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時代劇の見方・心の持ちようについて質問です。

時代劇などを観ていて、悪党のやつらが極悪非道な話をしくさっているとき、どんな心の持ちようで、観ていますか?心の内容を具体的に教えて下さい。心を誠実に正義の心で観ていますか?この野郎と思って観ていますか?

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  • cse_ri2
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回答No.1

zzennshinnjpさんの質問を時々読んでいます。 当方、心理学は素人ですが、心の働きすべてを『心理学』に求めるのは、 間違っていることくらいはわかります。 zzennshinnjpさんが求めていることは、悩み相談、もしくは哲学的な価値観 についてのようです。 次回からは、質問カテゴリをよく考えて投稿してください。 さて本題に入ります。唯心論的観点でいうと、外部の事象をどう感じるかに ついては、見る人の価値観によって大きく左右されます。 自分の中に正義を求める心があれば、時代劇を見ても善の主人公が悪漢を やっつけることに興味をもつでしょう。 また、社会的な善悪よりもビジネスの成功に関心をもつ人であれば、時代劇に 登場する悪徳商人が、どうやって金儲けをしているかに関心をもつかもしれません。(笑) まあ、たいていの人は娯楽として見ていますので、黄門様や暴れん坊将軍が 悪いやつを懲らしめるのを見て、拍手喝采しているかと思われます。 ちなみに私は、素人ながら創作活動をしていますので、時代劇の脚本を書いた 人がどういう思い(思想)でその番組を作ったかに関心がありますね。 (時代劇のほとんどはパターンが出尽くしているので、過去の番組や既存の  小説と付き合わせれば、先の展開がどうなるかはたいてい予想できます)

zzennshinnjp
質問者

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回答No.2

時代劇は「勧善懲悪もの」が大半です。 悪人が非道の限りを尽くし、善良な市井の人々が嘆き悲しみ、最後には主人公によって悪人は懲らしめられ、善良な市井の人々が救われる物語です。 今の日本には、時代劇に登場してくる、極悪非道な悪者を連想させる「企業家」「政治家」「官僚」「公務員」「一般庶民」等などが実際に存在しています。 多くの国民は、これらの「いわゆる悪者」を何とかしてくれる人はいないのか?、もう許す事は出来ないなど、様々な思いを胸に秘めてずーっと生活しています。 時代劇はこのような庶民の思いを、主人公の働きによって晴らしてくれる唯一の場であるのです。 悪代官を懲らしめる黄門さまが、今の時代にいたら良いな~。悪徳商人を懲らしめてくれる「新さん・吉宗」がいたら良いのにな~。という願いを充たしてくれるのです。 では、悪人があれこれ計略や悪事を企んでいるシーンや、悪の限りを尽くして非道を繰り返すシーンを観ているとき、我々は何を思って観ているのでしょうか。 懲らしめられることが分かって観ているのが通常ですから、「せいぜい悪の限りを尽くせ、どうせ裁かれるんだ」「こんなことやって助かるわけ無いんだ」「もっとやってみろ、必ず殺されるぞ」と意外と安心して観ていられるのです。 また、人間には二面性があり、残虐な行為や悪だくみへの興味が無いとはいえません。それだけに、悪人の行為とともに動いてみたい自分もあると思います。しかし、必ず悪事は露見し、主人公によって裁かれることが分かっているだけに、とことんはまるのではなく、つかの間の悪事体験をすることも出来ているといえます。 病んだ現代だからますます勧善懲悪への同感度は高まるのではないでしょうか。

zzennshinnjp
質問者

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