験できることは限られています。 文学や演劇は「体験の移植作用」があります。 自分の身には起きなかった事を目の前に引っ張り出して、恰もその場に居合わせているかのごとき場面・情景を演出して見せてくれます。 したがって人は小説を読み、演劇・映画を観て、その場に居るような、自分が様々な事柄を実際に体験しているような、すなわち疑似体験が出来るのです。 その疑似体験の中でも、特に実際に体験できない、体験したくないものが、体験したら大変な事になるものへの欲求を充たしてくれるのが、「悲しい映画」「ホラー映画」などではないでしょうか。 さらに人間は「怖いもの観たさ」「他人の不幸は蜜の味」という言葉で表される妙な特性を有しています。 恐ろしいこと、怖いもの、残酷な事件、悲惨な体験、悲しい出来事などは、実体験は嫌だけど覗いて見たいのです。 小説の中、演劇の中だけででも体験してみたいのです。 他人が不幸になる姿は、第三者的な覗き見的な心境もあり興味が湧くのでしょう。まさに「他人の不幸は蜜の味」の心が動くのでしょう。 そこで流される涙は、主人公になりきって流すものというより、主人公に同情して流す「第三者の目で見ている」人間としての涙なのではないでしょうか。 主人公の感情を十分に理解し、主人公と同じ感情で流す涙もあるかもしれませんが、主人公が涙する時の、その「こころの動き」「感情の揺れ」「相手に対する思い」などを想像し、その思いに同感、同情して泣くのではないかと思います。 その涙や、恐怖が人間の心の中の欲求を満たし、ある意味での癒しに繋がっているのだと思います。まさにマイナスの要素を疑似体験することで、自分の心にとってのプラス効果にチェンジしているのでしょう。
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- hakobulu
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個人的な解釈ですが、人間が生きているということはよく考えてみると結構大変なことのように思います。 オギャーと生まれて以来、重力に逆らいつつ重い頭を支えて二足歩行をし(赤ん坊時代は四足?歩行ですが)、様々な人や環境の影響を受けつつ自我の確立を図り、嬉しいといっては喜び悲しいといっては泣き、他者を意識し、幸せを願い、と休む暇ない活動の連続が生きるということです。 人は生きるべくして生まれてくるわけでしょうが、このように、生きるということは非常にエネルギーを浪費するものと言えるでしょう。 生まれてきて生きる、という状態を保存しようとする無意識があってこそ私たちは生き続けることができます。 ただ、先に述べたように、生きるということはそれなりのエネルギーを必要とするわけですし、生まれる前の状態と比較すると非常に不安定な状態にあると言えるわけです。 ですから、人は常に「安定したい」という欲望も抱えています。 生きている状態において安定とは死を意味します。 また、安定するためには破壊衝動が必要です。 いわゆる「死の欲望」というのがこれに当たるのだろうと思います。 これらの破壊衝動・死の欲望はある日急にできるわけではありません。 人間であれば誰しも無意識の領域に飼っている本質的な感情でしょう。 悲しい映画・怖い映画を見たくなるのは、これらの感情が要求するからだと思います。 本当の破壊が生体に及ばないように、代替物として「仮の体験」で満足しようとするのではないでしょうか。 この仮の体験で涙を流し、恐怖に慄き、することでいわゆるカタルシスの発散がなされるということだろうと思います。 精神の浄化作用といったところでしょう。 あくまで【仮のもの】であることが明確になっていればこそ味わえる、抑圧されている無意識の解放作業とも言えそうです。 脳生理学的に解明されているようでしたら、専門家の方のご回答があると有り難いですね。
お礼
回答ありがとうございます!
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