日本の場合は、全体的に低くなってきているというよりは、二極化していると思います。つまり、意識する人と意識を全くしない人というように両極に多くいるようになってきているのです。
子どもたちの様子を見ていますと・・・
(1)安心を求める人
(2)向上心・競争心がある人
の2つに分かれます。
(1)については、例えば、テストで自分が低い点数を取ったとしても、周りの人を見て、自分より点数が低い人がいれば安心をします。また同じ点数の人がいても安心をします。つまり、目線が自分より下の人間、あるいは同等の人間にいっているわけです。
「なぜ勉強しなきゃいけないの?」「勉強しても将来は役に立つの?」という答えを探し求めているが、だからと言って特に勉強をするわけでもありませんから、答えが見つかるわけなんです。文句は言うけど、行動はしないという特徴があります。先生や親に反抗したり、イタズラをするなどのエネルギーがあるのであれば、そのエネルギーを勉強に使えばいいのですが、なかなか勉強してくれないのが現状ですね。今の自分に満足しているか、あるいは「どうせ自分が勉強をできないんだ」と決め付けてしまっていることが多いです。
毎日何時間も勉強して勉強して、それでも全く学力が上がらないのであれば、「どうせ自分が勉強をできないんだ」と言葉について少しは理解してあげられるかもしれませんが、ほとんど勉強もしていなのに、30分くらい教科書を読んだだけで、「自分が勉強したんだ」と満足し、実際にテストを受けたら低い点数だった場合、「自分が頭が悪い」と決め付けて、それ以降は何も勉強しなくなる傾向があります。
(2)については、例えば、テストで自分が低い点数を取ったとしても、周りの人を見て、自分より点数が高い人がいれば、「この人に点数で負けてくやしい」や「次は絶対にもっと良い点数を取るぞ」と向上心が高まります。つまり、目線が自分より高い人間にいっているわけです。
目線が自分より高い人間にいっている人というのは、たとえ勉強が嫌いであっても、やりたくなくても、とにかく「やらなければならない」という気持ちと葛藤しながら、勉強をしていますよ。今の自分に満足せずに、もっと上へ上へと行きたいという思いが、行動として表れます。
「意識」や「やる気」があるから勉強するのではなく、勉強をすることを通して「意識」や「やる気」が出てくるようになって、さらに勉強が進むようになるのです。
>原因は、なんだと思いますか?
要するに、小学生くらいの頃からの「学習の習慣」ができているかいないかどうかが問題です。
小学1年生なんて、「この勉強が将来に役に立つかな?」「勉強して良い大学に入ったら、良い就職先に入れるかな?」なんて思っていません。あまり意識して勉強をしている人は非常に少ないですし、ほとんどいないと言ってもいいかもしれません。学校や家庭で、教わったことを素直に聞いたり学んだりしながら、自分で読み・書き・計算を繰り返していく中で、学習の習慣ができてきます。
習慣が出てくるようになれば、勉強に関して自分で何事にもチャレンジするようになりますし、自主的に宿題をやったり勉強もするようになります。
“今まで出来なかったことが出来るようになった”という喜びこそが、勉強に対する意識を高めてくれるのです。しかし、勉強をしなかったら、出来ないままで終わってしまうため、喜びが味わえません。子どもだけで無理だったら、親や教師がサポートをしながら、子どもが出来るようにさせることが大切なのです。出来る喜びこそが、意識をさらに高めることにつながります。
こうした経験によって、意識が身に付きます。やはり、学習の習慣というのが重要であると思います。
参考になれば、嬉しいです。
お礼
そうですね。 たしかに小学生の頃の恒常的な学習は、基礎学力をつけるという観点だけでなく、出来る喜びや意識をさらに高めさせるためにも大切ですね。 どうもありがとうございました。