山月記 李徴の苦悩について
国語科から『山月記』について800字以内の感想を書く、という課題が出されています。
そこで李徴について改めて考えてみたのですが、私自身は割と李徴肯定派のようで、李徴に都合が良い様に解釈してしまいます。
作品の意図をより深く読み取りたいので、ご指摘があれば宜しくお願いします。
また新しい切り口があれば、教えていただけると助かります。
《李徴について考察》
・俗悪な大官に膝を屈する事を潔しとしなかった
⇒実際のところ、李徴は人間的なバランス(愛情や野望等の比重)においては欠けているという事実はあったが、かといって道徳的・人間的な部分が無かったわけではない(妻子への愛情にも見られる)。むしろ当時の官吏が俗悪であったとすれば(小説内のみだが)すなはちエンサンは彼らの下命を拝し膝を屈してきたのだから、彼こそ本当に善人であったと捉えて良いのか、が疑問に思われる。
・李徴の社会的権威に対する執着
⇒科挙試験に通るということは、それなりに裕福な家の出。幼少の頃から科挙のために黙々と勉強してきた人間である、という事を踏まえると李徴が社会的権威に執着するのはある意味当り前の事であり、これは科挙制度の悪面である。また現代の受験システムについても同様である、と言えはしないだろうか。