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ヤルタ秘密協定締結時のアメリカ国内政治
ヤルタ秘密協定が結ばれたとき、アメリカ国内は民主党政権だったのですか? その秘密協定を結んだことで、米国内で共和党支持者が民主党政権へ不信感をつのらせた、と聞きましたが、これは当時の政権は民主党が握っていたということですよね?
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noname#41299
回答No.1
1945年2月はばりばりの民主党政権ですよ。FDRが死ぬのは8月ですから。 ヤルタの秘密協定でなぜ共和党が不信感を持ったのか、聞いたことはありませんが、推測してみます。 FDRは政府主導の半ば強引な経済社会政策で不況から見事に国民経済を蘇生させました。FDRの前の大統領、フーバーもクーリッジも、「小さい政府」こそ正しいと信じてきました。反共の気風がエスタブリッシュメントの中で吹き荒れていたのです。そしてFDRが登場し、共産主義的だと非難されながらも数々の政策を成功に導きました。失敗した政策、制度も多かったのですが、「下手な鉄砲、数打てば当たる」と言わんばかりの新制度を実行し、うまく行かないと分かれば撤回しました。このFDRの「大きな政府」が反対勢力、共和党などに「共産主義の恐怖」と結びつけて喧伝されました。 それで、ヤルタ協定です。ソ連に、千島列島と南樺太、満州を得ることを認め、確かポツダム宣言の何日か後に日本に参戦を認める内容です。専制君主の代名詞だったスターリンに有利な内容は、反共の人たちには受け入れることはできないでしょう。ヤルタ協定の段階では日本に勝つのは時間の問題だろうと思われていました。彼らには次なる敵、スターリンの率いるソ連だったのです。だからソ連に有利な内容のヤルタ協定は、到底許せるものではなかったのではないかと推測されます。
お礼
どうもありがりがとうございます! 助かりました。