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戦国時代の浅井について

史実だと浅井は、織田と敵対し、滅びるのですが、もし織田との同盟を維持していた場合、どうなっていたと思いますか? (柴田の代わりに北国攻めしていたとか) 織田は、領地が広がるにつれ、同盟国の徳川や浅井をどのように扱っていくつもりだったのでしょうか? (日本統一後は?)

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  • ss79
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回答No.3

信長の妹婿でしたから働き次第であったと思います。 信長は自分に忠実であっても、働きが悪いと容赦しない性格でしたが、家康に対する取り扱いを見ても、優遇したようですから。 浅井は北近江では強兵でしたし、国友村の鉄砲鍛冶も近くその気になれば武装強化も可能の筈です。 おそらく一向宗徒との戦を任され南近江の本願寺派の制圧、伊賀攻めを担当したのでは・・・ その先は仮定が多すぎて想像できません。

suppi-
質問者

お礼

そうですね、浅井が南近江や伊賀を担当していれば、信長も大分楽が出来たような気がします。 六角や織田相手に少数で大軍を押し返した強兵。 その先も出来れば想像をお願いします。

その他の回答 (3)

  • tetsu4
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回答No.4

本当に推測の範囲を出ませんが若輩者の見解を・・・ おそらく朝倉を滅ぼした後、近江周辺の土豪、たとえば蒲生などを与力とされ加賀、越中などを担当されたと思われます。理由としては単純ですが近江からほかに攻め入る国等ないですからね。で、そうだとしたら柴田はどこに行くかですが、可能性の一つは名目として信孝付きの家老となるか、または美濃を任され信濃攻めの大将になったのではないでしょうか。 領地が広がった後ですが、おそらくそこまで優遇つもりは無かったと思われます。ほかの家来よりも禄高が多いだけで実質一大名に落とされたでしょう。 もし優遇するつもりであったなら家康の子の信康をころさせなかったと思います。

suppi-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 柴田が美濃→信濃→上野って、いけば滝川よりよっぽどうまく出来たような気がします。 天下泰平の為には、実質一大名扱いになるのも仕方が無いような気がします。

  • fukudon
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回答No.2

信長は、朝倉領内に入ってから浅井の敵対姿勢に驚愕するほど、 義弟として同盟関係を信じていたわけですから、将来は徳川並みか それ以上の扱いはしたのではありませんか。 浅井は信長に敵対する気など無かったと思いますよ。朝倉とは 信長以前から同盟関係にあったから先約を重んじたのではないで しょうか。姻戚より信義を重んじて朝倉に加勢したと思います。 信長は朝倉攻めの前に浅井との意思疎通を計るべきでは…と 思いますが、よほどに姻戚関係を堅いものと思い込んでいた のでしょうね。

suppi-
質問者

お礼

そうですよね義弟だから、きっと優遇されていたでしょうね。 理不尽な信長を許す(耐える)かどうかで、浅井と徳川の差が出ましたね。

  • 1582
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回答No.1

まわりを織田領に囲まれ領土拡大は絶望 そのまま飼い殺しにされるか いずれ謀反

suppi-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 すると、潜在一遇の好機にかけた浅井長政の判断は、当然のことなのですね。

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