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learn to separate youselves from the emotionalism of believing ,,,について教えていただけないでしょうか?
DVDで英語の学習をしております。 主人公の刑事は、警察組織の中で働くことで生じるさまざまな”矛盾”を感じ、徐々に、その心の内に葛藤を深めていきます。 そんな彼に上司がこう言います。 We're a nation of laws and the sooner you young officers learn to separate yourselves from the emotionalism of believing that justice is based on right and wrong, the further you're gonna go in this department. ”正義”はいわゆる”白か黒か”で言及するようなものじゃない。グレイがあったっていいんだ。それがわかるようになることが、つまりここに馴染んでくるってことになるのさ” 意訳ですが、このように感じました。 いわゆる正統派テレビドラマにはない、ネガティブさを感じてしまったんですが、なんだかうつうつとしたものが残っています。 お時間ありましたら、よろしくお願いいたします。
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Gです。 こんにちは。 これはこちらの警察内での事実を伝えています。 なぜって私自身がこれに一時悩まされたことがあるのでこの上司のいっていることが身をもって分かるのです。 なぜ警官は拳銃を持っていると思いますか? 身を守るためでしょうか。 その時点で「刑罰」を加えるためでしょうか、逃げられるのを防ぐためでしょうか、それとも単に威嚇のためでしょうか。 そして、拳銃を撃つときは心臓か頭を狙えと教わります。 そして、100発100中を目指して訓練をします。 100発中80や90ではだめなのです。 この訓練は銃の使い方を徹底的に100発中100発「殺す」ことの必要性を実感できずただ使い方を知れば私には指導できると私自身決めたこととはギャップが大きすぎたのです。 命を救うのは警官であろうと「被疑者」であろうと関係ないというのが私の今持っている信念であり、その信念があるからこそ私の指導に意味があると私は言うわけです。 このことを踏まえて私の今から書くことを考えてください。 そうすればこの上司が言っていることが何であるか、日本語の訳を理解するだけではなく、分かると思います。 まず、文章に忠実に訳してみますね。 We're a nation of laws この国は法律によって成り立っている国である。 and the sooner you young officers learn そして、お前たち若い連中(警官)が早く習えば習うほど、(何を) to separate yourselves from the emotionalism of believing ~と信じるような感情主義から離れる(を無視できる)事を that justice is based on right and wrong, 正義は正しいか正しくないによって決まると the further you're gonna go in this department. もっとこの部署のことが分かるようになる。 これをつなげてもう少し会話的にすると、 この国はな、法律によって成り立っているよな。そして、お前たち若い連中が早く正義は正しいか正しくないによって決まると信じるような感情主義を無視できるようになればなるほど、もっとこの部署を正しく働かせることの難しさが分かるようになる。 つまり、警察官とその働く部署とは感情(たとえそれが社会的に正しいとされていても)で物事を判断していては警察官としての仕事は出来ないし、この部署が最大限に国(政府)の一部として働くことは出来ないんだ。と言うことになるわけです。 拳銃の使い方の難しさはそこにあるのです。(一例を挙げると) このカテでも前に書いた事がありますが、1/2秒の「感情的正義感」で私の頭は吹き飛んでいたはずと言う場面に直面したことがあります。 普通であれば犯人は私が居るところまで逃げられるわけはなかったのです。 SWAT隊の一隊員の間違いでその銃を持った犯人を指導官として現場に居た私の居る場所に追い込んでしまったわけです。 その銃口が私の目(頭)に向けられる動きを感じた私は引き金を引くときに1/2秒の精神的遅れを取ってしまっていたのです。 警察の方針をしっかり身につけていればその場でその犯人を殺せる物理的実力は訓練どおり使えたわけです。 それだけの訓練は受けて実力として持っていました。 しかし、私の信じる「命を救う」と言うことを合法的に自分に向けることが一瞬出来なかったのです。 1/2秒にもならない一瞬が私には出来なかったのですね。 そして、その1/2秒のうちの犯人が引き金を引く前に追いかけてきた隊員が引き金を引いたのです。 後で分かったことですが、私の撃った弾は確実に彼の頭を撃ち抜いていたことが判明しました。しかし私の弾が私の銃から発砲されたときには彼の頭は的から外れていたのです。 このスローモーションともいえる1/2秒以下の時間にこの一瞬の感情的遅れがなければ合法的に彼を「私が」殺していたのです。 しかし、それと同時にもう一人の隊員が発砲していなければ私の頭が吹き飛んでいた、と言うことでもあるのです。 お分かりでしょうか。 この上司が言っていることと私の経験談とのつながりが。 警察官としての警察組織と言うものに関しての「矛盾」はこれだけではありません。 若い警察官が上司とやりあうときがほとんど場合この矛盾を感じるからなんですね。 警察組織がなぜもっと正義感あふれた行動が出来ないのか、なぜ、人殺しの人権を普通の人以上のものと感じなければならないのか、人民の願いが分からないのか、なぜ「丁重な言葉遣い」をしなくてはならないのか、なぜ犯罪者の感情的言葉遣いや行動に対して必要以上に冷静さを求めなくてはならないのか、命を張っている自分たちの気持ちを組織はどれだけ重要視しているか、など、彼らが持つ矛盾さは警察官としての判断力を妨げることにもなっており、「人間性」を捨てた作られた法律だけが判断の元になっている苦痛は、人間としての感情を「捨てる(separate yourselves from」事が早道とも言える、と言うことにもなるのです。 この文章の重みを感じてもらいために、また、安い給料で命を張って市民を犯罪から防いでいる警察官の気持ちを少しでも分かってもらおうと必要以上のことを書かせてもらいました。 なぜならこの経験だけでなく何度も命と言うものを考えさせられた私が日本の武道を通してアメリカの警察官の命を救える技術をつけてもらいたいというのが今の私があるからなのです。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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- Ganbatteruyo
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Gです。 補足を読ませてもらいました。 >人生の経験の深さ・広さとまた建研の持つ人生へのインパクトなどによって は 人生の経験の深さ・広さとまた経験の持つ人生へのインパクトなどによって でした。 ごめんなさい。 このカテでも、私の表現の甘さから私を誤解している人もいると思います。 また、私が完璧でないといけないと思っている人もいます。 しかし、自分が出来るだけのことをするということは今時分がいるレベルでがんばれば良いということなのです。 完璧になることは決してないでしょう。 しかし、近づけることは出来るはずです。 挫折すればその可能性を捨てるということですね。 誰もがゼロから始まったのです。 できるということはまったくえらいとかすごいとか言うことではないのです。 ただそれを自分でやるかやらないかの違いだけであり、できるからといって優越感を感じることではないのです。 できるということはほかの人と分け合うことが出来るものを持っているかもしれないということに過ぎないのです。 これからも挫折せずにがんばってくださいね。
お礼
Gさん、こんにちは。 ありがとうございました。 はい、がんばります。 何度も回答いただき、ありがとうございました。
- Ganbatteruyo
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Gです。 補足を読ませてもらいました。 はい、そのような理解で良いと思います。 刑事と言うものはどうしても個人的に事件の(一般人である)関係者とのつながりが必然的に出来てしまいます。 もちろん、映画ではそれをテーマにしているのだと思いますが。 何回も何回も話を聞き、その人の状況を理解しその理解に基づいて必要とする事項を判断するのです。 そしてかなり個人的生活に溶け込むことになってしまうことがあるわけです。 そこに人間的感情が生まれてしまうのは当然のことを言っても良いかもしれませんね。 殺された善良市民の配偶者、仕事上の関係者、友達、近所づきあい、これらの人たちの「個人的批評」をどれだけ公平な情報と取るべきか、また、逆に被疑者の関係者はどうなのか。 被疑者の不幸な育った環境をも知ることになるかもしれませんね。 映画の作者がそのせりふで何を伝えたいのか、も大きな要因となり、そのせりふへの反応も観客によって変わってくることも分かっていると思います。 また、このせりふをどのように「解釈」するかも観客によって代わってくるでしょう。 同じ表現でもその表現の裏にある性格的なもの、文化的なもの、また、個人思想の違い、更に、あえて書きますが、人生の経験の深さ・広さとまた建研の持つ人生へのインパクトなどによって、大きく変わるのは仕方ないと思います。 >刑事をより人間的に描写し、その友情を描くことに力点を置く事で、それまでのドラマとは一線を画すものになっている、と読んだことがあります。事実、彼らの刑事としての行動は、時に感情的であり、時には、上司に背いてまでも自らの人間としての意思を優先させるものなのです。しかし、”現実はこうなのだ”と彼が語っている、と感じました。時に、彼らの無謀ともいえる行動を黙認し、”盾”となって彼らを守る、この上司の言葉だからこそ、なおのこと重みを感じるんだろうな、と思いました。 これなのです、私が言いたかったのは。 組織とうまく溶け込むことが出来なければ自分がしたいことは出来ないよ、と言うことなんですね。 組織を十分理解していなければ私もこの5年間警察と密着して今やっていることは出来なかったでしょう。 しかし、刑事として20数年の経験を持つ人がSWATの責任者であったので、このドラマの上司の言ったことが身にしみて分かる、痛感できるのです。 そして、この上司が心の中ではTake my words. Don't make even one organizational mistake. The department can destroy your life. I am a part of the system and I don't want to put myself to destroy you. So please take my words seriously.といっているのではないでしょうか。 上司としてのつらいところ、またそれでいて友達・親父としての助言をしたのだと思います。
補足
Gさん、こんにちは。 いつもありがとうございます。 今回は、英語の学習を越えたところで深く学ばせていただきました。ご自身の経験を交えて2度にわたり回答いただいたことで、彼の言葉に対する私の理解は稚拙であったし、表面だけの認識であったと痛感しました。そこに身を置かれる方からの言葉だからこそ重みがあるし、そこから私が感じるものも大きかったと思います。 >同じ表現でもその表現の裏にある性格的なもの、文化的なもの、また、個人思想の違い、更に、あえて書きますが、人生の経験の深さ・広さとまた建研の持つ人生へのインパクトなどによって、大きく変わるのは仕方ないと思います。 おっしゃるとおりだと思います。少し視点は違いますが、こんなことを思い出しました。 自分の言った言葉があらぬ誤解を生んでしまうことは、”母国語でも”あるのですから、私にとって、英語を使うときにそういった状況になってしまうことは少なくありません。事情を説明することで誤解が解けても、また同じことを繰り返すのでは、そういうつもりではないのにまた人を傷つけてしまうのではないか、と思い、そのことだけに気を使うのに疲れてしまって、英語を話すことから離れた時期があったのです。 言葉を使うのは難しいです。言葉は、人を幸せにもしますが時に悲しませたり、怒らせたりもするのですから。 ”言語は勉強するものではなく、習得するものである”とどなたかへの回答でおっしゃっていたと記憶しています。(すみません。正確ではないかもしれません) 時間はかかっても、自分なりに、その習得に向けて、少しずつ近づいていけたらいいな、と思っています。 文章を書くのは得意ではありません。 うまく表現することができないからです。 その中で私の意図するところを、少しでもわかっていただければうれしく思います。 本当にありがとうございました。 >更に、あえて書きますが、人生の経験の深さ・広さとまた建研の持つ人生へのインパクトなどによって、大きく変わるのは仕方ないと思います。 ”建研”が理解できませんでしたので、補足に投稿させていただきました。たいていは”予測”できるのですが、今回はわかりませんでした。〈g〉 お時間あるときに、教えていただけたらと思います。
質問者さまと同じようなネガティブな意味になりますが、 我々は法律に縛られている。君らのような若い警官が、正しい、正しくないということだけで正義が決まると信じるような感情主義から逸脱した時点で、もっとこの仕事の深いところまで理解できるさ。 みないな感じに考えました。
お礼
さっそくのご回答ありがとうございます。 >もっとこの仕事の深いところまで理解できるさ。 この訳をいただいたことで、少し抜け出せたような気がします。ありがとうございます。 とても丁寧な訳で、私の意訳が恥ずかしいです、、。 ありがとうございました。
補足
Gさん、こんにちは。 いつもありがとうございます。 何度も読み返しました。自分なりに書いてみます。 ”警察組織の中で働くということは、時に、自らの感情を捨て、自分の社会的な判断基準を捨て去ることで、その職務を果たさなければならない。大きな機構の中の小さな歯車に徹することが必要であり、それこそが、そこで働く者に求められている条件なのだ” このドラマは、刑事をより人間的に描写し、その友情を描くことに力点を置く事で、それまでのドラマとは一線を画すものになっている、と読んだことがあります。 事実、彼らの刑事としての行動は、時に感情的であり、時には、上司に背いてまでも自らの人間としての意思を優先させるものなのです。 しかし、”現実はこうなのだ”と彼が語っている、と感じました。 時に、彼らの無謀ともいえる行動を黙認し、”盾”となって彼らを守る、この上司の言葉だからこそ、なおのこと重みを感じるんだろうな、と思いました。 私はドラマの中の警察しか知りません。 現実にそこに身を置かれるGさんからの言葉を把握しきれていないかもしれません。 でも、自分なりに考えました。 もし、違っていたら教えていただけたらと思います。