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メキシコとの関係
野球のWBCでは意地を見せてくれたメキシコですが、メキシコと日本との歴史についてお教えくださいませ。 また、メキシコはアメリカとは良好な関係なのでしょうか?
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メキシコは伝統的に親日国です。 江戸時代初期から接触がありましたが、明治維新後、初めて相互主義の下に締結された日墨修好通商条約(1888年11月30日)は他の欧米諸国に大きな影響を与えたといわれます。移民はブラジルやペルーほど成功しませんでしたが、1911年勃発したメキシコ革命内戦では移民が大砲操作、歯医者などで革命軍に従軍し日本人の優秀さを示したそうです。現在は、自由貿易協定を締結しカボチャ、マンゴー、肉類などが輸入されています。 1971年以来日墨の青年を留学させ、相互理解 と友好親善を促進する日墨間の交換留学生制度が発足。メキシコは観光地に恵まれた(マヤ、アステカの遺跡やカンクン、アカプルコなど多数の開発観光地)観光大国で日本人も徐々に増えています。 米国との関係 アメリカが独立したころ、メキシコ(1821年スペインより独立)は先進国でした。領土もフロリダとテキサス以西(ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアとオレゴン、コロラドの一部)と今日のアメリカの半分以上を保有していました。1846年-48年 の日墨戦争で南西部の領土をすべて失いました。(フロリダとオレゴンはその前に放棄、割譲)米国はアメリカ側に残ったメキシコ人を市民として遇することを条約で約束していましたが、現実は西部劇などに描かれるとおり、人種差別と土地の強奪を行いました。 その後第二次世界大戦後までは国境も事実上存在しないようなゆるい規制で季節労働者が国境を往来していました。その後はご存知の通り、メキシコ人が職場を 奪うという反対派とメキシコ人に頼る農業関係者の駆け引きで規制が厳しくなり、不法越境の社会問題となり、国境線に鉄条網が施設されるようになりました。 一方、メキシコはカナダ、北米と92年に北米自由 貿易協定(NAFTA)を締結しました。日墨戦争以来、アメリカ人は憎い相手(国土の半分を取られたので)ですが、米国の4,000万人のヒスパニックの60%はメキシコ人という数字が示すように政治経済的にアメリカと友好関係を保たざるを得ない複雑な関係にあります。アメリカとメキシコの関係は複雑です。
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No1です。 tatsumi01さん御指摘の通り「日墨戦争」は「米墨戦争」の間違いです。日本とメキシコが戦争をしたことはありません。
- asakurakekasin
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支倉常長よりも数年前に、京都の貿易商人である田中勝介が太平洋を越えてメキシコ(ノビスパン)に渡っていますね。勝介は、日本人としてはじめて太平洋を渡り、アメリカ大陸の土を踏んだ人物とされています。
- tachiuo
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若い方は御存知ないでしょうが、1968年のメキシコ・オリンピックの時、「ハポン、ハポン」という大声援を、日本は受けました。親日的な人が多い国です。wbcでメキシコは予選落ちしましたが、何かとトラブルの多い米国より、日本が進出できて喜んでいる人々がいると思いたいですね。
- tatsumi01
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No. 1 の方の書かれた徳川時代初期の交渉は、仙台藩の支倉常長が伊達政宗の使者としてローマ教皇に謁見したとき http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E5%80%89%E5%B8%B8%E9%95%B7 通過したのがメキシコで、当時はノヴィスパン(=新スペイン)と呼ばれていました。太平洋を横断したんですね。 No. 1 の方の回答で「日墨戦争」とあるのは「米墨戦争」ではないでしょうか。筆が滑ったんでしょう。