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河野十八将
光栄のゲーム『信長の野望』を遊ぶと、河野氏の配下に、 「河野十八将の1人」という解説の付く武将が数人見受けられます。 最初は、河野氏配下の優れた18人武将の意味と受け取ったのですが、ゲーム中に18人もいませんし、検索をかけてみると、「河野十八将の強兵は一族挙げての反平家の旗印の元に」と、源平合戦の頃?と思われる記述も見受けられます。 「河野の地の十八の武家」ぐらいの意味なのでしょうか? 由来などありましたら、お教え下さい。
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- reny
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回答No.2
武田二十四宿将などの場合は後世の講談での呼び方のようですが、河野家の場合は家格を示す時に使ったようです。 「河野十八将(平岡氏が筆頭)」の他に、「一門三十二将(大野氏)」や「足軽大将十五家(重松氏)」という言い方をしています。 (実際には後世の郷土史家が便宜上つけたものかも知れませんが)。 河野十八将には、平岡氏(伊予荏原城)、黒川氏(剣山城)、壬生川氏(鷺ノ森城)、中川氏(金比羅山)などがあります。
- Scull
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回答No.1
甲斐武田家でも~将(武田十二将でしたか?)と言ったとき、歴代の将を「のべ」で数えたりしています。 河野十八将も同様に「河野家歴代に仕えた十八人の武将」なのではないでしょうか?源平合戦期から戦国期まで、河野家歴代に十八人の優れた武将が使えていた。その延べ人数で十八将なのだと思います。
お礼
なるほど、家格ですか。 実は、壬生川氏の祖、桑原通興およびその一族について興味が出たのが、この質問をしたきっかけです。 当たるべき資料など、ご存知でしたら教えて頂けると助かります。