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我かこひは深山の松の郭公・・・って
或る近世絵画資料(寛永期)に描かれている女性の衣装には当時流行した隆達節歌謡が数首描き込まれているのですが、その中に「我か」「こひは」「深山の」「松の郭公」「人こそ」「しらね」「ふかぬ」「まそなき」と散らし書き風に書かれているものがあり、これをつなげると「我かこひは深山の松の郭公 人こそ知らね吹かぬまぞなき」となるのではと考えるのです。しかし、どうも意味が通じないので、「ひとこそしらね」と「ふかぬまそなき」は異なる歌謡なのかも知れません。残念ながら閑吟集、中古雑唱集、隆達節、編笠節に見当たらず仕舞いなのです。ひょっとして歌舞伎道行でしょうか・・・。どなたかご存じないでしょうか?
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田植歌かもしれません。1992年1月発行の下関大学論集に竹本宏夫という方が 田植歌 「我が恋」 ナガレ考 (再考) (三) ― 「深山の奥の時鳥」 ・ 「高木がおかの一つ梨」 「潮干に見えぬ沖の石」― というタイトルの論文を書いています。「我が恋」「深山の奥の時鳥」というキーワードが合致しています。 なお、「ふかぬ」は「なかぬ」ではないでしょうか。 変体仮名の「な」は「ふ」に似ていますし、ほととぎすでしたら「なかぬ」の方が歌の意味として通じると思います。
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- gekkamuka
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深山にはなきふるしたる郭公きかぬ宮この人やまつらん(みやまには-なきふるしたる-ほとときす-きかぬみやこの-ひとやまつらむ) (「宗尊親王百五十番歌合」の第85番 (http://tois1.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_i398.html) わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾くまもなし 92 二条院讃岐(小倉百人一首) (http://web.sfc.keio.ac.jp/~takano/ogura.html) この二首を絡めて以下のように解釈してみました。 私の恋の丈といったら、山深くの松に止まって鳴くほととぎすのように、心深くであなたを待ちながら、泣いてばかりで涙を拭く間(いとま)もない有様なのに、どうしてあなたには分かってもらえないのでしょうか。
お礼
gakkamukaさん、早速の投稿ありがとうございました。大変素晴らしい解釈に心から御礼申し上げます。
補足
<出典が何かという疑問、又その出典を調べる手立て>を私が素直に質問しなかったことを反省しています。ごめんなさい。 gekkamukaさん、大変素晴らしい解釈をありがとうございました。この散らし書きから1首を形成できるとすれば、そう理解できますね。 実は、絵画資料が寛永期制作と判断されている点、また以下のとおり、衣裳に書き添えられた文(銀泥で酸化が激しく剥落した跡の筆線から判断)から近世歌謡での出典が明らかとなった歌もあることから、この歌も当時の流行歌だろうと類推したのでした(「我が」「こひは」「深山の」「松の」「郭公」「人こそ」「しらね」「ふかぬ」「まそなき」の文字をキーワードとして『国歌大観』(CD-ROM)で検索しましたがノーヒットでした)。『日本庶民文化資料集成』第五巻もあたってみたのですが、見落としてるかも知れません。近世歌謡に関する参考文献では小野恭靖氏の著作物を中心に当たってみたのですが、他に見るべき文献ってありますでしょうか?当時の流行歌なら、あとは歌舞伎の世界かなぁ、 その出典が知りたくて、知りたくて・・・。 因みに、描かれた女性の衣裳に散らし書きされている歌で判明したものは、 1、「面影は」「手にも」「たまらす」「又消へて」「そわ」「ぬ」「なさ」「けの」「うらみ」「かすかす」 ○「面影は手にも溜まらず又消へて添わぬ情けの恨み数々」 「隆達節」(「隆達節歌謡」全歌集 本文と総索引 小野恭靖編 79) 2、「この春は」「花にまさ」「りの」「君もちて」「青柳の」「糸」「みだれ候」 ○「この春は花にまさりの(し)君も持ちて、青柳の糸乱れ候」 「隆達節」(同177) 3、「紅」「の」「したは」「こ」「かれて」「うへほけて」以上のみで類推 ○「紅の下は焦かれて上保けて、他人振りすれは 振りすれは、なほいとほしい」 「隆達節」(同165) 4、「あふ」「まて」「の」「命」「もかな」「と」「思」以上のみで類推 ○「逢ふまての命もかなと思ひしに、悔しや君の辛けれは」(「隆達節」同17)
お礼
ogura-anさん、情報ありがとうございました。わたくしもあれから、人に聞いたり、調べたりしまして、下記資料に行き着きました。 広島中世文芸研究会の『中世文芸』通号26 「我が恋は」歌謡の一考察 -田植歌「我が恋」ナガレに関して(竹本宏夫) 地方の田植歌には、中央ではやった歌謡が残っている場合もあるので、その線で調べてみることにしました。因みに、上記資料で、愛媛県北宇和郡の「舞踊踊、盆踊歌」に「我が恋いは深山の奥の時鳥、人こそしらぬ、なかぬ日もない」を見付けました。竹本さんの論考はとても参考になりました(昭和30年代のご研究内容です)。 最後の変体仮名の件ですが、やはり「ふかぬ」となっているのです。それで、各語句が散らし書きなので、もしかして別のパーツなのかと思っていたのです(別の回答者がご親切に歌意を披露してくださったものですから、これ以上触れない方がと思った次第なのです)。上記愛媛県の資料を見付けてからは、筆者の誤記と思うようになりました(往々にしてありますから)。 最後に、ご回答くださり、心から感謝申し上げます。