- ベストアンサー
30年前の日本映画をみて
ギャオで30年位前の大島渚の映画をみました。 そのなかで俳優さんのしゃべり方に非常に違和感を感じます。 具体的には、日本語にあまり抑揚がなく感じて台詞を棒読みのように聞こえます。 といっても、気持ちがこもっているのは伝わってきます。 三十年前くらいは世間でもああいう話し方だったのでしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
具体的に、どの大島渚作品をご覧になって、感じられたことでしょうか?30年前の作品という「夏の妹」か「儀式」あたりですか? 大島作品の場合、時代背景をある程度念頭においてご覧になった方が良いと思います。 私は昭和30年生まれですし田舎育ちだから、大島作品をコンテンポラリーに観る機会がありませんでした。(松竹退社後の作品を地方で観るチャンスはまずありせん。)東京での大学生時代に名画座等で観ました。 60年安保闘争、70年安保闘争という時代背景が作品にかなり影響を与えていると思います。1960年代の作品を観ると、そういう点がはっきりしています。『天草四郎』は、「島原の乱」を社会主義革命のための闘争でもあるかのようなセリフで描いています。唖然としました。『日本の夜と霧』は60年安保を回顧し日本共産党の路線転換を題材にした群像劇・討論劇のようです。(討論の内容が昭和30年生まれの私でもいまいちピンと来ませんでした。60年安保世代の方なら、実感出来るのでしょう。)ですから、あまり抑揚が無く、台詞を棒読みしているように私も感じました。この時代、学生運動や労働運動にかかわっていた方々にとって、政治思想や政治路線について討論するのはかなり日常的であったと思います。ですから、映画とまったく同様とは言えないまでも、これに近い討論や会話をしている方々もおられたと思います。当時すべて日本人がこのような話し方をしていたということはありえませんが、これに近い話し方をしていた人はいたのではないかと思います。 また、他の1960年代の邦画をご覧になれば、他の映画も結構台詞を棒読みしており感情表現が今日ほど激しくないと感じると思います。そういう中でも、大島作品の台詞は独特であると思います。 70年代の作品になるとそこまで極端ではないと思いますが、大島渚なりのメッセージを込めようとすると、今日の感覚から見て違和感のある台詞となってしまったのではないでしょうか。
その他の回答 (3)
- popoponopo
- ベストアンサー率33% (145/437)
世の中が忙しくなって、話し言葉もせかせかと早口になってきました。 30年前と比べると、アナウンサーも、一分間にしゃべる量が、かなり増えたようです。どのくらい増えたのか、書いてあるサイトがあったのですが、ちょっと今、みつかりません。 今は男も女も、ほとんど同じ話しかたになってしまいましたが、30年前は、女は「……だよ」という言い方はほとんど、しませんでした。 「……だよ」と話す女性は、ひどく荒っぽく見えたものです。 私も、おっとりと、「……だわよ」「……なのよ」と言っておりましたが、いつのまにか、「……だよ」になってしまいました。 当時の映画の、抑揚のない、ゆっくりとした話しかたは、当時まったくその通りだったとは言いませんが、かなり、あんなふうだったと、言えます。 特に、女性の言葉遣いが、私には、懐かしいです。
補足
こんにちは。 映画の中で女の子が「……なのよ」っていっていました。 そういえば、最近誰もそういういい方しませんね。 急激に変わったんですかね…不思議です
当時、アフレコが主流だったため(つまり音声のみスタジオ録音)、そのように聞こえるのでは?
補足
おはようございます。 TVドラマに慣れてしまったからかもしれませんね。
- bictaka29
- ベストアンサー率18% (59/326)
さすがにああいうのは映画の世界の中だけです。 特に大島作品は特殊かな? まあ現在ほど言葉が乱れていた時代ではなかったろうけどね。
補足
回答ありがとうございます。 そうですか。少しがっかりです。 乱れは少ないかもしれませんが、どうもよそよそしく感じてしまいます...
補足
こんばんわ。 「夏の妹」を見ました。 若い女の子が主役なので、当時の普通の話し方をしているのかなと少し思っています。 ほかに、刑法199条?(死刑になって死ななくて困るやつ)を見ましたが、もっと棒読みでした。当時の表現方法なのですか。 大島渚さんといえば、どちらかというとバラエティにでてくる文化人みたいなイメージがあります…汗 でも、古い映画を見るのも面白いですね。沖縄の昔の町並みとか出てきて現在との違いを感じます。