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自意識過剰の心理を教えてください。
自分の殻を割って(本当の世界)で未来を切り開きたいです。 手助けをお願いします。
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なぜ殻を作っているのか、理由を良く考えてみると少し見えてくるように思われます。 自意識過剰も必要以上に周囲の評価が気になり、高い壁を作りがちですね。 ご自分でも認識されているように思いますが、「殻」「壁」は防御手段でしょう。 他者の影響を最小限に防がなければならない、という強迫観念に基づいているはずです。 そこまでして守らなければ崩壊してしまうほど弱い自己である、という認識があるのでしょう。 平たく言えば「自信が無い」ということなのだと思います。 他人といっても同じ人間。やっていることは根本的に大した差はありません。 大した事でないことを大した事のように誤解している人が多いのは事実ですが、真似をすることはないわけです。 「天上天下唯我独尊 」という言葉がありますね(URL参照)。 全体の意味はともかく「天上天下唯我独」までは明白な事実でしょう。 eezouさんには、このことについて少し(いや、じっくりの方がいいかも)思惟を巡らせてみて欲しいと思います。 「生かすも殺すも自分次第」と良く言われますが、今のあなたは自分を押さえつけているだけで、『自分を生かすことができる』し、その権利があるということに気付いていないように見えます。 最後に一言。 『怖れ』には立ち向かうしか他に方法はありません。
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- bansu_sk
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>>本当の世界とは… >>自分ではコミュニケーションとれていると思っている。でも相手からしたらそうでもなかった。 >>他の人と話しているのを見ると、私といる時には見せなかった表情をもっていた、実はこういう子だった…など。 >>に、ついてのギャップを感じる時に、本当の世界はこっちだったのか、と思います。 ―――――――――――――――――――――――――――――――― まず改行をするようにしましょう。 文章というもので、粗方の人柄や精神状態、好みなんて事も予想できます。(確率の問題ですが) 改行をするという事は、落ち着いて文章を見直し、見易く読む側に気遣い出来るか、です。 文章のスタイルというものを既にお持ちなら、余計なお世話ですが…。 ■交流というのは、出来る正解不正解はありません。人によってその価値観が異なるからです。 つまり、僕の考えであるこの文も、信憑性は他の誰とでも同一のものになります。 人は万能ではなく、何かの能力を伸ばせば、何かの面を伸ばせば、その逆が悪くなります。 優しい人は厳しくない。楽しい人は真面目な話をし難い。気遣いの出来る人は、気づいて欲しくない事まで気づく。 頭の良い人は、頭の悪い人の気持ちが分からない。言語に優れていても、使い方次第ってね。 一つ小難しい話をしましょう。 社会というのはシステムであり、大人、正解の世界、優れた世界というわけではない。 哲学の分野に入ってくる事ですがね。 およそ人間は、仕事というものをして、収入を得て、それを使用して生きていくのです。 その過程、つまり仕事というところで、多くの人は躓き、苦悩します。 『本当の自分は?』『生き方って?』『人って何?』『生きていってどうするの?』 齢を重ねていくごとにその考えを纏めていき、自分なりの仮説と様を決めます。 真実かどうかは別の話です。 何が言いたいかって? 仕事というのは、"仕える事"と書きます。これは、そこに自我を用いてはいけない事でもある。 仕事内容によっては自我を少しは使わなければいけないし、自分で考えなければいけないものもある。 そうなると、仕事中のその人の態度、考え、振る舞いといったものが、その人の本性と見られるようになる。 いくら…『仕事中に私事を関わらせてはいけない』というマナーや礼儀があったとしても、 それは人の本性として疑心暗鬼を呼ぶのですよ。 そうなりますとね、帰宅していても、友達といても、仕事の時のイメージを壊せなくなるんです。 仕事がやり難くなりますのでね。不器用なのです。 どれがその人の本心かなんて、結構本人も分かっていないものですよ? どこまでを本心と定義するかにもよりますが、実はそんなに出来た人はいないのですよ。 結構精一杯生きていて、考える余裕も無く、それでも社会という幻想に惑わされつつも 上下関係、教える、相互理解、ライバル、能力優劣などなどに揺られながら生きている。 弱いものです。 言ってしまえば、自分の頭で考えず、雰囲気だけで行動している方が多いって事です。 ―――――――――――――――――――――――――――――――― >>自分の殻について >>悩みや面倒事など自分ひとりで抱え込む、誰にも話さない、ということです。 >>外から見てもそのように見えるらしいです。それで結構一人でぴりぴりしているかもしれません。 >>周りが手を差し伸べてくれる人ばかりじゃないし…って思うと、拒絶されるのが怖いのと、 >>自分がやるんだ!と、いう変な責任感を持っているのだと思います。 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 僕の思う"普通"では、ほいほい悩みは話しません。 僕は話しても、一般的にはよほど仲の良い人にしか話しません。 僕なんかは、悩みを自分で考えて解消しますので、もっと話す理由が無くなります。 結果、話す事が次から次へと無くなり、あえて話そうとしなければ話す事が無い。 社会、仕事場、親友程親しくない人には、それでも話をして、信頼を勝ち取りましょうチャンチャン♪ ■悩みっていうのは、考えないでも良い事なのですよ? 恐怖という概念と一緒で、考えているだけ無駄、エネルギーの無・駄。 考えてどうなるのです?悩みぬくと解決する?違うでしょう?行動して、初めて解決する。 中には思考が行動となる問題もありますけれど、そういう悩みを持つ人は少ない。 それに、悩むというレベルでも無い事でよくまぁ悩む人が多い。 結局は話すキッカケや、話題が欲しいだけで、ソレはこの現代ではもってこいの話題なのです。 何かを通じて、ゲームを通じて、喧嘩、愚痴り合い、仕事、デートを通じて、なんとか理解しようとする。 元来、そこまで鋭い人ばかりではないのですよ、意外と。 いや……、鋭いものの、私の思う程鋭い人ばかりではないのですよ。鈍感な人はもっと鈍感。 目的は何です?"人"と"仲良く"なりたいのなら、相手に自分の情報と興味を抱かせなければ。 しかしね、 僕からすれば、そんな教えてもらわなくても相手の事はよく理解する自信がある。 そりゃあ……具体的に何をした人なのか分からなくても、どのような人なのかは見抜く自信がある。 こんな機械的で無感情な交流するよりは、よほど簡単だと思いますよ?あなたの言う交流は。 みんな友好的ですし、一部善を嫌う人を除けば。 ―――――――――――――――――――――――――――――――― >>自意識過剰な人間の周囲の人は、大体において平均より鋭い直感をお持ちです。 ■変人を理解するには、様々な試行錯誤が必要となり、平均や通常の物差しでは計れない。 結果的に、その変人は特異な能力を育み、周囲はそれを理解するだけの理解力を得る。 上達は苦労・努力の連続なれど、その代価で得た能力は人を理解する能力。 仕事等、その場でしか必要としない能力とは異なり、一生必要とし、役立つ能力である。 しかし、性格・器量にそぐわぬ力を得たところで、大した力にはなりはしない。 多くの場合は失敗という名を冠する人生を送る事であろう。
お礼
回答ありがとうございます。 まずは、改行のご指摘をありがとうございます。 読み手の事を考える、見直す余裕、など文章に限らず日常生活においても欠けていたのかもしれません。 ただ、常に意識はしているのですが、どうしても周りを把握できず、自分本位になる傾向があると思うのです。 そういう意味もあってここで相談させていただきました。 私の見ていた世界というものはあくまで偏見にみちているものだと思いました。 未知な事柄はよく見えてしまうものかもれません。 分相応に世の中のシステムの一部として関わりたいと思います。 それでも、私に人としての多少の興味を示してもらいたいと思います。 解釈が違っていたらごめんなさい。その時は議論しましょう!
- bansu_sk
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自意識過剰……他人の自分への評価を気にし過ぎるとかいうやつですか。 どうにも短文には返し難い。もう少し自分の習性とか性格とか書いてみると 返信もし易いと思いますよ?トライしてみますが。 ■まず、本当の世界の定義をハッキリさせて下さい。 僕からすればほとんどがインチキな世界です。一応筋は通っていますけれどね。 僕の思う世界だと、あなたの思い描いている世界とは違う自身満々です。 それとも、自分で本当の世界というものが分からないのかな? そんなものがあると? あるとしたら、是非お目にかかりたいです。 ■自分の殻というのは、俗に言う他人との境界を殻にする奴ですね。 本当に閉じこもってればこんなとこに書きこみもしないのですが……。 ↓の人が書いているような事も踏まえて、ざっと書きます。 まず、閉じこもっている最中に考えて見て下さい。 閉じこもっていると何も分からない、何も進展しないのではありません。 その状態でしか分かり難い事が、少なくとも一つ二つはあるのを保証します。 それは、人間の歴史や生き様、社会システムについてです。 次に、自分がどれだけ相手に喋っているかを思い返してみて下さい。 返事や相槌、テレビを一緒に見ている、一緒に過ごしている。 こんなのは相手への介入ではありませんし、嫌われるのを怖がっているだけです。 一つヒントになるかもしれない事を言うのならば、 心配、助言、交流と呼ばれるもののほとんどは、他人へ迷惑をかける行為だという事。 その結果がどうなるかで、大きくお互いの理解度を深めるでしょう。 次に、気持ちや癖を出してみる事です。 いわゆる突込みどころ、好きな事、自分という存在への介入し易い掛け橋。 この話題に触れれば話せるってな事を、相手に分からせないといけません。 それは、相手が自分に興味を持つようになってからの事ですので 興味を持たれてもないのに教えても、うざい人になるだけです。 興味を持ち、この人を知りたいと思わせる好奇心を芽生えさせる。 自意識過剰な人間の周囲の人は、大体において平均より鋭い直感をお持ちです。 その接点を持とうとする直向きな行動は、評価してもらえるかもしれません。 親友はいますか? 僕には死に際を看取ってもらえそうな親友が三人もいます。 友人を多く持てば、その分面識は薄くなります。 仕事場等では基本的な礼儀を心がけ、孤立しないように質問したりしましょう。 一番簡単なのは、馬鹿になり、教えて君になる事ですよ。 そして、誰かに頼る事です。それは同時に、その人を必要とするという繋がりです。 もし、汚れていない潔い関係を求めているのなら、友人を少なく、親友を作る事です。 この世界、親友だけではやっていけませんけれどね。
お礼
私の性格を一言で言うと「小心者」だと思います。 人が集まっている所へ入るのもダメだし、入っても窮屈さを感じてしまいます。あと、人がどう思っているかを異様に気にします。嫌われるのが非常に怖いです。傷つけていないかも気になります。 でも、その逆に反発を受けても自分の意見を押し通そうとする強さもあります。極端過ぎると言われたこともあるし自覚もしています。 初対面の人と喋る事は平気だし、入ってきた人には声をかける方だと思います。でも仲良くなる確立は少なく、なれたとしてもかなり時間がかかる方だと思います。 寂しがり屋で人には甘えたいんだと思います。 確かに自分の事を人に話していないかもしれません。 人に興味を持っていないかもしれません。 本当に心を許した一部の人にしか甘えるという事をしていないんだと思います。少し、近くにいる人にも甘えてみようと思います。 ■本当の世界とは・・・ 自分ではコミュニケーションとれていると思っている。でも相手からしたらそうでもなかった、他の人と話しているのを見ると私といる時には見せなかった表情をもっていた、実はこういうこだった・・・など。 についてのギャップを感じる時に本当の世界はこっちだったのか、と思います。 ■自分の殻について 悩みや面倒事など自分ひとりで抱え込む、誰にも話さない、ということです。外からみてもそのように見えるらしいです。それで結構一人でぴりぴりしているかもしれません。周りが手を差し伸べてくれる人ばかりじゃないし・・・って思うと拒絶されるのが怖いのと自分がやるんだ!という変な責任感を持っているのだと思います。 >自意識過剰な人間の周囲の人は、大体において平均より鋭い直感をお持ちです。 ってどういう事ですか?私の周りの人間は鋭いんですか? すみません。更に解説をお願いします。
- russy1
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自分で判断する訓練が必要だと思います。はじめは自分だけが関係している、ごくつまらない事で自分が判断できる訓練を始め、段々難しいことや他の人が関係していることについても自分が判断できるようにすればよいと思います。
お礼
自分の頭で考えるってことですか? 自分を客観的に見るようにするってことですか? すみません。よく分かりません・・・ 私は今まで思うばかりで他者(外界)とコミュニケーションをうまくとっていない傾向があるのかな、と思いましてそれについて少し考えて見たいと思いました。 回答いただいたのにすみません。
補足
再度読み返してみて言って下さった意味が分かりました。 客観視するということですね。 なるべくこのような場をお借りして意見をきいてみて、そこから判断してみようと思います。一度口に出したほうがいいのかもしれません・・・(そこがまた難しいのですが) そこからはじめて自分で判断できるようになりたいです。
お礼
何故殻を作っているのか・・・ 考えた事はありませんでした。 そもそも思考が自己完結傾向で、相手からしたら‘お堅い人?‘と言う感じで、心を通い合える関係にはなりずらいという事にきずきました。私は普通に好意を持って接しているつもりだったのですが。 それで、もう一歩踏み込んで他者とコミュニケーションをとりたいと思い投稿しました。 指摘をいただき考えてみると、私は殻を作ってまで弱い自分を強く見せようとしていたのかもしれません。普通に生活をしてはいますが、肉親に‘ガラスのような心‘といわれたことがあります。傷つきやすい性格なのかもしれません。しかしその逆にそれを補うように強すぎる部分があります。人に対して防衛しすぎてしまうんです。 自分は自分、弱くても自分なんですね。他人と比べるものではない。そう考えると素直に他者と関われるような気がします。有難うございました。